第1部 第1章(2)隔離部屋

 小野悟郎が次に目を覚ましたのは、独居房のような隔離部屋の中だった。ベッドの上にまた寝かされていた。身を起こし、立ち上がる。靴はベッドの足下に揃えて置いてあった。膝の屈伸をしたり、肩を回したりして、身体に違和感がないか確かめてみた。スタンガンで撃たれた影響は残っていないようだった。

 ベッドに腰をかけ、煌々と照らされた明かりのもと、部屋の中を見渡す。扉は金属製で、上部にに横長ののぞき窓が設けられている。床と壁はコンクリートの打ちっぱなしで、作られたばかりなのか、未だコンクリートのにおいがする。ベッド以外には蓋がついた壺が床に置かれているだけだ。


 悟郎は再び立ち上がり、扉ののぞき窓から外の状況を確認しようとした。すると、扉の外側からのぞき込む目が見え、心臓がドキリと跳ねた。向こうも驚いたようで、目が大きく見開かれていた。男性のようだ。

 悟郎は、「あの」と話しかけた。しかし、聞こえなかったのか、それとも会話を禁じられているのか、その男性は立ち去ってしまった。

 

 悟郎はベッドに寝そべりながら、現状を整理しようと思った。しかし、何故、稽古に向かっていたはずの自分がここで囚われの身となっているのか、ここはどこなのか等々、疑問ばかりが浮かぶ。

 しばらくそうしていると、

「おい、ろくでなし」

 のぞき窓から声がした。

 悟郎は扉の方に目をやる。のぞき窓からは目元だけしか分からないが、声の感じと合わせれば、悟郎を蹴ろうとして逆にみぞおちを殴られた男のようだ。

 悟郎は何か話そうとした。しかし、言葉が出ない。先ほどより冷静である自覚はある。下手に出なければならないのかもしれない。けれども、高圧的な態度と他人を馬鹿にする発言から、悟郎は不信感ばかりが先に立つ。そのような中、どのように話すか頭を悩ませていると、

「だんまりか」

 決めつけられた。

 そう取るなら、それでいい、悟郎はだんまりを決め込むことにした。頭を扉の方に向けてベッドに横になり、頭の下で腕を組んだ。加えて、膝を立て、足も組んだ。

 ろくでなし、下賤の出、どこの馬の骨とも分からない、親の顔を見てみたい、犬畜生にも劣る等々、罵詈雑言を並べ立てた。

 だんまりを決め込んでいた悟郎だったが、いい加減腹が立ってきた。靴を履いて立ち上がった後、扉の前に立ち、男を無言で見据える。最初は高慢な笑みを浮かべていたが、次第に怯えの表情を浮かべ始めた。そして、悟郎は扉を殴りつけた。扉からは鈍い音が響いた。

 男は、のされたのを思い出したのか、顔を真っ赤にし、

「貴様なぞはらわたをぶちまけ苦痛にのたうちまわれ、私に刃向かったことを後悔しつつ死に腐るといい!」

 との捨て台詞を残し、立ち去っていった。

 


 寝て覚めたら、すべて夢だったりするのだろうか? あるいは、管野や名蔵のサプライズだったりするのだろうか? 

 悟郎は寝そべりながら、現実逃避的なことを考える。しかし、そうではないことは、分かっている。夢ほど曖昧模糊としていないし、サプライズにしては大がかり過ぎる。体にけがはなく、事故に遭って記憶が混乱している、ということもないだろう。状況が全くつかめない。寝て覚めたら、すべて夢だったりするのだろうか?



「いけません。万一のことがあったら」

「大丈夫です」

「そんな。なんて報告をすれば」

「すべての責は私が負います。あなたに迷惑はかけません」

「そういう問題ではありません。お考え直しください」

 そんなやりとりが扉の外から聞こえてきた。

 潜めるような小さな声ではあったが、周りが静かなので明瞭に聞こえた。次いで、トントントンと扉をノックする音が響いた。悟郎はベッドから体を起こした。少し間をおいて、ガチャリと錠が開く音がし、女性が部屋の中に一人入ってきた。

 悟郎は見間違えようがなかった。行く手を阻み、自分をスタンガンで倒した女だ。


「おのごろう様というお名前の読み方でよろしいのでしょうか?」

 女性は微笑みを浮かべながら言った。悟郎がこくりと頷いたのを確認して、

「改めまして。私は千道万理と申します」

 そう言い、深々とお辞儀をした。

 物腰の柔らかい対応とあまりの無警戒ぶりに、悟郎はあっけにとられた。


「話をさせていただきたいのですが、よろしいでしょうか?」

 万理は悟郎に尋ねる。悟郎は「ええ」と答える。

「少し長くなりますので、座らせていただいても?」

 悟郎はうなずいた。

「それでは失礼します」

 そう言うと万理は床に正座した。てっきり自分と同じようにベッドに腰を下ろすと思っていた悟郎は慌てた。

「そんな!」

 悟郎はベッドに座ってくれと言おうかと思ったが、まるで下心があるように取られかねないと躊躇した。

「お構いなく」

 万理はそう言うが、女性を床に座らせて、自分がベッドに腰を下ろしているという状況は、悟郎にとって居心地のいいものではなかった。少し悩み、悟郎は自分も床に正座した。

 万理がにこりと微笑んだ。完全に彼女のペースだった。


「話しておきたいことは数多くありますし、悟郎様もお聞きになりたいことも同様でしょう。何からお話をさせていただきましょうか?」

 万理は小首をかしげた。悟郎はその様を素直に可愛いと感じた。

「そうですね……先ずは、このことから話しましょう」

 一呼吸おいた後、万理は続けた。

「小野様をこちらに、悟郎様の住んでいらしたのとは異なる世界に、日本にお呼びしたのは私です」


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