陽は水中でもなお明るい3

 ◇◆◇


「なんでこうなってんだよ!」


 俺は煙草に火をつける間もなく、そのまま飲み込んで毒づいた。


「捕まえ放題だと思うが、そんな悠長なことをいっている場合ではないかっ」


 大蛇に飲まれるとあっという間に蛇壁までつく。

 いくら城下街を出たときが夜だったといっても、深夜になるにはまだ時間がある。


 それだというのに、俺と王子様は大量発生した犬もどきを片っ端から地に沈めていた。


「夜者じゃねぇってんなら、深夜じゃなくとも自由に出るのはわかんだが!」


 一番近くにいた犬もどきを蹴り飛ばすと、すかさず王子様の魔術が飛んでくる。攻撃された犬もどきはキャインキャインと倒れ、すぐに人の形に戻っていく。


「深夜じゃなくともでるんだろっ?」


 そう、夜者は深夜じゃなくても出てくるものだ。


 しかしながら、夜者の活動が活発になるのは深夜であるし、やつらの力がもっとも強くなるのも深夜である。


 ゆえにあまり他の時間帯にやつらを見ることはない。

 これも犬もどきが夜者ならば珍しいことで、人ならば珍しくないことだ。


「そうだとも! それにしたってなんだ、急に! 慎重さは何処に捨ててきたんだ!」


「街中で大暴れした時点で自棄になったのでは! おかげで舌を噛みそうなんだが!」


 王子様が合間合間に魔術を使ってくれるおかげで、こちらに被害なく犬もどきを倒している。


 しかしそれは王子様の早口ことばの上に成り立っていた。舌を噛んで詠唱が途絶えると、この連携は途絶えてしまう。


 王子様には頑張ってという他ない。けれど当然早口には限界がある。


「広域魔術は!」


 犬もどきがたくさんいるのなら、そいつらを一匹ずつ倒すよりは効率的だ。


 しかし、広域魔術は王子様が今使っている魔法より長い詠唱が必要であるため、その場をしのぐに向かない。


 だから王子様に頑張ってもらったが、王子様の舌は高機能でも二枚でもなかった。

 だんだんもたつきはじめ、こちらに向かってくる犬もどきを倒し損ねている。


「時間がかかるが使えなくはない……おそらく」


「なんであいまいなんだ?」


「昔は使えなかったんだが、力が増えた今なら……いける、はず」


 試したことがないのだろう。

 腹が減るので夜狩りだけでなく、使う魔術も制限されていたに違いない。正しい判断だ。


 俺も自分の身のためには、この王子様に広域魔術を使わせないほうがいい。だが、さすがに犬もどきの数が多い。


 人魚屋に一日、二日営業をあきらめてもらうか、もっと食材を買い足して一日中食ってもらえば、餌にされるようなことはないだろう。


 金銭的な面も危ない橋を渡っているが、如何ともしがたい状況はあるものだ。

 苦渋の決断である。


 救いといえば金銭面においてはあてがあることだろうか。

 あの人気がなく、見えるのは人魚か夜狩人ばかりといっていい蛇壁が犬もどきで騒がしいくらいだ。


 非常事態として臨時収入と暖かい待遇くらいは望んでいいのではないだろうか。


「よし、じゃあ、信じるぞ。時間稼ぐから、ここらの犬もどき全部寝かせてくれ」


 数が数であるし、非常事態ならクレムナムの法がさらに緩くなる。

 連中を全員殺したとて、体裁は悪いが罪には問われない。


 けれど、俺と王子様は犬もどきをできるだけ生かして確保する必要がある。

 広域魔法の無差別攻撃では五匹確保できるかも怪しい。


「眠れ眠れ彼の身よ眠れ世界よ眠れ、迷え迷え夢に迷え朝を忘れ昼をまどろみ夜を泳げ」


 王子様は返事の変わりに詠唱を始めた。

 俺はその声を耳にしながらこちらに走ってくる犬もどきを蹴り飛ばす。


 倒す必要はない。今は詠唱の邪魔にならぬよう、奴らを王子様に近寄らせないことが重要である。


「船はすでに用意され船頭は必要なく、ただたゆたえ」


 広域魔術は本当に呪文が長い。

