届かぬ思いはいつ消える1

 結論からいうと白花紅はっかこうは旬なだけあり、たくさんあった。


 しかし、すぐに食べられるようにとざっくり切ってもらった白花紅を、俺はまだ王子様に渡せていない。


 何故なら王子様が人魚屋に勢いよく怒鳴り込み、俺がでしゃばる隙を無くしたからである。


「何故、あんなものを作ったんだ……!」


 人魚屋の階段を駆け下りて店内に入るや否や、王子様はいつもの穏やかさが嘘のような形相で魔術師を見つけ出し、その肩を掴んだのだ。


 そんな王子様の勢いがよすぎて、俺は白花紅の入った籠を床に置いたまま、隠れていた机の下で身構え動きを止めた。


 今駆け寄って王子様に白花紅入りの籠を突きつけるのは、あまりに具合が悪い。


 仕方ないので机の下に隠れたまま、俺は王子様とその他の連中を眺め、時期を待つことにした。


 そうして机の下で動きを止めた俺と同じく、その身を固めた者がいる。

 王子様の知り合いである魔術師である。


 王子様のいうことに心当たりがあったのだろう。魔術師は固まった身体をこわごわと動かし辺りを見渡す。そしてこの場に自身と仲間、王子様しかいないのを確認すると、弱々しい声を上げた。


「……薬をご覧になったのですね……?」


 犬もどきが薬とともに魔術師たちの下から大量に居なくなったのだ。犬もどきを捕まえていた王子様の手に薬が渡るのは予想できる。


「ああ。魔女の魔術薬だというのも知っている」


 王子様の硬い声に魔術師は助け求めるように仲間である男二人に目を向けた。

 熊のように体格の良い男は悲しそうに眉を下げ、感じの悪い男は苛立ちを隠さず舌打ちをする。


 対照的な反応であったが、魔術師を助けようとはしない。

 魔術師は油のささっていない歯車のような動きで王子様と顔を合わし、声を絞り出した。


「……どうしても人員が必要だったので……作りました」


 人を一時的に犬にするだけの薬で何故責められなければならないのか。そうとぼけることもできた。

 けれど、魔術師は正直にそう答える。


「何の……何のために」


 こういった何かを治すでも抑えるでも誤魔化すでもない薬物を売る側の目的は、だいたい決まっているものだ。


 金か混乱か洗脳である。


 あの薬は、見たところ犬になれるだけの薬だ。少し珍しいが、この国で儲かる薬ではない。

 捕まえた犬もどきたちの様子からして依存性はなく、洗脳された様子もない。


 犬もどきがちらほら姿を現したあたりで女王が手を打ったため、さほど混乱もしていない。

 あの薬があったところで、何にもならない。


 しかし王子様は駆け出した。

 その薬が事件と繋がっているからである。


 事件といっても犬もどきが大量発生したこと、街で暴れたこと、医院が襲われたことくらいだ。

 人が消滅したわけでもなし、見た目は派手だがクレムナムでは大したことではない。


 すべてそれほどの大事ではなかった。

 だからこそ、まだ間に合うと王子様はここまで急いでやってきたのだ。


 飛び出したときは瞬間沸騰のようなものでただ走り出しただろう。しかし、時間が過ぎるほど頭は冷え、違うことで焦る。

 よくあることだ。


 その証拠に俺も机の下で、固唾を飲んで王子様たちを見つめている。

 機会を見失うと、俺は永遠に机の下から出て行けないかもしれない。


「地上に……地上に帰るためです」


 一方、熱に浮かされたままふらふらする者もいる。

 それがこの魔術師だ。


「殿下……私は貴方様に申しました。生き返る、方法があると……!」


 魔術師の静かな声にだんだんと熱がこもり、その目がらんらんと輝き出した。

 それとは対照的に、王子様が表情を無にする。


「そんな方法は……ないんだ」


 それがいえないからついて行けないといっていたのに、こんな形で王子様は断言した。

 そう、生き返る方法など一つもない。


 クレムナムから地上に出る方法はいくらでもあった。死んだまま、化け物として飢餓感に苛まれ、心を失ってもいいのなら地上に帰ることができる。


 けれど生き返って地上に帰る方法はない。

 

「いいえ。あるんです……! それを、今、説明します……!」


 魔術師は改めて仲間に目を向け、頷く。

 すると悲しそうな困ったような顔でたたずんでいた、熊のような男が王子様たちに近寄った。

 熊のような男は相変わらず王子様に対して丁寧だ。王子様に頭を下げ、口を開く。


「……あの時の」


 王子様が無表情から一転、不思議なものを見たように目を丸くした。

 俺も薄々勘付いていたが、机の下に隠れるときに目撃し世の無常を感じたから王子様の気持ちが良くわかる。


 ここにいる熊のような男は、人魚屋で王子様とぶつかり、医院で俺とぶつかった男だ。

 いい奴だと思っていただけに衝撃があった。


「この人魚屋がどうしてあるか、ご存知ですか……?」


 店主が金を稼ぐためである。

 俺は首を傾げた王子様の代わりに、心の中で答えた。


「ここが、出口に最も近く……それを封じるためです」


 俺は笑い出しそうになり鼻を抑える。

 それは結果的にそうなっただけだ。人魚屋の店主がここで店を始めたのは、ちょうどいい場所があったからに相違ない。


 そのちょうどいい場所を作ったのが、地上に帰りたかった女であり、またそれが足を引きずってまで前へ進んだ店主であっただけだ。

 現在人魚屋がある目的とはまったく違う。


「……ここから外に出られたところで、生き返りはしない」


 王子様のいう通りだ。

 クレムナムの実情を知っている俺は、心密かに頷くばかりだ。


「いえ、ここから外に出られれば……生きて帰ることができるんです」


 クレムナムには長いこと居るのだが、そんな話は聞いたことがない。


 新たな信仰でも流行ったのかと、俺は鼻の頭に皺を寄せた。

 同じくして王子様もその怪しい話に胡乱な顔をする。


「そんな顔をなさらないでください! ちゃんと、理由があるんです……!」


 芸術作品に胡乱な顔をされると、自分のすべてを疑われたような気分になってしまう。

 熊のような男も慌てたように手を振り、王子様に詰め寄った。


「理由……?」


 今度はいぶかしげな顔をし始めた王子様は、すっかり犯人たちの空気に流されている。

 人魚屋に入ってきた当初のような勢いはない。


「クレムナムは死の国の上にあります」


 しかし男がそんなことをいいだしたから、俺は白花紅入りの籠と共に、そろそろと歩きだした。

 この見当違いな話はきっとすぐ終わるだろうと思ったからだ。


「死の国に行けば……狼の邪神イルナミーシェが復活したという出口がありまして」


 神じゃないとか、復活したんじゃなくてもともと死んでないとか、いいたいことは山ほどあった。


 だが、どうやら犯人たちが事件を起こしたのは、イルナミーシェ……友人知人にはイナミと呼ばせている俺が軽率に地上に出てしまったことに原因があるらしい。


 俺は王子様に早めにいいわけするために、その足元に駆け寄った。


 人魚屋の冷たい床に四つの足で……大型犬ほどの大きさの狼姿で駆けつけた俺に、王子様は人魚屋に来て一番驚いた顔をする。


 驚く王子様に構わず王子様たちの間に割り込み、俺は違う俺のせいじゃないといいわけするようにぐいぐいと銜えた籠を押し付けた。


 王子様は押し付けられるまま籠を受け取り、俺の頭を恐る恐る撫でて、少し笑い口を開く。


「それは、神話の話だ」


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