役割のない夢の中では1
人は動くだけで腹が減る。
過激な運動をしても腹が減る。
呪歌をひかえたところで魔術をたくさん使っても腹が減る。
つまり、何をしたって腹が減るのだ。
「どうして腹が減るんだ……」
それでもあがくように呻いた俺は、クレムナムの無常さを隣で買い食いをする王子様に感じずにはいられない。
「魔術は体内の力を利用して行使するものだ、この結果は当然では?」
無事に人の姿に変身した俺だったが、再び身の危険が忍び寄っていた。
そう、王子様の燃料切れだ。
大ぶりな肉串を八本握りしめ次々と腹に収めた王子様は、まだ物欲しげに辺りを見渡す。
「そうだが、そうなんだが!」
「呪歌はあれほど使うと二、三軒臨時休業に追い込める」
なんという厄災だ。
そんなことになれば食事にありつけなかったご近所さんが腹減りのあまり暴動を起こしてしまう。
「すまないが、まだ美味しそうに見える」
でかい串八本くらいでは腹は満たされないらしい。指についたタレを舐めて、王子様は俺を空腹で威嚇する。
ギラギラ輝く目が満腹で爽やかになるのはいつのことだろう。
俺はこんなところで危険を楽しみたくはない。
「俺の金じゃねぇからいいんだけどよ、それでも報酬は女王にうまく請求しろよ。あと医院の近くで飯食えよ」
俺は心持ち王子様か離れつつ、湖上を見上げた。
もうすぐ夕方だ。
犬もどきは医院に入れられているが、また夜者に戻る可能性があるとして個室に入れられて隔離されている。そのため面会の申請をしなければならない。今から申請をすればぎりぎり面会ができる時間だ。
女王の命で動いていても、緊急時以外は医院の規則が緩むことはない。だからこの面会の申請も時間も絶対遵守である。
「先に行くのか?」
次は麦粥に目をつけた王子様に、俺は首を振った。
「行ってくるから、あんたは食べてろ」
王子様は食べる。俺は面会に行く。
きっとその方が効率的である。
俺の提案に王子様は晴れやかな顔で頷く。さっきまで俺をギラギラした目で見ていたとは到底思えない道足りた表情だった。
俺はポツポツと出店している土産物屋と屋台から目をそらすように背の高い建物を見つめる。
「じゃあな」
悪いな、今日の営業は諦めてくれ。
心の中で目を向けることのできない屋台などに謝り、俺は高い建物を……医院を目指す。
「いってらっしゃい……さてどこから食うか……」
王子様がぽつりとこぼしたことばは聞かなかったことにして、俺は素早く足を動かした。
城下街の医院はクレムナムのなかで三番目に大きい医院だ。おかげで迷うことはない。
けれど大きいといっても、俺が見ている建物の二階と三階部分にしか医院は存在していない。医者自体、クレムナムではあまりいないからだ。
それは病気や怪我がないわけでも、金銭的な問題でもない。
病気や怪我をしてもいつの間にか身体が変質し、それらをなかったことにしてしまうから医者をあまり必要としないのだ。
だからクレムナムの医者は住民たちを消滅から守るため、住民たちが日々を過ごしやすくするために存在している。
その一環が夜者などの研究だ。
俺が犬もどきを医院にぶち込んだのは、怪我の手当てだけではなく、そういった研究をしてもらうためである。
報酬が医院からも貰えるからとか、そんな強欲な理由では……あった。手続きの面倒臭さを知ってからは二度とやるかと思ったものである。
妹のお願いのせいで何度もやるはめになってしまったが。
「相変わらず汚ねぇ建物だな」
そうして何度来ても医院が入っている建物は汚かった。
この辺りは城下街の中でも雑多な場所で、街並みもごちゃごちゃしており、基本的に建物内以外どこも汚い。
建物の外観は街並みに似たようで、やはりどれも薄汚れており位置も高さもまちまちだ。
形と幅だけは似たり寄ったりで、狭い中ぎゅうぎゅう詰めにされたようにも見える。
