地上にたどり着く日4

 敵対すると宣言した王子様に、犯人二人はよろめいた。


「そんな……っ!」


「かくなるうえは……無理やりにでも。地上に戻りさえすれば、殿下も」


 二人は王子様を攫って地上に連れて帰るつもりらしい。俺たちから距離をとり身構える。

 王子様が騙されているだとか、無理にでも連れて行けばどうにかなるだとか、そういう考えらしい。

 なんとも都合のいい奴らだ。


 倒れそうになる衝撃を受け、気持ちがぐらぐらと揺れる王子様の姿を見ていけると思ったのかもしれない。だが、王子様が見事に振り切った姿も見ている。王子様以上に悩んでもいいはずなのに連中はまだ望みをかけていたのだ。


「ほら、見ろ! だから放っていけっつったのに……!」


 最初から王子様を連れて行くことに反対だったのだろう。犯人の中で一人だけ感じの悪い男も悪態をつきながら手を振った。振ると同時にその手は形を変え、犬の足にも似た形状となる。感じの悪い男は思ったとおり犬野郎であったようだ。


 医院で感じ取った嫌な予感と既視感が気のせいでないのなら、男は街を襲った巨大な犬に相違ない。

 犯人たちの様子を見た王子様は、小さく息を吐く。


「……仕方ない。イナミ」


 珍しく王子様に名前を呼ばれ、俺は王子様を見上げた。

 犬野郎が襲いくるのを邪魔するため、椅子を蹴飛ばすという荒々しくも化け物らしい力を見せる反面、王子様は静かに声を落とす。


「使っていいか?」


 王子様は早く片がつくといっては平気で呪歌を使おうとする。俺はいつも待て待てといって止めるのだが、今日ばかりは王子様を止めることなく頷いた。


『さっきの白花紅はっかこうで腹はもつか?』


 椅子を避けると今度は足まで犬に変化させ、力強く床を蹴った犬野郎に魔術がかかる。魔術師が強化の魔術を使ったのだ。


 王子様は犬野郎の鋭い爪を避けるため、横に飛びつつ頷いた。

 あれほど腹が減ったといっていた王子様の腹を慰めるとはさすが白花紅である。


 俺も王子様とは反対方向に飛び、難を逃れると犬野郎に飛びかかる。

 犬野郎はやはりもどきより強い。まっすぐ飛びかかったくらいで倒れたりしなかったし、当然のように俺に反撃を食らわせて来た。俺は振り下ろされた手から逃れつつ吠える。


『なら、ここの化け物だって見せ付けてやれ! 俺もそろそろ変身とけそうだから、武器を一つ作ってやるよっ』


 魔術は人間の技術だ。便利だし、王子様の腹減りがましだから使ってもらうが、魔術を使っている限り連中は王子様に人を見出してしまう。


 対して呪歌じゅかはクレムナムの化け物しか使えない、クレムナムで発展した技術である。クレムナムの化け物だと主張するのにおあつらえ向きな技術というわけだ。


「つく……ああ、そうか。また変身過程でなにか……それにしても、小さくても制限があるのか?」


 熊のような男は本当に熊であったらしい。男に拳を叩き込もうと腕を引いた王子様に、黒く大きな熊に変化した男が覆いかぶさろうとしていた。


 魔術師や熊男はまだ王子様に攻撃をするのはためらいがあるのだろう。直接的な攻撃をしようとはしない。


 王子様は熊男が両手を振り下ろす瞬間に前方へと飛び前転、机の下を転がり熊男とは机を挟む位置に移動した。


『燃費の問題じゃねぇからな。毒の効き目いかんだ』


 俺たちが余裕を見せて煩く話をしても、犯人連中の攻撃はまだ甘い。机や椅子が邪魔なせいもあるが、三人の犯人のうち二人が王子様を害する気がないせいだろう。犬野郎ばかり必死で、可愛そうなくらいだ。


