夜はいつかの昼の夢2
「さすが、アル王子……!」
王子様のお願いによってこの酒場の半数以上が犬もどき回収へと動き出している。
酒場にいる奴がすべて夜狩人というわけではない。これだけ動いたということは夜狩人のほとんどが王子様の声に従ったということになるだろう。
確かにさすがといえた。
俺はうんうんとうなずきつつ、声のした方に目を向ける。
感極まったように顔の前で手を合わせ、輝く目で王子様を見つめているのは、昼間会った王子様の真面目そうな知り合いだった。
王子様を王族として知っている奴だ。
「まさか、昼間からずっとこのあたりにいるんじゃねぇよなぁ……?」
俺のこのつぶやきも、王子様の雄姿に夢中になっているそいつには聞こえていない。
だが、お願いをし終わり、こちらに戻ろうとしていた王子には聞こえていた。
そいつがいると知った王子様は複雑な顔で首を振り、方向転換をしてそいつに近づきながら表情を作る。
優しく見える笑顔だった。
「昼は挨拶もろくにせず悪かった。あのあと人魚屋は楽しんできたか?」
見事な外面だ。
それもそうだろう。自分自身の王族としての価値を失ったと思っている王子様が、王族としての価値を見出している奴と話をしているのだ。
価値がないだとか、価値を失ったのにまだそんな目で見てくれるのかとか、見ないでくれだとか、王子と呼んでくれるのかとか、呼ばないでほしいとか……そういった複雑な感情すべてを飲み込んで、普通の顔はできない。
それをできるだけ普通に見せるのが、王族の習い性だ。
しかしここのところ、『王子様』というのは煌びやかな容姿につけた通称で、普段は雑に『あんた』と呼ぶ俺と一緒にいたせいか。
王子様はその習い性がうまく機能しなかった。
優しく見える……そう気づかせる顔をしていたのだ。
「いえ、その……まだ……」
生前の王子様とそれなりに親しかったのだろうそいつは、王子様にそんな顔をさせてしまったことに弱々しい声を出した。
王子様の様子を気にせず浮かれていた昼間とは違う反応だ。
「……もしかして、心配でずっとこの辺りに居たのか?」
「アル王子ならば、大丈夫だと……信じていましたが」
人間の心配は長い間忘れることもできず何をやるにも付き纏う。誰かの安否ならばその誰かの声や便りがない限り安心することはない。
そいつが人魚屋にいけなかったのも道理である。
「ありがとう」
人間の王族は時に神や化け物に近い考え方を持つが、ただの人間だ。
心配されれば礼をいうし、嫌なことも顔に出る。
死んだ後にされたことで化け物になったことをも誇りだといった、そんなできすぎの元王族とて例外ではない。
「いえ……」
大好きな王子様に礼などいわれたら、感極まって涙まで流すのではないか。
そう思われたのに、そいつは感極まるのではなく、まるで昼間の王子様のような気まずさを見せた。
いと高き身分の、理想的な人間に礼をいわれたら恐縮する。
けれどそいつの反応は、礼をいわれるまでもないことを申し訳なく思うそれとは違った。
「何か……他にあるのか?」
ぎこちない反応に王子様がいぶかしげに尋ねる。
そいつはますますいい出しにくそうに、気まずそうに口をもごもごさせた。
「その……人魚屋に、行きませんか?」
昼間も食い下がるなぁと思ったが、まさか今ここで誘われるとは思ってもみない。
王子様が作り笑いを浮かべ、困った様子さえ見せたのに、しつこく誘うには確かに申し訳ないし気まずいだろう。
では、どうして気まずくなっても王子様を人魚屋に誘うのか。
俺も少し興味が出てきた。
「食事をするなら、ここではだめか?」
ちらちらと俺が居るほうに目を向けつつ、王子様は可愛らしく首をかしげる。
芸術作品とはいえ、可愛らしさよりも男らしさが目立つ成人男性がそれをしても可愛くは見えない。けれどそれなりに様になるあたりが王子様の芸術性だ。
これが、腹ペコ事案でなければ俺もだまされていたかもしれない。
残念ながら、それはいつの間にか俺のいる机の上に乗っていた今日のお勧め料理を食べたいがゆえの仕草だ。
