朝の訪れを待つにはまだ夜は深く
陽は水中でもなお明るい1
減ったのならば増やせばいい。
単純明快でさほど難しくない答えだ。
だが、それのせいでまた俺の身に危険が迫っていた。
事の発端は街中に現れた犬もどきがいなかったことにある。
「一匹もいねぇの?」
「全員に逃げられたらしい」
太陽が沈みきった頃、城の近くにある騎士団の詰め所から出てきた王子様に落胆交じりで問えば、残念な答えが返ってきた。
まさかの出来事だ。騎士たちはあのでかい犬だけでなく、小さい犬にも逃げられていた。
あれほど俺たちが簡単に捕まえていたのが嘘のような逃げっぷりである。
「あいつら大丈夫か? 同僚の顔がまぶしすぎて気をとられたのか?」
まぶしい顔を困らせ、王子様が首を振った。
そうだろうとも、皆まぶしい顔をしているのだからまぶしいとすら感じていないはずだ。
では何故、騎士たちは犬もどきに逃げられたのだろう。
俺の知っている限り、奴らは無能な集団ではない。原因を考えるだに余計落胆する。
答えはこれまた簡単で、だからこそ事態は面倒だ。
「もう一匹でかいのが現れてやられたらしい」
「あー……やっぱ協力者がいたのか。全部取り逃したってこたぁ、小さいのも仲間ってこったろうな」
王子様の簡潔で遠慮のない答えは、俺に力ない声を出させた。
医院でこりにこった肩を揉もうとして、俺は手を止める。
みすみすと手がかりを逃してしまったのは騎士だけではない。俺も同じようなものだ。
「おそらく」
王子様は仲間意識が強いらしい。同僚を思い、低くつぶれそうな声で悔しそうに同意した。
俺ならばこうして自分のことは棚に上げて渋い顔をするだけのことなのに、群れる連中はこれだから見ごたえがある。
「こうなれば責任を取って俺が狩ってくるしか……」
やっちまったなぁ……とさっきまで他人事でいた罰だろうか。
王子様が夜狩りをすると腹が減る。
すなわち俺の身の危険だ。
ここに来てようやく、俺は危険を感じたわけである。
「狩るのはいいっつうか、狩らざるを得んからしかたねぇ。けど、呪歌は使うな」
しかし、俺たちの仕事はあの犬もどきを捕まえその謎を暴くこと、場合によっては原因究明後に解決することだ。犬もどきを狩らないという選択はない。
医院でのことや街中でのこともあり、これはもう事件だ。
たとえ犬もどきが自然発生であっても、それらを利用した、あるいはそれらの主格が悪さをしたとあらば捕らえねばならない。
こうなるとのんびり構えているわけにはいかず、この身が危険に晒されるのは仕方ないことだ。
けれどわざわざ朝食になりに行くような真似を誰ができようか。
「結局腹が減るなら早い方が」
「減り方がちげぇよ。あんた本当、隙あらば呪歌使おうとすんな。もっと自分を大事にしろっての」
それが俺の安全にも繋がるはずだ。
自分可愛さゆえの常にはない心温まる忠告である。
王子様も王族ならば、自らの身はことさら大事にしろと刷り込まれているはずだ。
王族は身も蓋もなくいえば、国のために生きることが自らの価値だと教わり、育つ。
結婚して血をつなぎ、他国と繋がる。
逃したくない人材をつなぎとめる。
自国の地盤を固めることもできる。
人質にだせば国を戦から守れる。
国の顔として交易し、他国との繋がりを深めることだってできる。
すべて王族でなければできないことではない。
しかし効率的にそれができる人間が、王族だ。
そのために特別な地位を与えられている。
「そんな価値が、今の……化け物の俺にあるのか?」
王子様は本当の意味で王子様だった。
そうでなければ出てこないことばだ。
王子様は自身の王族としてあった価値を知っていて、かつ、自身がその価値を失った化け物だと自覚している。
だから、自らに価値が見出せない。
「価値ねぇ……」
