届かぬ思いはいつ消える3

「王位継承権争い……」


 小さなものは城内で、大きなものは他の国まで巻き込むことのある争いである。

 暗殺がうまくいかないといっては城に居るものが死に、隣国の王家に嫁いだ姫に子があるといっては争いの種をまく。


 子が多ければ多いほど争いは激しくなる。

 王子様は生前、民に愛された王族だ。


 頭の回転も早い方だし知識も豊富で真面目である。顔はありがたくて拝むほどの芸術作品であるし、よく動き戦い、自分自身がなんであるかの自覚もあった。


 争いが激化して後に王子様が生きていれば王位を望まれることもあっただろう。


「そうです、だから我々には殿下が必要なんです……!」


 まさか死んでから王位を望まれるとは、当の本人どころか神話で邪神にされた化け物とて思わない。


「そんな……今更」


 どこにも行けず寄りかかれず、王子様はよろよろと後退した。

 ないといっていた価値が降って湧いた上に、王になってくれと求められたのだ。王子様が茫然自失となるのも頷ける。


 けれどクレムナムにいる以上、その価値はあまりに儚い。

 俺は正気に戻れと、服ごと王子様の腕に噛み付く。わざわざ飛び上がって噛み付いたせいで意外と食い込んでしまった。


 王子様は痛みに顔を歪め、魔術師が慌てて俺をはたこうとする。

 急に大型犬に噛み付かれたようにしか見えないのだから魔術師の行動は間違っていない。


「これは……駄目だっ」


 噛み付かれた本人は魔術師から俺を遠ざけるために、素早く腕を引いた。俺がはたかれるのを良しとしなかったからだ。


 しかし、せっかく王子様が避けてくれたのに、王子様が腕を引いた瞬間、俺はぶらぶら振り子のようにふれ、厨房のほうへと投げ出される。


 あのまま噛み付いていてはさらに王子様の腕に牙が食い込みかねないと思い、その勢いに逆らわず口を離したからだ。


 俺は投げ捨てられた雑巾のように宙を飛び、厨房に一番近い長机を蹴り、着地する。

 かなりうまく着地できてしまい、見せつけてやろうと王子様を見ると王子様は眉根を寄せてこちらを見ていた。今にも泣きそうな顔だ。


『そんな顔しねぇでも俺はあんたより元気だよ』


 王子様が情けないにもほどがある顔を晒すから、気がつけば声が出ていた。

 何の変哲も無い狼のふりをしていたのに台無しだ。


「しゃべった……!」


 城下街の時も今も、たかだか狼がしゃべったくらいで驚かれ、警戒される。

 俺がただの狼みたいな顔をしていたのは、犯人側に俺の顔が知られているだろうと思って気を使った結果だ。


 けれどこんな反応をされるのなら、犯人なんて知りませんよという顔をしていた方がよほどましだった。


『狼がしゃべった程度でなんだ、その反応は。化け物としての根性が足りねぇんじゃねぇか』


 睨み付けてついでに唸ってみせると、魔術師ではなく王子様が笑い出す。


『なんであんたが笑うんだ』


 不機嫌を前面押し出しにすねたようにいってやると、王子様はなんとか笑いを押さえ込もうとした。


「いや……っ、化け物に根性とはっ」


 収めたい笑いが引っ込みきらない。地味な笑い方で王子様が笑うから、魔術師も見てはならないものを見たような顔をし始めた。


 最初の笑い声が大きかったせいで、険悪な雰囲気でいいあっていた男たちもこちらを見て目を丸くしている。踏んだり蹴ったりだ。


『……で、どうすんだ? 王子様』


「その……呼び方は……」


 王子様の置かれた状況を思えば、これほど皮肉の利いた呼び名もない。

 いつもどおりやめてくれといおうとした王子様もそれに思い当たったか、すぐに口を噤み、俺が押し付けた篭の中身を手に取った。


 四等分の白花紅はっかこうは皮も剥かれていなければ種もとられていない。食べやすいようにとしたことだが、半端な気遣いだ。

 王子様はその半端な気遣いをそのまま口に入れると、咀嚼しながら俺の元に来た。


 食べながら歩いているが仕草は上品だし、騎士服が白くてつくりのいい服であるため余計に王子様然として見える。だが種も気にせず食べてしまう姿は、見たものに少し雑な印象を与えた。


