地上にたどり着く日5
「しかも武器のくせに美味しそうで集中しづらい……!」
そんな王子様も今や立派に食欲を抑え……られていないようだ。
硬いから齧れないし、育ちが良いし正気だしそういった性癖もないので舐められない。俺は武器であったほうが安全なのだろうか。
何かと不便なので武器姿でいるわけにはいかないが、一考の余地がある。金属製の狼か人型になればあるいは……拉致のあかないことを考えてしまう。
「殿下、すみません……!」
俺と王子様がもたもたしていせいで、ついに犬野郎以外も正気にもどってしまった。
熊男が声を張り上げ、王子様の動きを止めるために覆いかぶさろうとする。
王子様は大剣を持ち替え振り回すと、熊男を牽制し、机の上へと飛び乗った。
犬野郎が犬のくせに猪かというくらいただただ真っ直ぐ襲い掛かってくるせいで、椅子も机も乱れに乱れている。立ったり倒れたりひっくり返ったりと大荒れだ。このまま重たい武器を持ってそれらの上を移動するには足場が悪い。
「春雷よ!」
そこへ追い打ちをかけるのは魔術師だ。狙いはさすが元城仕えと口笛を吹いて冷やかしたいほどだが、その魔術の威力では机を焦がすこともできない。一言で簡単に魔術を使っているのは速さというより、王子様に怪我をさせないための配慮であるようだ。
武器まで持ってしまったのだから、そろそろ諦める、もしくは地上で蘇生するくらいの気概はないのか。もどかしい限りだ。
俺は刃が痒くなるような感覚を無視し、音を響かせた。
『ならもう少し手助けしてやろう』
連中が諦めきれず迷っているうちに捕らえる方が楽である。
王子様もなんだかんだうまくできないようだし、それなら俺が途中まで手伝い追い込むまでだ。
『この身の呪いを受けるは誰か、この身の呪いの主は誰か。呪え呪え呪え。馴染め馴染め馴染め。形は呪いの思うまま、形は主が望むまま』
「っ……刃は両刃、剣身は身の丈、切っ先は鋭い。この手に一振りの長剣を!」
仮の主人にまでなってもらったのだから、いつまでも混乱したままオロオロしてもらっては困る。
王子様もその辺りは心得ているようだ。息を詰まらせたものの、剣の形を謡う。
なるほどこれが、王子様の好んだ剣か。
詩に王子様の想像がのった呪いの歌が、今は遠き彼の国の一振りになる。
うまく作れたのだろう。
王子様も元従者たちも懐かしさで顔がぐちゃぐちゃだ。
しかし懐かしいのは王子と元従者たちであって、俺や犬野郎には関係がない。犬野郎がこの隙を逃さず飛び上がり、頭上から鋭い爪を振り下ろす。
『上手くできたか?』
「皮肉が効きすぎだが」
得意になって尋ねてみると、王子は剣で爪を跳ね上げ苦いものを飲み込んだ顔をする。
犬野郎が王子様に思い入れがないように、王子様も犬野郎に思い入れがない。熊男や魔術師と対峙した時と違い、犬野郎に容赦がなかった。
王子様は一歩踏み出し剣を思い切り薙ぐ。爪を弾かれ体制を崩していた犬野郎はあっさり王子様の一撃を受けた。
『思うより……王子様が強いのか、犬野郎の本領が違ぇのか』
かなり犬野郎の腹に入った感触があったが、一応避けたのだろう。まだ犬野郎の胴は繋がっている。
「さっきからごちゃごちゃうるせぇんだよ!」
俺の独り言を証明するように、犬野郎は後退することなく再び俺たちに飛びかかってきた。攻撃に多彩さはないが、動きは速い。
王子さまはそれを避け斜め上へと切り上げようとした。だが、邪魔だけはうまくできるといわんばかりに、魔術師の魔術が飛んでくる。
魔術の威力は低く致命傷にならずとも、動きを奪うには十分だ。王子様は剣の軌道を変え、わざと横に振りきり、勢いと剣の重みを利用して体制を変えた。王子様の隣を雷の魔術が走る。狙いはまだ甘い。
「かなり入った割に血が出ていない……再生能力、か?」
王子様の推測に俺は巨大な犬のことを思い出す。首を刺したのに見事に逃げおおせたアレと犬野郎が同じものなら、再生能力が高いというのも納得である。
