届かぬ思いはいつ消える2


 神話は俺にとって元あった話を面白おかしく都合よくしたものだし、王子様にとっても遠く現実的とは思えないものである。

 クレムナムの人にとっても神話はおとぎ話のようなものだ。


「クレムナムも神話のようなものですよ」


 けれどクレムナムという死と生の間にある国に来ると、もしもを考えてしまう。

 もしかして、神話も本当なのではないかと。


 熊のような男と魔術師もそう考えたのだろう。

 王子様にどんなにすげなく否定されても、俺に割り込まれ少し距離をとることになっても、二人の目にはいまだ力がある。


「それでも生き返ることはできない」


 俺の頭に小さく震える手を置いて王子様は断言した。

 王子様が頑なな態度をとるは王子様がいっていることが事実だからだ。


 いくら熊のような男が困った顔をし魔術師がもどかしげな顔をしようと、態度を軟化させれば話は長引くだけだ。否定するしかない。


「地上には戻れる。だが化け物のままで飢えながらだ。戻ったところで……暴れることしか出来ない。お前たちは家族や友人を襲う化け物になりたいのか?」


 クレムナムに留まっても誰かを襲う夜者やしゃという化け物になる。早いか遅いか襲いかかる対象が化け物か否かの違いしかない。


 強いてもうひとつ違いを述べるなら、地上に帰る前に必ず女王に邪魔され消滅の危機が増えるくらいだ。


「もういいだろっ! そいつはいくらいっても無駄だ!」


 王子様の態度にまっさきに痺れを切らしたのは、感じの悪い男だった。

 医院でも人魚屋でも変わらず苛立っている男は、王子様の話を聞いている様子もなく他の二人に怒鳴る。


「だが、殿下がっ、殿下が居なければ……っ」


 王子様を人魚屋に連れてこようと食い下がった魔術師ではなく、王子様の信者にしか見えなかった男が嘆く。


 俺が見た限りではいつも困った顔をするばかりだった男が、人魚屋の石床も震えそうなほどの悲しく痛い声を上げたのだ。


「そんなもん、いくらでも代わりが居るだろうが!」


 感じの悪い男が怒鳴ると、すぐに優しそうだった男が怒りの表情を浮かべ自らの服を握った。暴力を振るわぬよう堅く握った拳とは裏腹に、怒りが男を動かす。


「お前は黙っていろ……! 私たちを騙してうまくやったつもりだろうが、わかっているんだぞ!」


「な……に、いってんだ! いいがかりにもほどが」


「いいがかりだと? 本当にそういいたいのか?」


 堪えたところで一時しのぎにしかならなかった。

 熊のような男が怒鳴り返したことばは図星だったようで、感じの悪かった男の顔色を悪くさる。


 魔術師と一緒に懸命に王子様を説得していた様子からわかったが、男も王子様と同じ国の出身で、どうあっても王子様を地上に連れ帰りたかったのだろう。

 おそらく感じの悪い男以外はもともと仲間だったのだ。


 感じの悪い男ばかり糾弾されているが、実際、いくらでも代わりが居たから王子様は王位から程遠い場所にいた。とても慕われていたという話だから、病に臥せったときもきっと全快を望まれただろうし、死してなお生きていればと惜しまれただろう。


 だからこうして一緒に蘇ろうとするのも、自然に受け入れていたのだ。

 けれど、いわれてみるとひとつ気になることができた。


「代わり……?」


 王子様が理解できないというように小さくつぶやく。俺もそれが気になって王子様を見上げた。

 難しい顔をするばかりで王子様は何も教えてくれない。


 さっきまで俺たちに説明してくれた親切な男も、感じの悪い男に食って掛かり、一体何の代わりであるかを説明してくれなかった。


 代わりに耐えるように口を閉ざしていた魔術師が教えてくれる。


「いいえ、殿下しか……! もう殿下しかおられないのです……っ!」


 王子様しか王位に立つものがいない。

 誰が聞いてもそう聞こえる切実さが詰まったことばだった。


「兄上たちがいらしただろう……?」


 呆然とした感情の色が見えない、王子様の小さい声が震える。その声が自らのことばを否定していた。

 いないから連中は王子様をつれて帰ろうとしているのではないか。


 推測を述べたくもない。王子様は無理やり笑おうとしたが、急に白くなった顔に裏切られた。

 俺も馬鹿なことを考えるなと鼻で笑ってやりたいが、嫌な予感と寒気が同時に背中が這い登り、険しい表情を浮かべるしかなかった。


「お亡くなりになったんです……次から次に、殿下と同じように……いえ、殿下は特別でした。他の方々は手や足といった末端から腐って」


「そんな、のろいではあるまいに……」


 よろめく王子様の服の袖を噛んで引っ張り、俺は場違いにも王子様の理性を心配する。

 怒りだろうと悲しみだろうと酷い事実を前にした衝撃だろうと、理性が飛んでしまえば夜者やしゃになってしまう。大型犬のような格好で白紅花はっかこうまで持って駆けつけた俺の立つ瀬がない。


「呪いだったんです」


 俺の心配を他所に、魔術師は王子様に止めをさす。


「兄上、たちも……?」


 初めて会ったとき、病だといっていた。だがよくよく考えてみれば王子様は初対面にしては自分のことをよくしゃべっていた。あれほどしゃべったのは、用意したことばをうまく話そうとしていたからではないか。面倒くささが勝って今まで気づかなかった。


 本当は王子様も呪い殺されていて、それが神の加護ゆえに兄王子たちとは違った形で出たのではないだろうか。


 神の加護もやけに中途半端なお節介を焼いたものだ。おかげさまで王子様はクレムナムまで流されて、また呪われて、こんな目にあっている。


「弟は……? 兄上たちも皆いなくなったわけではないだろう? 公爵だっていたはずだ」


 王子は顔に手をあて、再びふらふらと魔術師との距離をつめた。

 王の子ばかりが王位を継ぐわけではない。いくらでも代わりは居るはずなのだ。


 だが、王子様は焦るばかりに失念している。代わりがいるからこそ起こりえることもある。かつて数多の国がそれで滅びた。


「殿下のいうとおり、何人か残ってしまったんです。残ってしまったから……我々はここにいるのです」


 王子様の国も例外ではなかったのだ。

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