地上に辿り着く日2

 苦しそうにことばを落とす姿は切なくも見える。しかしながら、そのことばには俺にも何やら覚えがあった。

 俺は遠くを見つめ、顎をさする。


「まさかとは思うが、空腹で暴れちゃいねぇよな?」


 その身に覚えだけの決め付けで発言しては王子様の容姿に対する裏切りが過ぎるだろう。そう思って、いの一番に思い浮かんだ事象から目をそらし、少しだけ別の可能性に賭けてみる。


「食欲は暴れた」


 しかし、その暴れ方はやはり俺が知っている暴れ方だった。

 それは食堂における静かな恐怖であったに違いない。その場を荒らすこともしないし食べ方もさすが王子様の上品さだが、黙々と平らげられる料理、増え続ける食器類……厨房は戦場と化しただろう。


「なら外に……食いに行ける金はあるのか?」


 俺はその光景を思い浮かべ身体を震わせる。明日は我が身だ。空腹が限界まで突破したら、その皿に乗っているのは俺かもしれない。


 想像はすぐさま俺に解決策を述べさせる。


「無くはないが……女王陛下が『兄様を謁見の間まで引っ張って来てくれたら臨時収入よ』とおっしゃって」


 女王は兄に寄り道などせず、早々に、確実に、謁見の間に来て欲しいようだ。女王の気まぐれがこんなところにも発揮された。

 その気まぐれ臨時収入をあてにしているのなら、やはり俺と一緒に謁見の間に行かなければならない。


「腹が減ってるあんたの近くにいるのは不安しかねぇんだけど……行くしかねぇな」


 俺にも王子様にとりあえず食っておけと渡す金はないのだ。じりじりと王子様から離れつつ、金がないもの同士、つかず離れず謁見の間へと向かうしかない。


 俺たちは心持ち早足で謁見の間に歩き出す。昼飯時の城内は、昼間にも関わらず人気が少ない。皆昼食をとっているのだろう。


 その証拠に城内は静かだが、冷たい沈黙ではなく暖かな空気がある。


「まったくだ。いつ本人の意思を無視して齧り付くことか……一滴、いや二滴、せめて三滴でいい。血をくれれば収まる」


 その暖かさゆえか気まずさはすぐ忘れ、王子様はいつものごとく俺に血を強請った。俺は静かな城の廊下で音がしそうなほど首を振る。


「無理無理、それで癖付いちまったり美味さを知って吸い尽くされたらどうすんだよ」


 そんなへまはしない。しないけれど、この身体から血を吸い尽くされても俺には本体が残る。現在、外界を楽しむために動かしているこの身体は元尻尾で身体の一部でしかない。


「本体を探……し出せる気がしないな。そうなるとうまく搾取していくしか方法が」


 それは王子様も知っていた。だから、吸い尽くしたところで問題あるまいといわんばかりにそんな化け物らしいことを冗談として口にする。


「なんつう恐ろしいことを!」


「怖いだろう? ならば、少しくらい与えて大人しくさせたほうがいいとは思わないか?」


 実際のところ、それほど怖いことではない。

 王子様が『腹が減った』といい、『一滴、二滴、血がほしい』と求めてくる限り、俺が拒否を示せば王子様は行動しないからだ。


 ある意味これは、信頼なのかもしれない。


「いや、だから少しでも与えたら味覚えるっつってんだろ。めげない奴だな、あんた」


「美味しそうだからな。あと、楽しいからだろうか」


「楽しいねぇ」


 つぶやいて、俺は入り組んだ城の廊下を走らないように歩きだす。


 犬もどきのことがもう少しわからなければ、また事件が起こるまで蛇壁をぶらぶらするだけなのだ。時間はたっぷりある。


 そのたっぷりある時間を、この賢く真面目でそれでいて愚かで可愛そうで優しい王子様の食欲にささげてやろう。

 なんとなくそう思った。


◇◆◇


 そのたっぷりあったはずの時間は、謁見の間で待っていた男によって潰される。


「いやぁ、ここに来ればイナミさんに会えると思ってました」


 喜色満面で手を合わせ、女王の横に立っていた男は医院長だった。


「ふふ、兄様を連れて来てとお願いをして正解だったわ。ねぇ、兄様」


 女王もご機嫌な様子で扇子で口元を隠す。笑いが堪えきれないようだ。


「……まぁ、仕事が早く終わるのはいいと思うけどな」


 俺は謁見の間に着くなり拝礼した王子様の傍で途方に暮れる。

 引きこもりな医院長がここまでくるのは、もちろんわけがあった。


 大量に医院送りにした犬もどきのことだ。朝に搬送したというのに仕事が早いものである。


「そうでしょうそうでしょう。あっしもそう思いましてね、こりゃあ急いで行かないとってんで、がんばりやした」


 ありがたいことなのだが、今日に限って行動も早い。

