この水底に夜はなく

地上に辿り着く日1

「どうやって生き返るつもりだったんだろうなぁ」


 昼食のいい匂い漂う城の中、諸々の手続きが完了して疲れた顔をした王子様にしゃべりついでに紙袋を渡す。


 すると王子様は形の良い眉を歪め、紙袋の中身を確認し躊躇した。

 俺からの賄賂を受け取るか否か悩んだからだ。


「あのとき、断っただろう?」


 俺の期待のまなざしと、自らの腹具合と相談したのだろう。王子様は袋の中身を睨みつけた後、ぼそぼそと答え、白花紅の焼き菓子を袋から取り出す。


「つっても、今は仕事があるからって保留にしただけじゃねぇか」


 王子様はあのあと、人魚屋へ行かなかった。

 目先にやるべきことがあったので、人魚屋行きを断ったのだ。その際、真面目な王子様は一切悩まなかった。


 だが、それはそれとして無くしたものが手に入るのなら人じゃなくても迷うものだ。

 あとの仕事は俺でもできることである。俺に任せても良かった。それなのに王子様が人魚屋行きを断ったのは女王の騎士だからだ。


 女王の騎士は、かなりクレムナムについて詳しい。他の住民よりもこの国の事情を知っている。

 特に女王のお気に入りは、知りたくもない事情を知っているはずだ。


 俺と仕事をさせているあたり、王子様はかなり女王に気に入られている。

 新人だというのに、女王や大蛇や俺の正体を知っていて、生前の教養ゆえに俺たちが何をしているかもわかっているだろう。


 それらを知り、理解することはクレムナムにおいての不幸だ。

 生きていると思い込むこともできなければ、生き返るなんて希望も抱けない。死んだままで地上に出ることも思考の外である。


「そんなことは出来ないといえないのなら、一緒に行くべきではない」


 八つ当たりしようだとか、わかっていても夢を見たいとか。そういった考えに陥らない。

 正しさと優しさが出来すぎている。だからこそ、王子様に夢を見るのだろう。


「俺たちとしちゃあ、あんたみたいな聞き分けのいい奴は楽だけどよ。あんたとしてはどうなんだ?」


 王子様の回答は管理者として楽だが面白くない。

 人は何かをしなくともつまらないし面白い、近寄れば見飽きない動物だ。王子様も皮一枚……何枚かはつまらずとも、その芯の方は複雑で面白い。


俺は王子様の芯を見物すべく、一歩二歩踏み入ったのだ。

 しかし俺の思い切った問いは、サクサクという軽快な音で誤魔化される。


「……計三十八名、全員医院に入った。今回は城下街の夜狩人に警備させているそうだ」


 王子様が焼き菓子を食べ知らんふりをしたのだ。


「そりゃあ普段の俺よりひでぇ流し方だな」


「普段より突っ込んでくるからだ」


 指についた菓子を舐め、王子様が拗ねた。


 確かにいわれた通りで、俺はいつもより踏み込んでいる。顔はそろそろ見慣れてしまったし、王子様の空腹にも先回りすることを覚えた。もう、ちょっとした知人というのは難しい。


 踏み込んでしまったのはその距離感のせいだ。

 もはや仕事を終わらせたらおさらばとはいい難い……人のいう悪友に近いのではないだろうか。


「数日とはいえ、危機を乗り越えて……きたのは俺だけのような気がするが」


 そんなことになってしまった原因を探し、口を閉じる。

 すると意外なことに気がつく。


 王子様と出会ってから数日、濃密な時間を過ごしてきた気がしていたが、俺ばかりが危険な目にあっている。主に王子様の空腹に恐れおののく方向だ。


 こうやって考えてみても、俺は伝説の化け物にしては大人しすぎる。


「痺れたり眠気と戦ったりしたのは?」


 そんなこともあったけれど、それは王子様の自業自得であって二人で乗り越えたわけでもなければ二人で遭遇した危険でもない。むしろ王子様によって俺に危険が訪れているし、王子様の危険は俺の働きによりすぐに消滅している。


「だいたいがあんたの仕業じゃねぇか」


 思い返せば返すほど二人でなんとかしたといえないことばかりを浮かんできた。


 俺は愕然として、王子様に疑いの目を向ける。

 あんたが危険を作ってるんじゃねぇのか?