 唱える間に飛び掛ってくる犬どもを人を守りつつ、一人で蹴散らすには手が足りなかった。


 もちろん俺の手も足も足りない。

 仕方なく、二本目の煙草を口の中に放り込み、俺は歯を食いしばる。


 瞬時の変身は、身体を作り変えるときの痛みや違和感がひどい。

 その痛みに耐えるかわりに尻尾を手に入れ、横から飛び掛ってきた犬を叩き落す。


「船の乗り場はすぐそこに広き船にはまだ乗れる」


 倒していないのだから、犬どもは元気に何度もこちらに飛び掛ってくる。


 人ならばもう少し頭を使って飛び掛ってくればいいものを、数に頼っていっせいに飛び掛るしか能がない。


 おかげで怪我をすることもないのだが、尻尾一本ではまだ足りなかった。

 俺が猫や狐なら尻尾をいくつか使えたかもしれないが、今まで尻尾は一本きりしかない。


 なかったものは急に出したりできないし、動かし方もわからず増やせたところで用なしだ。残念至極である。


「風はそよぎ、水は静かに。眠れ眠れ」


 暖かい風が王子様を中心にして全円形に広がる。


 静かで暖かい風は、弱風のようでいて足元をあっという間に吹き抜け、暖かさだけを置いていく。


 犬もどきはばたばたと倒れ、俺はその暖かさによたつく。


 その暖かさは地上の春だ。やわらかい日差しの中、ゆらゆらと船の上に目的もなく、ただゆられるような……気持ちのいい眠りにつける。


 確信とともに頭が重くなり、まぶたを開けておくのがつらくなった。


「おい、俺まで、眠らせ、おい!」


 魔術による眠りは大声程度では覚めない。

 俺は腕に、硬化した爪を立て、俺同様ふらふらとし始めた王子様を尻尾で叩いた。


「ねむい……まくら、か」


「俺の尻尾は枕じゃねぇよ、寝るな!」


 尻尾で叩いた程度では起きられないのはわかる。


 爪を立てている俺もしっかり起きているようで、目をつぶって布団にでも入れば一瞬で撃沈する眠さだ。


 勢いのないふわふわの尻尾に殴られたら、幸せさえ感じるかもしれない。

 しかし、枕だなんてあんまりだ。


 俺は身を低くすると、今度は尻尾で王子様の足を払う。

 眠かったせいだろう。王子様は見事に膝から地面に落ちる。


 実に痛そうな鈍い音がした。


「いたい……」


「痛くねぇと起きねぇだろうが。王子様のその、人を巻き込む魔術はなんだ? 価値が云々の延長で他を巻き込むんなら考えもんだぞ」


 自分自身に価値が見出せないから、自分がどうなってもいい。

 だから自分自身に魔術がかかっても気にしないのだ。


 それに巻き込まれたというのなら、こちらはたまったものではない。


 睡眠系の魔術だったから良かったものの、もし攻撃系の魔術だったら俺もこんなところで巨大化しているところだ。


 犬もどきを残らず眠らせたのは褒めるべきだが、こちらも寝てしまっては意味もない。


 蒸し返してしまうが、それだけは気をつけてもらいたいものだ。


「これは、たんに……初めてで。まさか、こんな……ねむい」


 『これは』というあたりに、ならば前の痺れた時はそういう心積もりで魔術を使っていたのだなとわかり、俺はため息が出て行くことを止められなかった。


「魔術使って終わりじゃねぇんだ。あんたが請け負った仕事は、王子じゃなくてもきっちりこなせ。俺にとっちゃあ、あんたが王の子である価値なんてあってもなくても関係ねぇんだから」


 冷たいようだが、事実である。

 俺が王子様の価値についてよくわからないのは、このせいもあるだろう。


「いいゆめ、みれそう」


 しかし夢の国に旅立とうとしている王子様は、ふふ……っとやわらかく笑うと地面に向かってゆっくりかしぐ。


「だから、寝るな!」


 俺は自慢の尻尾から毛を数本引き抜き、王子様に向かって投げつけ、詩を詠う。

 こんなことで呪歌を使わなければならないとは……不本意である。

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