陽は水中でもなお明るい2

 あっという間になくなってしまう白花紅の菓子を思い浮かべ、俺は悲しい声を上げそうになった。


 なくなればまた買えばいい。まだしばらくは旬だから安く手に入る。この仕事の報酬さえ手に入ればいくらでも食べられるはずだ。


 自分自身にいい聞かせても悲しいものは悲しい。

「まぁ……その、あれだ……とにかく、犬どもだ」


 あまりの悲しみにうまく話題を変えることもできなかった。


 王子様は俺などよりよほど切り替えが早い。元気のなくなった俺を追い越し、首をひねる。


「その犬もどきなんだが、結局何なんだ?」


「というと?」


 俺は白花紅のことを頭の隅に追いやりつつ、今まで遭遇した犬もどきとそれに関する事件を思い出す。


 あの犬は色々と規格外である。


「夜者にしては弱い。戻るはずのないものに戻る。仲間がいる。そのうえ、わざわざ助けに来る。そんな夜者は見たことがないと同僚がいっていた」


「そう。あの犬もどきは弱いし、元の姿に戻る。仲間がいて、助けも入る。これは今までなかったことと、なくはないが珍しいことだった。とくにここ百余年は見かけない類だ」


 王子様でなくとも疑問に思うだろう。

 それほど犬もどきは珍しく、おかしかった。


「だが、そりゃあ夜者であるならばの話だ。もし、それがただのクレムナムの住民なら話は変わる」


 クレムナムの住民の姿はさまざまだ。

 人の形をしている者もいれば、半分違う動物の形をしている者もいる。


 二足歩行の犬もいれば、人の形でありながら犬の皮をかぶったような者もいた。


 足が二つだけとは限らず、手も多い。尻尾もあれば、逆に足や手がないこともある。


 人の形など微塵も残っていない者とて少なくない。


 そう、クレムナムの人は多種多様だ。

 だから人型絶対主義者などという過激派もいる。


 そんな色々を内包する国に犬になる人がいてもおかしくはない。


「……だから、医院に行ったのか?」


 顔は良いが燃費は悪く常に腹ペコ、素直で切り替えが早く頭の回転も速い。


 空腹なのは置いといて、まぶしさぐらいなんということはない、いい人材だ。


 俺はわざと口笛を吹きにやりと笑う。


「そのとおり。俺は犬もどきが人ではないかと確認しに行ったわけだ。だが」


「根こそぎ持っていかれた」


 結果は王子様のいう通りだ。犬もどきは誰かに回収されていた。


 あれは助けたのか口止めをしたのか、どちらにせよ俺たちの手が届く場所に犬もどきはいない。


「やってらんねぇよなぁ。けどおかげ様で、街中で騒ぎを起こし、女王管理下の医院を破壊してまで、犬もどきは逃げなければならないってぇのがわかった。皮肉なもんよ」


 打って変わって王子様は逃げもせず、大蛇の頭を目指していた。


 死ぬかと思ったと王子様にしては珍しいことをいっていたのに、よく嫌がりもせず、また蛇に飲まれようという気になったものだ。


 それほど白花紅の焼き菓子は効果があったのだろうか。


「何かあるというのはわかったが、その何かをつかむのに必要な証人がいない……本当にすまない」


 白花紅から思考を切り替えきれていない俺は、そんな焼き菓子について決定打に欠けることを考えていた。


 だがすぐ知らぬ顔をする半端な俺でも、王子様のことばにひっかかり顔を上げる。


 すると、王子様の背中が見えてすぐ、淡く光る大蛇と目が合った。


 王子様の気まずそうな背中か見え、視点をずらしたせいである。


 血縁者であっても目が合うことはそんなにないというのに、珍しいこともあったものだ。


「犬に逃げられたのは、あんた、関係ねぇだろ」


 俺は王子様が見ていないのをいいことに、大蛇である弟をじっと見つめた。


 弟は大きな目でまた他人をつれて来たのか、やだなぁ……とこちらに語りかけているようだ。


 用はすぐ済むからちょっとだけ我慢してくれと目で語りかけ、手を立て謝る。


 そうすると弟は、頭を急激に動かさずにフン……と目をそらすという器用なことをしてくれた。


 兄者はいつだって適当だといわれたようだ。


「そうはいうが……」


 王子様は本当に真面目である。

 不真面目きわまりない態度が、弟とやり取りをしている時点であふれ出している俺とは大違いだ。