 王子様はその視線をかわし、紙袋に手を入れ続けた。


「女王の命と報酬については大丈夫だった。それも込みで俺を派遣したとおっしゃっていたぞ」


 だんだん俺の視線が疑いから厳しくなっていくのも気にせず、王子様は二つ目の焼き菓子をサクサク食べ、またとぼけた。


 王子様は危険をよく作っているが、昨夜から騎士として大活躍をしている。今日くらい俺が流されてもいいのかもしれない。


「そうか、ならあとは医院の検査を待つばかりだなぁ」


「そうだな。あとは女王に謁見して、医院に寄るだけだ」


 殊勝な態度を見せれば、反撃される。

 犬もどきの事件に関わることになったのもそれのせいだというのに、俺もつくづく学習しない。他人に隙を見せただけだというのに、今回も妹は抜け目がなかった。


「待て待て。妹に会ってきたんだろ? ちゃんと用事も済ませてきたはずだ。事件だって解決してねぇし、すぐ現場に戻るべきだろ?」


 しかし、これもいっておきたい。

 お気に入りの王子様が先に顔を見せているのだ。美しきを愛する妹が凶悪な顔の兄で後味を直す必要はない。


 犬もどきも昨晩捕まえて、ようやっと朝に医院へと送ったばかりだ。

 これまで事件の糸口すら掴めなかったのである。そんなにすぐ何かわかるわけがない。俺たちは今すぐ現場に向かってまた調査を再開すべきだ。


 そんな真面目な主張をぶつけてみたが、俺の気持ちは王子様にも女王にもばれている。


「イナミが面倒くさいだけだろう? それに陛下が『兄様の顔もたまには見たいわ。連れてらしてちょうだい』とおっしゃっていた」


 相変わず俺にも王子様にも有無をいわさぬわがままである。

 俺は口の中に苦味が広がったような気がして、王子様の持つ紙袋に手を突っ込んだ。


 会話の合間に焼き菓子を食べる手をとめなかった王子様のおかげで、焼き菓子は残り少なかった。


「あー……すっかり冷めちまったなぁ」


 少しのぬくもりも残っていない焼き菓子は、それでもうまい。俺が現実逃避に菓子を食えば、王子様が首を傾げる。


「……もしかして、焼きたてだったのか?」


「そう、あんたが来る前に冷めちまったけどな」


 紙袋に入っていたのは人魚屋で作ってもらったものではなかったが、城下街の小さな店で買った焼きたての菓子だった。


 王子様は小さな焼き菓子を手に取り、頬を緩める。


「ならば、あの約束はまた今度だな。今から女王に謁見しなければならないし」


 嬉しそうに笑むわりに、妹に会うことは忘れてくれない。

 さすが真面目な王子様である。


 俺はまた現実逃避に王子様の持つ紙袋に手を突っ込んだ。


「ねぇのかよ」


「ご馳走様でした。これで少し安心して女王陛下にお会いできる」


 王子様に渡すとあって焼き菓子もたんまり買ってあった。それらすべて食っても王子様の腹は黙らないらしい。


「あんた、本当……って、あいつも美味しそうに見えるのかよ」


 王子様が安心して女王に会えるなどというから、もしかして妹も美味しく見えていて噛り付きたくなると思っているのではないか。俺は要らぬ心配をする。


 俺が王子様にとって美味しそうに見えるのは呪いの元だからであって、血はつながっていても弟妹には関係ないとはずだ。けれど、それに他の要因……神が関わっているのなら別である。


 王子様は特別に加護を受けていたようだし、可能性はあるだろう。


 たとえば、王子様が吸血鬼になるように仕組んだのは、神々にとって不必要で危うい部分である俺たちを消滅させるためだとか。


「いや、さほど……だが、女王陛下の前で腹が減ったと暴れたくはない」


 やはり俺の心配は要らぬものだった。しかも、俺からしてみれば王子様の心配も不要のものだ。


 腹が減ったと自己申告をされることは多々あれど、王子様が空腹で暴れたことは一度もない。


 だいたい普段から王子様の挙動は穏やかだ。暴れる様が想像できない。


「あんたが暴れるって余程じゃねぇか。俺だけ顔見せりゃいいなら、城の厨房に……」


 それまでにこやかにしゃべっていた王子様が厨房という単語を耳にしたとたん、空になった紙袋をたたみだし、気まずげにうつむいた。


「……実は、城の厨房、および食堂には出入りを禁止されていて……」

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