 俺は頭をがしがしかいた後、女王と医院長を改めて見つめる。


「で、急いで伝えたいってのはなんだ?」


「あら、文句もいわないのね。珍しい」


 王子様の空腹が爆発する前に、せめて買い食いをする時間を作ってやろうと急かしてみればこれだ。


 クレムナムの住民がそれなりに暮らしていけるように配慮するが、被害が拡大してもそれはそれ。楽しみが少し減るだけのことだ。


 妹にとってこの国は暇つぶしでしかなく、この事件とて特段自らを急かすほどのことではない。


 俺とてこの国のことについては、管理を手伝うが何がなんでも人が暮らしよくしたいという心持ではなかった。


 そんな大きなものより、今は王子様の腹具合のほうが心配である。


「それだけ早く終わらせたいんすかねぇ……そうしてくれるとあっしも心行くまで犬もどきの薬について調べられるんすけど」


「薬……?」


 今まで犬もどきについてわかっていたことといえば、痩せた犬になること、人型になることだ。


 薬物や魔術を使っている可能性や、人が犬に化けている可能性についてはまだ推測の域だった。


 それがここにきて、急に薬の話が出たのだ。俺が言葉尻を半音あげても仕方ない。


「そうそう、それそれ。それっすわ。薬で化けたとか吠えてるんすよ、犬もどき!」


「は?」


 しかもその情報が、今までいきがるばかりで何も話さなかった犬もどきからの情報だというから、更に変な声が出てしまった。


「今回大量に捕まえたでしょ。あれね、謀反なんだそうすよ。なんか待遇が下っ端で気に入らなかったとか」


「なんだそりゃ」


 待遇が気に入らないというのはわかる。あの手のいきがっている奴らは往々にして自分自身の器を大きく見ているものだ。もっとできる、もっとすごいと現時点の自分自身を見誤る。


 実際奴らがどれほどできるかは、奴らに接しているわけではない俺にはわからない。


 だが、奴らの上に居た連中がそれと同じように考え、奴らの待遇をおざなりにしていたというのなら不満も出る。


 その上で謀反をしたというのならわからないでも無いのだが……蛇壁辺りで大量発生する程度で何か変わるのだろうか。


 俺は疑問のままに声をあげた。


「ですよねぇ、そうなるすよねぇ。なんでも大量に仲間も増えたしいい機会だったとかって……得意げにペラペラ話してくれるんすよねぇ。捕まってるのに」


 楽しくて楽しくて仕方ない医院長もヘラヘラペラペラ説明してくれる。


 あまりに楽しそうで良くしゃべるものだから、妹も王子様も口を挟みにくいのだろう。先から黙ってじっとしている。


 拝礼したままである王子様はまだしも、妹はもう少し興味を示してくれた方が俺も口を開かずに済むのだが。


 そんな気持ちを込めて妹に目を向けてみると、妹は兄様の仕事よといわんばかりに微笑んだ。


「……わざわざ助けに行くくれぇだ。また捕まったときたら、あちらは痛手だろうが」


 犬もどきの大量発生は、現在進行で俺と王子様の大きな痛手となったが、組織だって何かしている連中にとっても痛手だ。


 何を目的としてこんなことをしているのか、何故犬もどきが必要だったのかはまだ判然としない。


 けれど、これでどうやって犬もどきができたか、また何故犬もどきが集められたかくらいはわかるだろう。


 ひいてはそれが目的や必要の理由につながる。

 そしてそれがわかれば、こちら側があちらを先回りすることも可能だ。


 これを痛手といわずしてなんといおう。


「まったくすねぇ。しかも、前うちに居た奴が一人帰ってきましてねぇ。おかげ様で自然発生説は無くなりやんした」


 連中は詰めが甘いのか、わざとなのか、もう必要ないから手放したのか。なんにせよろくなことではない。


 俺は嫌な気持ちを隠せず顔をゆがめた。

 できたら連中の詰めが甘いことを願いたい。


「それは幸運ね。騎士たちと兄様のお仕事が減るわ」


 俺とは対照的に妹はそういって笑うが、もしもわざとであったり必要なかったりで犬もどきを放流したのであったら、俺たちはここでのんびりしている暇はない。

 金が出入り禁止がという諸事情も投げ出して、厨房から食い物を奪って鱗街へと向かうべきだろう。


「あー……面倒くせぇ」


 ぼそっと零したことばは、王子様に聞こえていたらしい。

 女王の御前でなんという態度だといわんばかりに、服のすそを引っ張られた。


 俺はそれに抵抗するように足をわずかに動かし、何もいっていませんよという顔で医院長に目を向け続きを促す。

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