 なるほど妹のいうとおり、大雑把な男だ。

 これ以上驚くことなど何もないだろうに、犯人のうち二人は王子様の様子を見て口をあけて動けずにいた。


「俺はまだ王子様らしいが、本当のところ、いつも腹が減っているただの化け物だ」


 篭を机のうえにおくと俺の頭を撫で、今回はきっちり毛並みを堪能し犯人たちに振り返る。


「だからすまない。地上に帰るつもりはない」


 生き返るか否かは何度いいあっても平行線だ。ならば王子様自身の意思を伝えればいい。帰らない理由は色々あれど、それが王子様の結論だ。


「ですが!」


 王子様のいうことに納得しておらず、王子様が居なければ駄目だと考える魔術師は粘る。本当のところ、俺にとってごちゃごちゃとした人の理由はどうでもいい。

 俺は王子の前に出て身構える。


『あんたもしつこいな……神話を持ち出すんだったら、ここがどこか女王が何かくらいわかるだろ? 都合よく一部だけ事実だってんのは甘すぎんだろ』


 地上で広く知られている神話いわく、かつては死人の国も地上と繋がっていた。しかし死んで肉体をなくしたものがあまりに無体を働くから、一人の女が入り口を塞いだ。


 俺の知る限り、妹の力を危ぶんだ神々が死人の国の蓋にしたというのが事実だが、大事なのは妹が死人の国から死人を外に出さないようにしていることである。


 クレムナムは死と生の間の国……死人の国の入り口の上にある国だ。その国の女王が妹であるということがどういうことか、犯人たちにもわかるだろう。


『騎士服着てるの見りゃあわかるが、王子様は女王の騎士だ。国の実情を知らないとでも? そんな下っ端面だとでも? 愛でるだけの器だとでも?』


 面は関係ないといいたいところだが、女王が面を重視しているのはクレムナムでも神話でも有名な話だ。愛人も複数居るし、眺めるだけで満足することもあるようだが、王子様を眺めるだけではもったいない。


 王子様は使わなくても輝くが、使えば更に輝く逸材なのである。

 だからこそ魔術師も熊のような男も王子様にこだわったのだ。


 王子様にこだわった二人は苦い顔をして、王子様に目を向ける。目で助けを求めた王子様は白花紅に手を伸ばすばかりで、二人に手を伸ばすことはなかった。


「だからいっただろ、こんな奴」


 ほら見たことかと得意げに口をゆがめた男を黙らせるため俺はまた口を開く。


『ああ、ひとついっとくけど、クレムナムからは出られないことはねぇけど生き返ったりしねぇの事実だから。地上とここ出入りしてる狼はまだ生きてるだけだから』


 邪神とかおかしな呼ばれ方をしている狼そのものがいうのだから、間違いない。


「何をいってやがんだ、この犬!」


『あんたこそ何いってんだ。俺は狼だっつうの。犬に似てんのはしかたねぇけどよ、狼だから』


 証拠とばかりに牙を見せて唸ってみたが、犬とて同じようなことができる。

 犬に化けることのできる、感じも顔つきも悪い……俺と類似点が見当たる面構えの男ならわかるだろう。犬と狼は種類が違うだけなのだ。


「そういうわけだ。本当にすまないが、諦めてくれ」


 白紅花を食べ終え、王子様は俺の横に一歩踏み出した。


「……諦められないというのなら、騎士として仕事をしなければならないが……かまわないか?」


 常に腹ペコであるしちょっぴり人間くさいが、仕事ができる相棒ができたものだ。

 俺は尻尾をむずむずさせながら自慢をするために胸を張った。

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