時空歴史学の歴史


 歴史学者に高額なタイムマシンが必要になったのは、いつのころからだろうか。疑問ではない。単なる愚痴だ。もちろん現代時空歴史学の教授である私は事実を知っている。私が大学から借りたタイムマシンに、NGOの監督官と同乗している、その理由だ。

 タイムマシンが完成した当初、我々歴史学者は絶滅の憂き目に会いかけた。過去は思考を馳せる場所ではなく、実際に出向ける空間になってしまったのだから、当然といえば当然である。

 学者ではなく調査員を派遣すれば、歴史事実は判明してしまう。歴史事実の解釈と評価という仕事は残っていたけれど、以前に比べれば、左右に大小ちぐはぐな車輪を着けて走行するような不安定なもの。

 一定の社会的地位を保っていた歴史学者の価値は徐々に低く見積もられるようになり、果てには無駄な立場だと見下されるようになった。

 応対型ロボットの一般化により、サーヴィス業においてワークフォースよりもマシンリソースが段階的に重要視されるようになったのと同じこと――生身の人間に応対されたいという共通意識が、次第に、機械の方が面倒がないという共通了解へと溶かされ鋳直されたのと同じこと。


 歴史学者はなんとか反論しようとした。

 例えば、タイムトラベルは過去には行けたが、未来には行けなかった。厳密には過去に対しては必ず指定した過去の状態に行けたが、未来の世界は同じ時間を指定しても、向かうたびにほとんどランダムな状態を示し、今から続く未来の姿としては甚だあてにならないものだった。

 それをして、未来と同じように過去だって、我々が気づいていないだけで何らかの変化をしているかも。そうでなくとも問題があるかもしれない。

 歴史学者による研究は無駄ではない、と反論した。

 ……まあ、やれることはやったと評しよう。虚空に向かって講義をするぐらいの影響力はあった。

 

 仕事は減ったが、給料も減って、研究の必需品から単なる遺物と化した歴史史料を各々が抱えながら、どうしたものかと今後の生活に頭を抱えた研究者がたくさんいたそうだ。

 事態が変わったのは、研究者たちが我先にと歴史教育者へと本格転向しようとした矢先のこと。

 不慮の事故――陰謀論者が『故意の事故』と呼ぶ――によって、あるNPO所属のトラベラーが過去に大きく干渉してしまったのだ。

 ……言うまでもなく科学者たちは、事前に問題が起きた場合の結果を予測していた。というかたくさんの科学者がたくさんの予測をしていた。

 関係者の脳がおかしくなる。すべての人の記憶が改竄される。天変地異が発生する。不定の人数が人類から消滅する。地球が終結する。宇宙が終焉する。

 なにやら色々なセオリーがあったそうだが、実際のところ、一報から数日経ち、数か月を経ても、現代に生きる我々にはなんの影響もなかったのである。

 そんな馬鹿な、と咆哮する物理学者も大勢いて、明日こそ審判の日が、と興奮し病院に緊急搬送される偉い先生もいたそうだが、まあ、なんにせよ、である。

 どれほど異様な理屈であれ、物理科学が扱うのは現実なのだから、出てしまった結果は受け入れねばならない。理論はどれだけ積み上げてもいいが、結局、それを無慈悲なまで実証できるのは現実にそうなったという結果だけなのだった。

 そんなわけで何の影響もないという学説の提唱者が、この件の勝者だった。干渉した時点で未来は分岐して別の未来を作り、基点となった我々の現実とは別の世界のことになる。

 普通の人々は落胆である――なんだ、過去を変えても今は変わらないのか。じゃあ、意味ないじゃないか、と。

 普通じゃない人々も落胆である――なんだ、過去を変えても今は変わらないのか。じゃあ、軍事利用も、経済競争にも、役に立たないじゃないか、と。

 しかし歴史学者にとっては違う。重要だったのは、これである。干渉した結果、出来上がった別の世界。

 観察し、記録できる、可能性という無限の歴史がそこにある。

 過去に行き、分岐させ、可能性の世界を確かめ、再び過去(分岐地点よりも前)に戻り、それから基点となる現実へと帰ってくる。

 最初の事故の経験者が生還の為にたまたま果たし、そして可能だと証明されたこの過程。

 もはやブルータスが殺さない世界を仮定して、カエサルの能力を評価する必要はない。それは観察しに行けば良いのだから。

 いや、もちろん倫理の観点から人の生き死にに干渉することは許されていない。トラベラーにはNGOの監督官が随行し、『原則』を超えないように見張られている。

 カエサルには悪いがブルータスを止めることはできない。

 だが、まあ、『原則』さえ超えなければ、基本的に観察のための干渉は許されていた。


 かつては単純干渉すら許されていなかった。

 タイムトラベル黎明期――国際国家時代の話だ。これが越境企業時代に移ると、話が変わってくる。世界の区分は、政治で分けるよりも経済で色分けした方が、実情に合う時代が来たのだ。

 越境型企業は大規模群企業と名を変えて、暗黙のうちに、我々の人生を牛耳っている。言葉にすると悪い印象だし、二世紀前のSFでは悪役として扱われるのがクリシェだが、実際のところ、そう悪くもない。

 いや、悪いところはあるのだろうが、私のような小市民には、メガコープというのは単なる人生の前提というか背景であって、それ自体をどうこうするようなものでは最早ない。

 むしろ、彼らの拝金主義によって、過去への単純干渉は許されるようになったのだから、私にとっては様様である。

 多くの国で人道的理由から違法であり、国連の宣言による明確な制裁対象として指定されていた『国際社会に事前通達なく当該NGOによって認可されていないタイムトラベル』だが、それを学術的事情からの単純干渉とそれに伴う観察のためなら可という低いハードルまで持ってきたのは、大規模群企業たちである。

 『確認できる可能性』というのは経済人にとって、喉から手が出るほど欲しい情報だ。統計学に頼らず、とある商品の成功失敗、企業運営の是非が確かめられるのだから、当たり籤の番号を把握してから買いあてるようなもの。

 各大陸に割拠する大規模群企業は、このときばかり協力し合い、一世紀という馬鹿々々しいほどの時間をかけて、世界レベルでのタイムトラベル倫理に対するパラダイムシフトを成し遂げた。

 こうして経済学者と国連の特定プロジェクト職員、物理学者などの人々が過去へのタイムトラベルを行えるようになったのだが、そうした経緯で、我々歴史学者の復権も果たされたのだった。


 経済学や歴史学が時空学にならざるを得なかったように、様々な学問が時空に関係する学問となりつつある。

 かつて様々な学問に構造主義という概念が導入されたのと同じように、昨今様々な分野において時空・平行世界という概念が導入されている。

 これを時空主義と呼ぶなら、ポスト時空主義に何が待っているのか。歴史学者としては興味深く、そんな明日を待ちながら、今日もタイムマシンに乗って、私は過去に向かって行くのである。

 無限の可能性という、徒労と希望の合わせ鏡を目指して。

 

 

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夢現循環 馳川 暇 @himahase

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