ならば犬野郎の得意が狡猾さ巧みさ攻撃力にないとして、犬野郎の仕事は群れの管理だろうか。皮肉混じりに考え、また合点する。
薬で増えた犬もどき、それを従えた巨大な犬……犬野郎のできるのは再生と感染もしくは軽い洗脳、管理ではないか。
犬もどきに洗脳された形跡は見られなかったが、子供だまし程度のものなら見落としてしまうだろう。
つまり騙す相手もいなければ染まってもいない仲間が二人しかいない今、犬野郎は本来の力をほとんど使えていないことになる。
『なら剣を一本増やして刺したままにするか』
「待て、これ以上は事態と動きについていけないんだが!」
熊男が王子様を襲う機を見失うほど、犬野郎が何度も何度もくじけることなく攻撃を仕掛けてくるせいで、王子様も手が一杯だ。
王子様は速さを極めた剣士ではない。力と思考力、魔術を使える範囲にもっていくために技術を身に着けたといった動きをする。
今は騎士かもしれないが、もともと王子様であるし戦乱の名残も終わろう頃に生きていた王子様だ。極めるほどの武力は王子様に必要ない。
だから武器を分裂させたり、二つの剣を一瞬でも扱ったりする余裕はないのだろう。俺が分裂して体の一部を切り離すことについては……この場にいる皆がびっくりするから別に問題ない。
『じゃあ、今が呪歌の使いどころだな』
「それは……、そうだが」
王子様待望の許可である。
しかし王子様の声は浮かない。
今まで散々王子の呪歌使用を渋ってきた。けれど、いざ使用許可が降り、化け物らしく振舞うと決めてもすぐ行動に移せない。
人間の情は複雑だ。
かつての臣下を前に王族どころか人間から離れた行いを見せる。迷わないほど未練がないのなら自分自身の価値を地上に残さない。
王子様は床へ机へと忙しく飛び移りつつ、戦闘するには狭すぎる店内で剣を振り、逃げ回る。
俺が剣になって急かしても、どんなに茶化し促しても、守ってきたものを捨てるのは容易ではない。
「……我が両腕は、狼の血が……一筋、クレムナムの甘き水」
それでも王子様は覚悟をした。
「ならば溶け滲み……見る間に霧となり、知らぬ間、肺を汚す」
民を守り、民に愛された王族だった。
自らの価値のほとんどを王子だということに置いていた。
神に愛され、加護をいただき、だからこそ死んだことや化け物になったことを自覚していた。
なんとも残酷で可愛そうな運命だ。
俺は笑う代わりに両腕を一瞬にして霧へと変えた王子様の元から離れ、重たい音を立て床に横たわる。
「馬鹿め……!」
両腕を霧に変えたせいか、呪歌を使ったせいか。血の気を亡くし、今にも駆けつけんばかりの魔術師と熊男は息を飲む。
しかし犬野郎だけは剣がなければ王子様に攻撃手段はないと思ったのだろう。大喜びで大声を上げた。
王子様の呪歌が目に見える形で人に攻撃を仕掛けなかったせいもあるだろう。犬野郎は呪歌が発動していないと思ったのか、いち早く王子様を亡き者にしようと爪を振り上げ、ビクリと動きを止める。
「ぐ、あ……?」
王子様が初めて人魚屋ぶ来たときに使った呪歌は、うっすらと赤い霧になった。けれど今回は見る間に霧になり、知らぬ間に肺へと侵入するように……つまるところ、色も匂いも知られる前に王子様の血の霧は肺に侵入するようにしたのだ。
犬野郎は急に咳き込み、体を折り、目を見開き、胸や喉を掻く。
王子様の血は濃い。王子様の血が解けているというだけで毒になる。
「汚れた肺もまたクレムナムの水、我が血の糧なり。糧は食われ、我が身となり、形は変わり、肺は溶けなくなる」
毒はいずれ王子様の一部として機能しなくなるため、王子様はいつでも腹ペコだ。だが、一瞬にして王子様の一部でなくなるわけではない。
王子様は霧が自分の一部であるうちに、呪歌を付け足し、肺を食ったのだ。
人間にできる所業ではなかった。
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