『そんな甘いことで地上に出られると?』


 俺は牙をむき出しに口をわずか開く。人の顔ならにやりと笑っているところだが、狼では少し獰猛に見えたかもしれない。


 一番やる気の犬野郎がびくりと震えた。よからぬ気配に敏感なのだろう。


『この身はクレムナムの呪い。ならば何を変える何を壊す何を呪う』


 余計に笑ってしまいそうになり、俺は笑い声を押しのけるように呪い、流れるように解法かいほうを詠う。


『呪う呪うこの身をも呪う。壊す変える作り変える。この身は鋭く鉄より固く鉄より柔軟に。形を変え姿を変え一振りの剣となる』


 俺は毒で本来の姿に近くなり、呪いで人の形になる。毒が切れるまで放っておけば人の形に戻ることになるのだが、後が面倒ではあるが少し手を加えれば何にだってなれる。


 無粋だが切れ味が自慢の大きな剣にだってなれるのだ。


『特別だ、王子様。続きはあんたが作るといい』


 俺は大剣となり、床に刺さると王子様に丸投げする。


「吹き荒れろ風の子らよ!」


 王子様でなければ手加減はいらないとばかりに、魔術師が短く唱えた。


 かなり省略された詠唱だったが、城仕えの魔術師は伊達ではない。大剣となった俺に突風が吹きつける。


 しかし魔術師が思ったより大剣は重かった。床に倒れるだけで済んだ。


「大丈夫か!? 丸ごとか!? 戻るのか、大丈夫なのか!?」


 慌てて声を張り上げた王子様は、床に転がっている俺とは違い忙しいようで上下左右跳ねて飛んで転がっての大騒ぎである。

 王子様が大剣を手に取らないよう、犬野郎と熊男が王子様の邪魔をしていたからだ。


 狼がしゃべるだけでも厄介な香りがするのに、剣になるわ、その上まだしゃべるわで嫌な予感しかしないのだろう。犯人たちが手を緩めるのは愚策といえよう。


『おう。俺にとっちゃあ仮の器の形は何でもいいんだ……どれ、もう少しおまけしてやるか』


 ようやく賢くなった犯人たちや避けて防いで反撃までしながら俺に近寄ろうとする王子様に敬意を示し、俺はさらに化け物らしく振舞った。


『この身はクレムナムの呪い。ならば剣でも呪われよう。仮の使い手とて呪い、その手から離すことあたわず』


 詠い終わると大剣は宙に浮き、柄を王子様にむけ飛ぶ。王子様を仮の使い手とし、手から離れないように……離れているなら戻っていくよう呪歌を紡いだのだ。


 剣でありながら呪歌まで使える。化け物としてはなかなか規格外だ。流石は呪いの大元だと褒め称えたっておつりがくる。

 犯人はことばを絶し、王子様は混乱しながらも剣を受け取るのに必死で誰も褒めてはくれなかったが。


「な、どう、だいじょうぶなのか……?」


 混乱が過ぎて俺の心配しかできないらしい。

 ここまで混乱しているのなら、むしろ剣を無事に受け取った王子様を褒めるべきだろう。


『大丈夫。俺は原液だ。わかるだろう?』


「わからなくはないが……!」


 剣を必死に抱え、犬野郎の爪を避け、王子様は椅子を蹴り飛ばす。

 この混乱を隙だと考え行動することができた犬野郎はなかなか見どころがあるといえた。他の二人など王子様と一緒に混乱して目を白黒させている。


 もしかしたら犬野郎は知らないから反応できたのかもしれない。他の二人は魔術などの予備知識があるせいで、俺がしたことがどれほど無茶であり得ないことかわかるのだろう。


 けれどクレムナムに長くいればいるほど、人を捨てれば捨てるほど、無茶でもあり得ないことでもないと思うようになる。

 あのクレムナムの新人と思えない王子様でさえも混乱でことばを詰まらせるくらいだ。それもなかなか年季のいる話かもしれない。


『混乱したままでいいから、詠って作れ』


 だから、仕組みとか俺がどういうものだとかは置いておいて、俺の心配は無用だと理解してくれればそれでいいのだ。

 俺は特に説明せずに王子様に呪歌の続きをうながした。早く王子様の武器を作ってしまわねば、犬野郎以外も衝撃から立ち直ってしまうからだ。


「詩はうまくないといったのにっ」


 そんなこともいっていた。最近のことだというのに、ずいぶん昔の出来事のようだ。

 犬もどきたちを追って忙しくしていたせいもあるが、王子様といる時間はかなり濃かった。王子様の腹が減ったり、王子様が色々食ったり、俺がそれらにおののいたり……食欲の印象が濃い日々だったが。

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