生まれてから今まで、生きることの理由や価値を考えたことがなかった。
俺にはそういう考え方があるという知識しかない。
明確な答えは出せないし、王子様と一緒に考えるような仲でもなかった。
「あるかねぇかは好きに考えたらいいんじゃねぇの?」
俺は答えを放り出し、石畳を数えつつ煙草箱を取り出す。
他人事と見放すには少々王子様の顔を見すぎたといったところか。
ここが俺の中途半端なところだ。
その半端さからくるわずかな気まずさを煙草で誤魔化そうとした。
「けど大事にして貰えねぇと、俺があんたの朝食になっちまうだろ? 仕事仲間ってんなら、食わねぇ方向で頼むぜ」
しかし小さな箱に煙草は三本しか入っておらず、俺は肩を落とした。仕事以外で吸う余裕はない。
そんな俺を見て王子様は笑った。
「夜狩り後なら夜食だな」
冗談までいったのは、俺の保身に走る速度が素晴らしかったからに違いない。
俺もつられたように笑う。
「そんなに気軽に食うんじゃねぇよ。夜食とか朝食の前だけに簡単すぎんだろ。軽食じゃねぇか」
「夜食というには随分前になる上に、夜食であってもたくさん食べたい」
俺はいつも通り王子様の食欲におののき、絶望する。
夜食が軽食というのは王子様にとって定番ではないのなら、いったい俺は何になれば王子様の食欲から逃げられるのだろう。
夕食だろうか。食卓についてしっかり食べることになるだろうが、食べることには変わりない。
「食べるなら
これが女どものいう罪深い夜食というやつかもしれない。
俺が難しい顔をすると王子様は更に笑った。
「そういえば転移屋に預けた白花紅をまだ回収していなかったな」
「まだ街にいるしな」
あれからまだ一日とたっていない。
それらしく王子様の知り合いから逃げようとしていただけなのに、随分大事になってしまった。
そのおかげで仕事に動きはあったが……一概にそれがいいことだとはいわない。
俺は急に現れて命令していった妹に向けて、心の中で苦笑する。
まさかこうなると思って命令したんじゃないだろうな。
真意を尋ねるように城を見上げると、そんなわけないでしょうと妹の声が聞こえた気がした。
「そうだな。菓子を作るといっていたが」
確かにそんなにうまく妹の思うとおりになるのなら、王子様はこうして俺に菓子について聞くことはなかったのだろう。
俺は心の中で妹に謝り、この仕事を請け負ったときと同じように大蛇の頭を目指し動き出す。
行きは転移屋を使ったが、帰りにそんな懐の余裕はない。あったとしても転移酔いは嫌だ。
今日も俺は王子様と一緒に大蛇に飲まれようというわけである。
「作るっつうか、作ってもらうだな。白花紅の焼き菓子はうまいぞ。焼きたてはとくに」
「そうか。なら、それを楽しみに恐怖を乗り越えるか。また、大蛇に飲まれなければならないのだろう?」
俺がどこに足を向けているか、王子様はすぐに勘付いた。
それもそのはず、転移屋と大蛇の頭がある場所は、詰め所からは間逆といってもいい。王子様でなくとも、一度大蛇に飲まれれば気がつくことだ。
「まぁな。それならうまいやつ作ってもらおうな。俺も食いてぇし」
王子様の食欲にあきれるばかりの俺が、白花紅についてはこだわることが面白いらしい。
王子様はついには楽しそうに笑い声を零した。
「では、張り切って魔術か剣術に励むとしようか」
「健全でいいねぇ。呪いなんて利用するもんじゃねぇよ。俺の血のせいだけどよ」
「その血があれば、万事解決ではあるんだが」
俺は心のまま、弟の下へと逃げ込もうと急いだ。
この身の危険は、白花紅いくつ分で回避できるだろうか。
白花紅は三つでは足りないかもしれない。
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