第1部 第1章(3)召喚主

 悪びれた様子のない万理の話しぶりに、悟郎は何を言われたのか最初は理解できなかった。理解が追いついたのは少したってからだった。

「貴様!」

 悟郎が声を荒げた。ふつふつと怒りが沸き起こってくる。

「小野様、気をお静めください」

 微笑みを絶やさず、万理は悟郎に声をかける。悟郎は言葉を発しようとするが、武者震いが邪魔をしてうまく話せない。

「小野様をお呼びしたというより、私の提示した条件に合致したのが小野様だった、と申すべきでしょうか。お呼びしたのは確かに私です。ただ、無理矢理お呼びだてしたわけではございません。小野様も納得の上でのことです」

「そんな馬鹿げた話に乗るわけないだろう!」

 ようやく言葉にできたが、怒りのあまり声が震える。

「そうでしょうか?」

 万理は真剣な表情をした。

「覚えていらっしゃらないご様子ですが、これから小野様にお話することはすべて一度お話ししております。その上で、ご納得の上で、お呼びした次第です。私がそのように術式を組み立てましたので」

 万理の、その堂々とした話ぶりは嘘をついているように思えなかった。しかし、だからといって、そんな馬鹿げた話に自分が乗ったとは思えなかった。


「小野悟郎様。お腹は空いていらっしゃいませんか」

 万理は、唐突に話題を変えた。

「長旅で……異界に渡るのも旅と言うのでしょうか? とにかく、お疲れのことと思いますので何かお持ちしますね。少々お待ちください」

 悟郎の返事を待たず、万理は部屋を出て行った。


「お待たせしました」

 10分ほど経ってからだろうか、万理がお膳を持って戻ってきた。

 悟郎は、気持ちの整理がついた訳ではなかった。しかし、万理が戻るのを待っている間に随分と落ち着きを取り戻していた。自分がこんな馬鹿げた話に乗ったとは到底考えられない。けれども、それを言ったところでこの事態が解消されるとは思えなかった。


 万理は悟郎を一人にして、気を落ち着かせようとしたのだろうとようやく気づいた。万理が部屋に戻ってくる際、錠を開ける音がしなかったことに気づいたのも今になってからだ。

 逃げだそうと思えば逃げ出せたのか、それとも試されていたのか。話しぶりや雰囲気から、何となく世間知らずのお嬢様のような印象だったが、すべて計算ずくだとすると悟郎はその印象を改めざるを得なかった。そういえば、スタンガンで悟郎をのしたのは彼女だった。


 悟郎に食欲はなかった。なかったと思っていた。しかし、いざ食べ物を前にし、味噌汁やご飯のかおりを嗅ぐと食指が動いた。ご飯や香の物を口に含むと、自分がひどく空腹であったことに気づいた。今朝出かける際に軽く朝食を摂って以降、何も口に含んでいなかった。あれからどれくらい時間が経ったのか悟郎には分からなかった。

 万理が淹れたお茶を飲むと人心地ついた。


 その後、悟郎は万理から召喚された理由、その背景として国の情勢について聞いた。

 現在、日本は逢坂関で東西に二分されており、両者は敵対関係にある。かれこれ500年近く東西分裂の状況にあり、人の往来は制限されているものの、物資の往来は頻繁になされており、両者の敵対関係は多くの人々にとって表層的なものに過ぎなかった。

 しかし、一部の貴族を中心とした原理主義者にはこの分裂状態を受け入れがたく、その者たちにより積極攻勢が叫ばれているが、近隣諸国との関係や、500年近くに及ぶ分裂していることによる既得権益は強固なものであり、主流派にはなり得ない。

 原理主義者は当然のことながら東西双方に存在している。西側にいる原理主義者のうち、とりわけ急進的な一派が、東側へ壊滅的な打撃を与えようと計画を立て、今回の召喚につながっていると言う。その計画とは、神の荒魂に東国を蹂躙させる、そのために蠱毒を応用し、依代の候補者同士を殺し合わせ、狂わせ、最後に生き残った者に荒ぶる神の魂を下ろすという常軌を逸したものだった。


「神の依代となった者を出した家がその後の主導権を握れるとあって、各家はその人物確保に躍起になっております。けれども、神を下ろせるような者は貴重です。現在、重要な役目に就いている者も多く、また、主導権を握れるとはいえ、貴重な人材をこのためだけに消耗させるのは自家の疲弊につながる恐れがあり……」

「だから余所から持ってこようと」

 万理が言う前に、悟郎が言った。

「そういうことになります」

 万理がうなずきながら答える。

 

「やはり馬鹿げている」

 少し間をおいて悟郎が言った。

「そうですね」

「『そうですね』って、他人事のように言うな! お前だってその片棒を担いでいるんじゃないか」

「私の立場はこの後で説明させていただきますが、それを阻止するために私はここにおりますし、そのためにあなたをお呼びしたのです」

 万理は続けて、

「先ほど、原理主義者のうち、急進的な一派と申しましたが、その数はごく少数です。大多数の貴族は不承不承ながらも東西分裂を受け入れております。分裂がなければ、要職に就くことができなかった家格の低い者は特にです。しかし、そのごく少数の中に有力な家の者が含まれてしまっているのが、この馬鹿げた計画に歯止めが利かない主要因かもしれません」


