第1部 第3章(3)遺髪
またまた見知らぬ天井だ。流石にうんざりする。
悟郎は天井以外にも目をやる。病院の一室のようだった。続いて、自分の体を見てみる。体中に包帯が巻かれている。左腕には包帯の隙間から半透明のパイプが伸びてスタンドに吊された点滴パックにつながっている。点滴スタンドの横には心拍数などが表示するモニターが置かれていた。
ノックの音が響く。少し間をおいて女性の看護師が入ってきた。
「あら? お加減はいかがですか?」
看護師は涼やかな笑みを浮かべながら言った。
加減…。そういえば、あの状況で何で僕は生きているんだ?
万理に腹を刺され、腕などを裂かれて血だらけになったこと、加えて、自分の体が自分の体ではないように動かなかったことを思い出した。それに…
「千道さんは? 彼女はどうした?」
悟郎は身を起こして、看護師に問うた。
「お加減はよろしいようですね? 良かった」
看護師は悟郎の肩に軽く触れながら言った。
「その件について私ではお答えできませんので、人を呼んで参りますね。少々お待ちいただけますか? それ以外に何かご要望はありますか? お腹空いていませんか?」
「ここはどこですか?」
「ここは武蔵…いわゆる東国の首都にある官営の病院です」
「あと…お手洗いに」
「ご案内しますね。立てますか? あ! ちょっと待ってください! 点滴スタンドが…」
用足しを終えて、悟郎は病室に戻り、説明をしてくれる人が来るのを待つ。その間、看護師、椎名に用意してもらった食事を摂ったり、世間話をしていた。
そしておよそ1時間経過した後、スーツを着た若い女性が悟郎を訪ねてきた。
「はじめまして。馬瀬幸乃と申します。お加減は如何ですか?」
挨拶もそこそこに、悟郎は幸乃から神下ろしの顛末について聞いた。
「小野様はどこまで覚えていますか?」
「死に切れずに苦しんでいる者を楽にして回っていて、そうしたら急に悪寒がして…。覚えているのはそこまでです」
「恐らくそのタイミングで神が降りてきたのだと思われます。その後は拘束具を着せ、ダミーと入れ替えて、会場から車で運び出しました。あちら側の、こちらでは落日の国と呼ばれているのですが、セーフハウスで千道が死穢を祓い、神の荒魂を鎮めてこちら側にお連れする予定だったのです。
けれども、予定外のことが起こり、千道が死穢と荒魂に飲み込まれてしまったようです。千道以外にもスタッフが付いていたのですが、彼女に無力化されてしまいました。そのため、トラブル発生の把握が遅れてしまい…」
幸乃が言い淀んだ。
「千道さんはどうなった? それにどうして僕は生きている? あの出血量では助からないと思ったけれど」
「詳細について判然としませんが、千道は手に持っていた短刀で自分で自分の心臓を貫いたようです。小野様は確かに失血死する危険性があったのですが、間に合ったようです」
「あれからどれくらい経つ?」
あれからがいつを指すのか分からなかったので、幸乃は神下ろしから数えることにした。
「神下ろしから二日も経っておりません。儀式が行われたのが菊開月九日、セーフハウスで発見されたのが十日未明、そして今日が十一日で、現在は…午後二時になります」
最後は腕時計を確認しながら言った。
悟郎は唖然とした。あれから二日と経っていないとは。神下ろしでも重傷を負い、万理にも重傷を負わされ、死んでいてもおかしくない状況だったはずなのに。
しばしの沈黙を破り、幸乃が言った。
「私の個人的な話ですが…。千道…万理と私とは学生時代からの友人でした。素質があって、しかも、努力も怠らず、優秀でしたが驕り高ぶることのない優しい子でした。
そして、今回の万理が担った役割の候補に私も挙がっておりました。ですから、今回のことは他人事のように思えず…」
事務的に話を進めている分には何とか堪えることができていたが、個人的な話をしてしまったら堪えることができなくなった。涙があふれ、嗚咽で言葉が続かなかった。
「取り乱してしまい、申し訳ございませんでした」
戻ってきた幸乃が言った。目はまだ赤く、やや腫れぼったい。
「無理もない」
そう言って悟郎は幸乃を慰めた。
親しい友人が亡くなって日も浅いのに、上司はその辺の配慮をしなかったのか?
悟郎は訝しんだ。
「見苦しいところをお見せしてしまいました。小野様には、少しでも万理のことを知っておいてもらいたくて。我々の世界の事情に巻き込んでおいて、こんなことを言うのは筋違いとは存じますが…」
「気にしなくていい」
悟郎は外の景色を眺めた。
万理のことを最初は憎んでいた。けれども、接しているうちに彼女の人柄を知り、憎み切れなくなった。あれ? これってストックホルム症候群? それとも召喚されて構築された主従関係のなせる業? まぁ、いいや。それに状況に流されたとはいえ、情を交わした間柄だ。
「千道さんの遺髪を少しもらえないだろうか?」
「え?! はい?!」
「あぁ! 何とち狂ったことを! 親御さんだっているのに。ごめん、忘れて! お願い!」
言ってみて、そうとう厚かましいお願いだと悟郎は気づいた。
「個人的には、もらっていただけると万理も喜ぶかと思います。ただ、私の権限を越えておりますので、上に確認させていただいてよろしいでしょうか。
あと…万理には遺族と呼べるような身内はおりません。彼女は幼少のころより才覚の片鱗を見せ始め、それ故、身内の方とはその疎遠となってしまいまして…」
細かな事情は分からなかったが、捨てられたのだろう、多分。悟郎はそう判断した。
「小野様に一つ重要なことをお伝えしなければなりません」
幸乃の口調が少し改まった。
「あなたの元いた世界への帰還のことです」
「おぉ、そうだった」
生き残ることばかりに集中していたので、そのことは悟郎の意識から遠ざかっていた。
「大変申し訳にくいのですが…万理が、千道が用意していた帰還計画が、彼女の死により実行できなくなりました」
折角、こうして生き抜くことができたのに帰れないのか?
悟郎は愕然とした。
「落ち着いてください。あくまで千道が用意していた計画が、です。帰還の途が断たれたわけではありません。今後について上司が話をしたいと申しております」
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