残酷な再会は夜に惑う3

 王子様の場合、呪いが強すぎて逆にクレムナムの水が薄いのだ。原液でも腹がいっぱいで気持ち悪くならない限り平気である。


 しかしここで原液は濃すぎて身体に毒だとしておけば、俺の身の危険はなくなるのではないか。


「いや、だが……美味しそうだ……腹が減った……」


 それでも、この腹ペコ王子様は食欲に勝てない。俺はそう予感した。


「思ってるよりまずいぞ、不摂生してるから」


 いつもは王子様の不吉なことばを知らん顔をするか、ひと思いに話を変えるところだ。


 しかしこの身を脅かされるのにも飽きた。

 そろそろ食べられない工夫をしてもいいだろう。


 不味いかどうかは定かでないが、不摂生をしているのは本当だ。

 それを理由に王子様の意識改革に努めたい。


「だが、かなり美味しそうに見えるし、美味しそうなにおいがする」


 美味しそうだというのは前から聞いていたが、においまでするというのだから恐ろしい。

 この調子ではふらふらと噛まれそうだ。


 王子様に背後から襲われる日も近い。

 俺は精一杯、不味いと主張することにした。


「見かけ倒しという奴だな。ほら、植物でもそういうのあるだろ?」


 悲しいかな、俺の適当さはこんなところでも健在だ。

 俺はわざとらしく友好的な態度で明るく誤魔化す。


 結局食べられない工夫をしても、俺は王子様を誤魔化すことしかできないわけだ。

 今まで捕食される側に回ったことがないので、不甲斐ないことにうまく切り抜けられない。


「あれは捕食するためだろう? お前は何を捕食するんだ」


 頭がいいのも考えものだ。いつもは話が早い王子様も、こんな時は厄介な敵だった。


「頭から人間をバリバリと……しても、不味そうだなぁ……」


 無理矢理押し通そうとして失敗する。

 俺は獲物を追い詰めたり誘ったりして捕食する側にも回ったことがない。


 本音がポロリとこぼれてしまった。


 こうやって考えてみると俺はなんと平和でのんきな化け物なのだろう。呪いさえなければでかくて怖そうなだけで無害にも思える。


 地面に転がる犬もどきからすれば、何が無害なものかといいたいだろうが、思うだけなら問題ないだろう。


「ならあれだ。しめしめ、罠にかかっ……別に俺が何かやらかさなくても人間は勝手にやらかしちまうしなぁ。あきねぇよな、人間」


 こうなると捕食するためだという説は捨てるしかない。

 代替案として懸命に悪ぶってみたものの、のんきで無害な化け物には荷が重すぎる。


 あえなく、また本音ポロリだ。

 俺というやつは正直者である。


「そもそも俺はもう人間ではない……ところで、手が止まっているが」


 何処に隠れるでなく正々堂々と正直にふらふらだらだら生きてきたせいか、誤魔化すのは得意じゃない。


 王子様は俺のへたくそなそれをいつも流してくれる。他人に踏み込む境界がはっきりしているのだ。


 王子様も俺と同じような、他人であり、踏み込みたくないがゆえの優しさがある。


 だが、おしゃべりに夢中になって手を止めている俺を逃さない。そこも見逃してくれてもいいのに、真面目な奴である。


「いやぁ……やっぱり、多いわ、これ。他の連中呼びに行こうぜ」


 さすがにこれは誤魔化せないのが、俺の適当さだ。さっそく王子様が真面目さで締めてくれたのだから、しっかりしている。


 頭をかきながら笑い、俺はこの作業から逃れる方法を提案した。

 やる気はもう底をついていたのだ。


「それまで魔術が持つだろうか……」


 王子様の初めての広域魔術だ。不安にもなるだろう。

 俺も普段なら一緒に不安な顔をして話にのるところだ。


「もつもつ。なんなら俺が呪歌使うからよ。こっからならたぶん、転移屋近くの酒場あたりが近けぇから、そこで声かけりゃいい」


 けれど今は面倒くささが勝っている。

 俺は出しっぱなしの尻尾に手を伸ばす。


「簡単に呪歌を使うなど……まさか、そのふわふわの尻尾を使うつもりではないだろうな?」


 自分の価値について話しているときなど、まるで無だったのに、俺の尻尾の毛くらいでこの嫌がりようだ。


 ご自慢の尻尾であるが、王子様のこの態度には少々身を引いてしまう。


「別に少々はげができたところで、変身過程でまた生えるぞ」


「はげ!」


 俺の毛がきちんと生え変わるという話はこれで二度目になる。

 それだというのに王子様は俺を信用ならないといった目で見つめてきた。


「いや、だから生えるし、普段は拝めねぇし触ることもねぇだろが」


「だからこそ希少なのだ! 見るだけで食欲が満たされ……ないが、腹が減ったし、触りたい」


 まるで三大欲求のうち二大欲求が攻めてきた人間のようだ。


 残念ながら尻尾を触りたいという欲求は三大欲求ではなく、食欲に勝てなかった。俺の身は尻尾程度では守れないようだ。


「ちょっと理性的になってくれねぇか。犬もどきを眠らせるだけだぞ」


「理性は空腹に全力を尽くしている」


 それをいわれてしまっては他に理性を使ってくれと頼めない。


 俺は改めて地面に転がる犬もどきを数え……途中で数えるのをやめた。そして、尻尾の毛を数本抜いて宙に撒く。


「この宙に舞うは狼の一部、呪いの結晶。ならば形は定まらず、深く眠りに誘うも呪いゆえ」


 ついでとばかりに落ちてきた毛に息を吹きかければ、緩やかに眠りを誘う空気が広がる。


「どうしてそんな豪快に……!」


 地面に手をついて悔しがりそうな勢いだ。

 そんなことをされてはまた王子様を起こすのに苦労してしまう。


 王子様が全身で悔しがる前に、俺は吐き捨てるようにいった。


「一瞬で生えるもんに豪快も何もねぇよ」


 起きる気配のない犬もどきを避け、俺は提案したとおり酒場へと歩き出す。


「ならば、血液を少しくらいいいのでは?」


 王子様は俺の案自体には反対していない。さっさと歩き出した俺に、いつものごとくついてくる。


 問題はそこではなく、王子様の食欲だ。


「おい、理性が働いてねぇぞ」


 少しといってたくさん摂取されたらどうするつもりなのだろう。


 やってみないとわからないことはたくさんあるが、やってみたくないこともたくさんあるものだ。

 王子様の食事問題はそれに当たる。


「さすがに理性も限界だ」


 王子様の理性を信じて理性を要求することをやめた俺が馬鹿だった。

 今度からは容赦なく理性の話をしよう。


 俺は心の中で誓い、瓦礫も巧みに避け、すいすいと進む。

 早く酒場にたどり着きたかった。


「今から夜者になるとでも? やだやだ、早く酒場行こう。そしたら食事にありつける」


 食欲で理性がなくなっても夜者になる。

 クレムナムの常識だ。


 王子様に齧られないため、夜者にしないため、俺は酒場に急がねばならない。


「なるほど……一理ある。行こうか」


 食事ができるだけで王子様の足音が早くなる。

 腹を満たしてくれることはありがたいが、食欲を見せつけられるのは恐ろしい。


 怯えることに飽きたというのに、なかなか本能に訴えかけるのが上手な王子様である。


 そうこう考えているうちに、だんだん後ろから聞こえる足音が弾み出してきた。


「変わり身早ぇし、何ご機嫌になってんだよ。酒場のためにもせめて腹はいっぱいにすんなよ……!」


 俺がそんなことしかいえなかったのは、やっぱり正直者だからだろうか。

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