 万理は冷めてしまったお茶で喉を潤し、

「お気づきのように、川上様も急進的な一派に属する貴族です」

「川上?」

 悟郎の知らない名前だった。

 悟郎のその怪訝な様子に気づいて、

「これは失礼しました。テントの中で、その、小野様が倒したのが川上様です」

 万理が言いにくそうに言った。


「さて、私の立場ですが、ここまでの話でお分かりだと思いますが……」

「西側の多数派」

「はい」

 万理が微笑みながら返事をした。

「付け加えると東側の支援も受けております。実のところ、私の出自は東側になります」

「そんな話を僕にして大丈夫なのか?」

 包み隠さず話すのは信頼の証というよりも、陰謀に巻き込むためか、はたまた、生きて返す気がないのか、悟郎はいぶかしんだ。

「小野様は私を裏切ることはございません。なぜなら、私だけがあなたを元の世界に戻せるからです」

 悟郎は「元の世界」という言葉に反応した。

「戻れるのか?」

「はい」

 万理が力強く言った。


「けれど、殺し合ってくれなんてお願いをされても、『はい』なんて言えるはずないじゃないか」

 万理は悟郎の手を取る。その手の冷たさに悟郎はびくりとした。

「最初の方で申しましたとおり、小野様のご納得の上でこちらにお呼びしております」

 万理はそう断言した。嘘をついているように見えなかったが、さりとて自分が承諾したとも思えなかった。

「それに、最後まで勝ち残れるのかも分からないし」

「その点について、私はまったく心配しておりません。私は小野様が最後まで勝ち残ると確信しております」

「どうして?」

「根拠は色々ですが…。一番重要なのは、小野様が神を下ろすに足る資質を十二分に備えていらっしゃることです。また、この企みに参加している術者の中で、私が一番優秀だということもありますし…」

 自信に満ち満ちた万理の言いように、悟郎は思わず吹き出してしまった。

「お笑いになりましたね」

 そう言った後、万理はやや頬を膨らませた。その様子もおかしく、悟郎はまた笑ってしまった。万理が憮然とした顔をしてみせた。

「ごめん」

「良いのですよ。笑えるということは良い兆候です」

 万理が微笑みながら言った。

 その微笑みがあまりにかわいらしかったので、悟郎は照れてしまった。気まずさのあまり咳払いを一つして、

「資質というのは?」

「武芸に秀でているというのはもちろんのこと、今回お呼びする猿田彦神との親和性が非常に高いと判断できるからです」

「小野様は、猿田彦神をご存じですか?」

「天孫降臨話に出てくる土着の神ということぐらいか」

「猿田彦神は複雑ないわれのある神ですが、重要なのは太陽の神格を有するということと、導きの神であるということです。小野様はこちらの世界においでになったときの記憶はないかと思いますが、その様はまさしく光臨としか言い表しようのないものでした。目映い光に包まれて…その神々しさに、覚えず涙がこぼれ落ちました」

 万理が陶然とした面持ちで言った。


「最後まで勝ち残れて、神を下ろした後はどうなるの?」

 神を下ろす、ということがどういうことか悟郎には分からなかった。異世界から人間を召喚することができるのなら、神を下ろすのも可能なのだろう、多分。しかし、そんな大層なことをして、無事でいられるとは思えなかった。

「その点についてはご心配なく。手は講じてございます」


「小野様、悟郎様は違和感を感じられたことはございませんか」

「違和感?」

「悟郎様の顔つき、体つきなどから、相当に、筆舌に尽くしがたいような苦行を積まれたものと思われます。一方で、悟郎様のお考えよう、話しぶりは平和な世の中で育ったもののように思われます」

「悟郎様はこうお考えになったことはございませんか? あぁ、戦乱の世ならば、この武芸が活かせるのに」

 悟郎は万理に掴まれている手を反射的に引っ込めようとした。しかし、万理がそれを許さなかった。これまでよりも強く掴まれてしまった。万理は悟郎の目を見据え、言葉を継いだ。

「真剣での勝負を、命のやりとりを渇望されませんでしたか? 血が沸き立つような、肉が踊るような、そんな鮮烈な体験を夢想なさいませんでしたか?」

 悟郎は、万理の目に映る自分の姿を見ていた。鏡に向き合い、自問自答している錯覚に陥りそうに感じた。


 悟郎は、師である平坂の圧倒的な強さに惹かれ、師の言うことなら何だって実践してきた。 稽古は熾烈を極めた。三日三晩、師や高弟たちに野山を追われ続けたこともあった。太刀で切られたことも、槍に突かれたことも、矢に射られたこともある。その熾烈さは稽古のみならず、日常生活にも及んだ。

 命のやりとりをまったく渇望しなかった、と言えば嘘になる。自分の中にくすぶる暗い情熱には覚えがある。

 言葉が出てこない。


「遅くなりましたので、今日はここまでといたしましょうか」

 悟郎の手を離し、万理が言った。

「最後に一つだけ。術が行われるのは五日後になります。川上様が意固地になってしまわれて、悟郎様をここからお出しできないのは大変心苦しいのですが、ゆっくりとお休みください。ご用がおありでしたら、何なりと、とは申し上げられませんが、可能な範囲で対応させていただきます。係の者を外に待機させておきます」

 そう言うと、お膳を手に万理は部屋を出て行った。


 

 悟郎はごろりとベッドに横になる。そして、万理との会話を反芻する。

 それにしても、先回り先回りしてくるやり口は美緒とそっくりだ。雰囲気も似ているような気がする。みんな心配しているだろうな。

 自分に選択肢はないのだろう、協力しなければ殺されるだけだろう。けれど、自ら進んで殺し合いに身を投じる気にもなれなかった。

 やはり疲れがたまっていたのだろう、悟郎はすぐ眠りに就いた。


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