第1部 第3章(4)陰陽局にて
悟郎は幸乃に連れられて陰陽局にやってきた。
「陰陽局というからもっと古風なイメージだったけれど、出入りしている人は皆スーツ姿だし、建物も鉄筋コンクリート製なんだね」
悟郎が残念そうに言う。それを聞いた幸乃は苦笑いを浮かべた。
「巫術や秘術などを扱う部署はいくつかございます。私が所属する陰陽局は、軍事を司る兵部省に属します。神祇官や中務省などにも同様に巫術や秘術を扱う部署があり、もしかしたらそちらでしたら小野様のご期待に添えたかもしれませんね」
幸乃は悟郎の軽口に律儀に答えた。
応接室に案内され、悟郎は椅子に腰を下ろし、幸乃の上司が来るのを待った。最初は上座を勧められたが、師匠に厳しく言われていたのでそれを固辞し、下座に座っている。出されたお茶にも手をつけていない。幸乃は悟郎の後ろに立っている。
ノックの音がした。幸乃が扉を開ける前には、悟郎は立ち上がっていた。スーツ姿の男性が三名入ってきた。
「ご足労いただきありがとうございます。兵部省陰陽局局長の戸塚と申します。話自体はこちらにいる陰陽局御霊部部長の高藤からさせていただきます。このたびの小野様のご奮迅に感謝いたしたく、こうして伺った次第です。本当にありがとう」
そう言って戸塚は、悟郎の手を両手で握った。
幸乃も席につき、話し合いが始まった。
話し合いと言っても、この世界及び陰陽術について右も左も分からない悟郎にとって、半ば強制であった。
「君をこちらに召喚した千道くんが亡くなったため、彼女の用意していた帰還のための手立ては失われてしまった。君を召喚した彼女ならば、その道筋を辿って君を元の世界に戻すのも容易だった。しかし、彼女亡き今、君を元の世界に戻す手立てを一から探すところから始めなければならない。
それには時間がかかる。それに、お恥ずかしい話で恐縮なのだが、何より予算がないのだ。特別費も、君も巻き込まれた西方の常軌を逸した儀式対策で使い切ってしまっているのだ。少なくとも、今年度は資金を確保できない
だから、君には申し訳ないのだが、しばらく時間をいただきたい。帰還する手立てを探りながら、資金が確保できるのを待つ。その間、君にはここで働いてもらいたい」
「少し時間をいただけますか」
悟郎は言った。
それではと、悟郎が帰るのを見送ろうと高藤が腰を上げかけた。しかし、悟郎はその場で目をつむり、考え始めた。
一分ほど経過した後、悟郎は目を開けた。高藤と、そして戸塚と目を合わせ、
「それでお願いします」
悟郎は椅子から立ち上がり、深々とお辞儀をした。
幸乃が悟郎の病室を初めて訪れる前のこと、彼女は高藤の執務室に呼び出された。彼女が執務室に入ると、高藤とそれに陰陽局局長の戸塚が彼女を待っていた。
「お呼びでしょうか?」
「忙しいところ済まないな。局長もいらしているので前置きは抜きにして本題に入らせともらう。千道のことをどう考える?」
「どう考えると言われましても…突然のことなので気持ちの整理がついておらず…」
「済まん。質問の仕方が悪かったな。死穢の浄化と荒魂を鎮めることだけだったら、対策は十分に講じていた。また、彼女の能力的にも十分に対応できたと思う。小野悟郎の帰還まで成し遂げてくれただろう。しかし、今回は残念な、痛ましい結果となってしまった。我々の予期し得ない不測の事態が生じたのではないかと推測される」
「要は、神下ろしは成功していないのではないのか、千道の死は小野悟郎によってもたらされたのではないか、としか考えられない」
高藤の言葉を、まどろこしいと感じた戸塚が口を挟む。
「小野悟郎が千道万理を殺害した、ということですか?」
幸乃は驚きのあまり大きな声で質問した。質問をしてしまってから馬鹿げた質問をしたと気づき、恥ずかしくなり俯いた。
「そうは言っていない。神下ろしとは言っても、あの儀式規模では神の荒魂のごくごく一部を下ろすので精々だろう。しかし、そうはならなかった。千道からの報告には小野悟郎が光とともに顕現したとある。しかも、まだ目覚めてはいないようだが、瀕死の重傷を負っていたはずなのに、その傷も一日も経たないうちに治りかけていると看護師から報告があった」
答えた戸塚は、両肘を突き、顎の下あたりで両手の指を組んでいる。幸乃はこの場に戸塚がいる意味をようやく理解した。
「小野悟郎は神だとおっしゃりたいのですか?」
「試練を経て小野悟郎は神になったのではないか? そうでなければ千道君が失敗したこと、回復速度等々は説明できない。千道君が亡くなったので直接確認できないが、状況証拠だけでも小野悟郎が神になったと考えるのに十分だと思うが。いや、きざはしに足をかけた、と言ったところか?」
「そんな…」
幸乃は言葉が継げなかった。そんなことが起こりうるのだろうか?
「前例がないわけではない、というのは知っているだろう」
一〇〇年ほど前にも一度騒ぎになった話はこの業界では知らないものはいない。一〇〇〇名近い死傷者を出し、何とか鎮圧することができたとされる。それ以前にも何度かそれらしいことが起こったと思われる記録が残されている。
「もし神か神になろうとしているのであれば、西方には絶対に渡してはならない。最悪、元いた世界に戻すのは許容できたとしても、絶対に西方には渡してはならない。それくらいならば、殺してしまった方がましだ。
そこでだ。馬瀬幸乃君、君には小野悟郎を監視しつつ懐柔して欲しい。なに、こちらで数年を過ごし、良い思いをし、好いた女でもできれば、元の世界へ帰りたいなどとは思わなくなるだろう。そのために、君には全力でことに当たって欲しい」
要するに誑し込めということか、戸塚の言を幸乃はそう理解した。
「かしこまりました」
幸乃には最初から拒否権などないのだ。
このようなやりとりがあったから、悟郎の病室を訪問するまで、幸乃は悟郎にいい印象はなかった。
けれども、悟郎の病室を訪れ、彼の意思のある面差し、柔らかな物腰、万理や自分への心遣い等々に触れ、幸乃の悟郎への印象は一変された。それどころか、悟郎を守らなければ、と幸乃は心に決めた。
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