第1部 第1章(4)朝風呂と朝食

 寝る前に美緒のことを思い出したからか、悟郎は美緒の夢を見た。

 体温を感じ、目を開けると足下に座る美緒と目が合った。ひどく憔悴している様子だ。「どうした?」と声をかけたかったが声が出ない。せめて自分が心配していると伝えようと手を差し伸べると、美緒も手を伸ばし、指を絡めてきた。

 美緒が寝ている悟郎を抱きしめる。悟郎も背中を抱き返す。美緒の目に涙が浮かんでいたので、悟郎は涙をすすった。唇を重ねる。溶け合うような陶酔感を覚えた。そして…


 悟郎は目を覚ました。最初、寝小便をしたのかと思って慌てた。この年で寝小便は流石に恥ずかしい。湿った下着の肌にまとわりつく感じと匂いは如何ともしがたい。お風呂に入りたい。服を着替えたい。

「あの」

 恐る恐る扉の外に声をかける。

「何かご用でしょうか」

 すぐに返答があった。

「お風呂の用意をお願いしたいのですが。それと、着替えも」

「かしこまりました。ご用意ができ次第お呼びしますので、少々お待ちください」


 

 係の男性が迎えに来たとき、悟郎は上半身裸であった。男性が何か問いたげな様子だったが、「気にしないでください」と悟郎は言い、部屋を出た。通路の両側にいくつも部屋が並んでいた。

 ここはホテルか何かか? 通路の広さやその他の建物の作りは宿泊施設そのものだ。けれども、悟郎の部屋の作りは、鉄格子こそ填められていなかったものの、牢屋のようだった。

 案内された風呂も、ちょっとした旅館にあるような広さのものだった。


 体を洗い、湯に漬かる。やや熱めのお湯が心地良い。浴槽の縁に後頭部を預け、目をつむる。 思い浮かぶのは美緒のことだ。

 小学生のころ出会い、かれこれ10年以上の付き合いになるが、不思議と女性を感じさせなかった、と思っていた。けれども、あんな夢を見るぐらいだから、十分過ぎるほど女性として意識していたのだろうか。急に彼女のことを愛おしく思えた。


 浴室から出ると、脱衣所には新しい服が用意してあった。それに歯ブラシやひげそりなども置かれている。下着含め今まで着ていた服が見当たらない。洗濯をしてくれるにせよ、捨てられるにせよ、下洗いをしておいて良かった。


 身支度を整え、脱衣所を出ると、万理が待っていた。

「おはようございます、悟郎様」

「おはようございます」

「朝食をご用意しましたので、こちらへお越しください」

 と美緒が悟郎を先導する。

「もう部屋から出てもいいのか?」

 前を歩く万理に、悟郎が質問する。

「ええ。川上様には話が通してあります」

「ここは何? ホテル?」

「ここは川上様所有の複合施設になります。武術の稽古はじめ様々な修練、会議なども行われたりします」

「僕が寝た部屋は?」

「ええ。あの部屋は、己の言動を反省していただくための部屋になります。ほとんど使われることはありませんが」


 悟郎は、旅館の一部屋のような、床の間がある部屋に通された。ご飯に味噌汁、焼き鮭、香の物がお膳に用意してあった。万理の給仕で食事を進める。

 こうしていると本当に現実感が失せそうだ。いや、むしろ異世界に召喚されて、殺し合いを強いられる状況の方が非現実的か。そんなことを考えながら、黙々と口に運ぶ。万理も悟郎に話しかけることもなく、淡々と給仕をしている。悟郎が食べ終わるのを見計らって、お茶を淹れる。

「さて」

 お茶を飲み干した後、悟郎は言った。腹はもう決まっていた。

「神下ろしの詳細について教えて欲しい。それと、色々と用意して欲しいものがあります」

「かしこまりました。その前にお返ししたいものがあります」

 万理は一礼して部屋を出たが、すぐに戻ってきた。悟郎の生徒手帳、刀袋に入った大小二振りなど、悟郎が召喚された際に持っていたものだ。

 覚えず、悟郎は刀袋を抱きしめた。

 一目見て気に入り、師匠に無理言って譲ってもらった。所有者となったのは一八の誕生日を迎えてからであるが、それ以前から愛用していた。それだけに、随分と心強く感じられた。