「強いていうなら、医院で逃がしたのはあんたの責任かもしれねぇけど。それいっちまうと俺にも責任あるしなぁ……適当に反省しとこうぜ」


 態度どころかいうことも不真面目である。気楽に緩めていこうぜとそれだけの話だ。


「適当」


「そう、適当。その辺は俺の担当だから、あんたそんな真面目な声で適当とか繰り返さなくても大丈夫だ。ちゃんと適当にやろうぜっていうから」


 もちろん締めるところは締めていかなければならない。


 そのときは真面目な王子様にきっちり締めてもらう。


 それが俺と王子様のつりあいというやつだ。


「そうか。それは頼もしい」


 この答えのどこが緩んでいるのかという真面目さが、王子様の身体からにじむようである。


「だろぉ? そんな頼もしい俺は、なんと。犬のことも一応医院長に聞いてある」


 適当といったからには、俺もその真面目さに少し付き合うのが礼儀だろう。


 そして俺は、つい数日前にも見た光景を、夕陽も退いた夜の中に見る。


 大きな蛇の頭が地面へとたれてきており、微動だにしないせいで逆に地面から生えているようにも見えた。


 今は目もあわせてくれない大蛇のせいか、夜が暗いせいか。そこは淡い燐光で明るく、その身を反転して急に振り返った王子様に影を落とす。


 あの時とは俺と王子様の位置が違い、若干、俺の口元が綻ぶのがわかった。


「それはますます頼もしい。それで、なんと?」


 さすがにこうして本物の光を背中に背負うと王子様の顔のまぶしさなど、どこにも見当たらない。むしろ表情すらよくわからない。ただ、俺と違い口元は緩くないようだ。


「人である可能性はある。夜者であるというよりよっぽどありえるらしい。むしろそう仮定したほうが『珍しい』が減らせるんだそうな」


 その場に立ち止まり振り返った王子様を、今度は俺が追い越す。そしてその鼻先までゆっくり近づく。


「珍しいものがあるのか、クレムナムの人であっても」


 王子様はここに来てどれくらいたつのだろうか。

 わりと新しく来たということはわかっていたし、特に興味もなかったので聞いたことはない。


 しかし、こうして話していると思った以上に最近なのではないかと思える。

 クレムナムの化け物は、確かに人間ではない。けれど、それでも人間だった。


 それを王子様は知らないと、ことばの端々に感じるからだ。

 先ほどの価値の話にしても、このクレムナムにいる人についても。


「ある。まず、人は変身をしないってところだな。クレムナムの住民になってその身が変化したあとは呪いのせいである程度時間をかけて変化することや、夜者になる際に深化しんかすることはよくある」


 これは女王の騎士をしているのなら、夜狩りをさせてもらえなくても、知ることである。


 王子様がよく同僚に聞いたというように、そうして知識を詰め込まれるのだ。


 騎士は有事の際、戦闘経験の有無など関係なく現場に行かねばならないからである。

 だから王子様も黙って俺のことばの続きを待った。


 俺は合図のがわりに、大蛇の鼻先に触れる。

 大蛇はやれやれというように口を大きく開いた。


 今回は俺たちが入るまで待ってくれるらしい。


「しかし、短時間に別のものになったり元にもどったりはしない……だが、これにひとつ、まじないを加えれば珍しさは半減する」


 魔術、のろい、呪歌……なんでもいい。

 変身するために作られたまじないさえあれば、クレムナムの人でも変身できる。


「まぁ、身体を作り変えるくらいの変身だ。技術と力と……精神力か慣れがいるから、やるやつはそんなにいない」


 たまにいるが、人になりたいやつが大半だ。なにせクレムナムの人は人間だったのである。急に違う人から遠のくと、心の均衡を保てなくなる連中は少なくない。


「とまぁ、推測はたてられるんだが」


「真実を知るためにも、一匹捕まえなければならないわけか。なら急ごうか。夜はすぐ深くなる」


 推測はあくまで推測だ。確実な話でない。

 だが王子様がいうように、一匹捕まえて推測を突きつければ何かしらの反応があるかもしれない。


 王子様が急かすように背中をおし、俺と王子様は大蛇の口の中にはいった。


 すると大蛇はゆっくり口を閉じる。

 前回とは大違いだ。

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