せっかく王子様とその知人が面白そうなことになってきたというのに、おかげで興どころか肝も冷えた。
早く食ってくれ、俺の身が危険に晒される前にとあきれる気持ちばかり先立って感心することもできない。
「人魚屋に、仲間が居るんです」
そわそわし始めた俺とは違い、そいつはぎゅっと身を硬くし、小さくそういう。
そう思えば昼間も複数で人魚屋に行くような話をしていた。
昼から夜まで待ってまだ王子様と一緒に食事をする仲間が人魚屋にいるのだろうか。
人魚の肉を食うと嘯くような店であっても、人魚屋は純然たる食事どころでしかない。食事をすれば仲間と話すくらいしかできることはないだろう。
しかもいくら流行らない店といえ、そこまでの長い間、あの店主が同じ客を座らせない。もしかしたら貸し切っているのだろうか。
「仲間……昼から待たせているのか?」
真面目な王子様はそんなに待ってもらって申し訳ないという気持ちと、何をしているんだお前はという気持ちになったのだろう。呆れた様子を見せた。
「いえ、彼らも用事が立て込んで」
ずいぶん都合のいいことが起こったらしい。
まるでそいつらも王子様を待っていたようだ。
「本当に?」
王子様も都合がいいと思ったようで、真顔でそいつを正面から見つめた。
幾分声も硬かったせいか、そいつは勢い良く顔を上げたあと泣きそうに顔をゆがめる。
「これは、これは本当ですっ……!」
そいつは辛そうな、何かにすがりつくような声を上げた。
王子様はそいつを責めているわけではない。
芸術作品が嘘か真かを真顔で問うのは相当怖いものがあるが、一切、責めるつもりはないのだ。
本当なら早く人魚屋に行けというだけだし、そうでないなら何故そこまで人魚屋にこだわるのかを聞くだけだろう。
しかしこの問いかけをされている人に、もしも、やましいことがあるのなら責められていると感じるかもしれない。
「アル王子、いえ、シィシェラルディアル殿下!」
あの長い名前をよく覚えていたものだ。
気がつけば俺は口笛を吹いていた。完全に外野からの冷やかしである。
その冷やかしも、王子様には必要なものだった。
思わぬところで思わぬ呼び方をされた王子様は身を固め悲しそうな顔をしていたが、それで正気に戻ったように身体を震わせる。
そのあと王子様は眉間にたくさん皺を寄せ俺を睨み付けた。
外面も悲しい顔も吹き飛んだ、素の表情だ。
「お願いがあるのです!」
王子様の気がそれても、そいつはその口を閉じない。
王子様は眉間に深く刻んだ皺を伸ばし、そいつに振り向くと首を振った。
「殿下と呼ばれて叶えられる願いはない。もう、その資格がない」
現在の王子様の誇りを作った元国民にも、それをいわなければならないのは王子様とてつらいだろう。
だからそいつに対する態度が微妙だったというのに、そいつは思い切り首を振る。
「いえ、いえ……! あるんです! 殿下も私どもも生き返る方法が!」
「人魚屋は人魚を供する店ではない」
もしも生き返るだなんて馬鹿げたことのために王子様を人魚屋に連れて行きたいのなら、これほどこっけいなことはない。
不死になるといわれる人魚の肉を食っても、すでに死んだものが生き返るわけではない。
まして王子様はもう開店休業に追い込むほど、人魚屋で食っている。
それほど食って生き返っていないのだ。人魚屋にいまさら不死を求めるというのはただただおかしなことである。
「存じております……! 確認の際にひと悶着あったようですが、ちゃんと確認いたしました」
「ならば、どうやって……?」
それも人魚屋にしつこく誘う理由ではない。
それでは一体、何で生き返り、どうして人魚屋に行きたいのか。
この水底の国からどうやって、地上に戻ろうというのだろうか。
俺は笑いそうになって顔をそらした。
「だから人魚屋へ、一緒に来ていただけませんか……!」
本当に人は飽きがこない。
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