 その後、悟郎は万理から神下ろしの詳細について聞いた。

「火器や薬物の使用は禁止されておりますが、刀・槍・ナイフ等々武器の使用が許可されております。鎧兜など防具の使用も許可されております。

 依代の候補は総勢で108名です。ただし、その約半数は凶悪犯や思想犯などの死刑囚で、武術の心得はないと思われます。残りは、参加各家で分担することになっております。

 最後の一人となることは当然名誉なことと考えているようですが、かといって自家から優秀な人材を出しては自家の衰退につながりかねません。

 実際に、数家の担当者と話しをしても、乗り気ではない、家長に言われて仕方なくやっているという雰囲気が漂っています。もちろん、面と向かって家長の批判はできませんので、あくまでそう窺われる、ということですが。

 そこで、あれこれと理由をつけ、有力な家は異世界に優秀な人材を求めることにしました。ご存じのとおり、川上家もその一つです」

「あの、僕を蹴ろうとしたのは?」

「川上公爵の嫡子、之規様です」

 悟郎は貴族について詳しくない。しかし、公侯伯子男の五等爵は日本史の授業で習った。

「こうしゃくはおおやけと書く公爵? それとも、そうろうの字に似ている方の侯爵?」

 興味本位で聞いてみた。

「おおやけの方の公爵でいらっしゃいます」

 偉そうな態度だとは思っていたが、本当に偉い奴だったんだな、悟郎は少し焦った。

 その様子を見て、

「悟郎様の之規様に対する印象はあまり良くないご様子ですが、気性は激しいものの、公明正大な方ですよ」

 と万理は言った。


「話が少し脱線してしまいました。こちらの者で、高名な武術家、軍属の参加は今のところない様子です。問題となってくるのは彼岸から召喚された方々になりますが、参加している者の中で私ほどの術者は他におらず、また、悟郎様がこちらにいらっしゃったときの神々しい様子から、悟郎様が勝ち残ると確信しております」

 万理はそう言うものの、命をかけるのが自分である以上、悟郎は万理ほど楽観視できなかった。

「どうして、そう自信満々でいられるのかな」

 悟郎の口から愚痴がこぼれる。師には依然として歯が立たないし、高弟の中にも自分より強い人はいる。他流派にも自分と同程度以上に使える者は少なくないだろう。

「自信…というよりも事実でしょうか? あまり自分のことを言うのもはしたないのですが。幼少のころより巫術方面の才を示し、認められて、力くらべで他者の後塵を拝したことは今までありません。それに、武術の腕前だけではなく、猿田彦神との親和性が問題になってきますが、悟郎様は猿田彦神との親和性は非常に高く、神も悟郎様をお認めになると思います」

 励ますように、万理が悟郎の手に手を重ねる。


「昨日も言ったけれど、勝ち残っても神を下ろして無事で済むとは思えないのだが」

「それについてもご安心ください。詳細についてここでは申し上げられませんが、猿田彦神を宥め、お帰りいただく算段がございます」

「けれどさ、こんな回りくどい妨害工作を企てなくても、内乱罪や騒乱罪で処罰できないものなの?」

 未練がましく悟郎は尋ねた。

「悟郎様の暮らす世界ではどうか分かりませんが、法律は民に適用されるものであって、貴族に適用されるものではございません。もちろん、様々な決まり事により貴族であっても何をしても許されるということではありませんが、今回のことに関しては当てはまりません」

 貴族に適用される法律はない! もしかしたら、今まで万理から聞いた話の中で一番衝撃的な事実かも知れない。

 悟郎は思案下に仰ぎ見た。今さらどうにもならないことはどうにもならない。できることを精一杯やるだけだ。それが生きて帰る唯一の方法だろう。

「分かった。それで用意して欲しいものは…」

 悟郎は武器など装備の手配、体を動かせる場所の提供を依頼した。

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