目が痛いという人もいた。
それほど汚くごみごみした場所でも、美しさを愛する女王は、それを人間らしくて好きよといい、強引に変えようとしない。
ゆえにここはいつでも汚い建物だらけでギチギチだ。ときに道すら建物で潰す。
そういった場合は建物自体が道になる。
この街の医院も同じだ。一階部分の大半は道である。
俺はその道のすみにある階段を登る。一回に四つあるうちのひとつは、狭く、急だ。来客をまったく歓迎する気がない。
しかしその階段を登り切ると、すぐ前に医院の受付がある。ここは誰もが利用できる医院だが、誰もを歓迎する医院ではないのだ。
俺はそれでも階段を登り、受付の隣にある賭場の換金所に似た面会申請所に向かった。
「面会の申請をしたいんだが」
声をかけると、看護服を着た受付嬢が両手を合わせ、へにゃっと可愛らしく笑う。
「ハイナー! ナニと面会カ?」
それにつられ俺もにへっと間抜けな顔で笑い、促されるまま要件を口にのせた。
「女王の僕に犬は必要ない、壱から五なら誰が空いてる?」
この長ったらしい名前はここの医院長の趣味だ。俺は単純に奴らを犬もどきというが、医院長のつけた名前を使うたびに、もっとそれらしい名前の方がいいのではないかと思う。
「オー、みんな不人気。みんな空いてる。レレは新しいコ、すすめるヨ」
医院長のどうかと思う趣味は受付嬢にも及んでおり、たまに美人のお姉ちゃんたちの店にいるような受け答えをする。
受付嬢のくせなら仕方ないが、そういう風にいうよう教育されたと三回目に犬もどきをぶち込んだときに教えてくれた。
そんなどうにも胡散臭いここは、消毒液くさい古びた普通の医院だ。
「じゃあ新しいやつで」
俺が新人よろしくといったところで新しく入ったお店の人は出てこない。
「ハイナー! これが女王の僕に犬は必要ない六の面会申請書ヨー!」
その代りに『女王の僕に犬は必要ない六と手書きで書かれた申請書が出てきた。
「名前書いて同意のトコ、丸するヨ。そうそう、それでダイジョブ!」
お決まりの説明は、何度もしないうちに丁寧さを失っている。俺も説明を聞く前に名前を書いて同意に丸を付けた。もしも申請書の内容がこっそり変えられていたら気が付かないだろう適当さだ。
「じゃあ、申請書と一緒に、センセーに連絡するヨ。お返事きたら、イインチョセンセー立会いのもと、会うことできるヨ」
やはり受付嬢も慣れたものでおざなりな説明をしてくれた。
「わかった。待合室で寝るから起こしてくれと伝えてくれるか?」
俺も勝手知ったるなんとやらで、気軽に伝言をして寝ることができる。午睡は賭け事より好きなのだ。
「ハイナー! でも、四人掛けで寝ころんじゃダメダメヨ! 座って船漕ぐ、イイネ?」
一回、人がいないのをいいことに四人掛けで堂々と寝たことがある。受付嬢はそれを一度注意してから、毎回そうやって釘をさす。
「わかった、しねぇよ。今日は人が何人かいることだし」
ちらりと確認した待合室には、珍しいことに複数人がいた。
消滅するような大怪我なら待ってはいないだろうし、会計待ちか面会待ちだろう。
この医院に常務している医者は少ない。俺の面会もかなり時間がかかるかもしれない。
「いなくてもシナイ!」
そうやって受付嬢から気をそらしたせいか、俺の答えは口約束に聞こえたのだろう。受付嬢が念を押す。
「そうだな、ま、しねぇよ」
俺があまりに軽く答えたものだから、受付嬢はついに唇を尖らせ拗ねた。
「悪い悪い。しねぇから安心してくれ。ちゃんとあのとき反省したから、な?」
「ソウ? なら、今度、キラキラ連れてくる。あれ、目にイイ」
キラキラというのは王子様のことだ。
犬もどきを医院にぶち込んでいる間に、王子様も受付嬢とすっかり顔見知りになっていた。あんな腹ペコ野郎でも、顔がよく普通にしていればまぶしい耽美な生き物だ。
受付嬢は妹と同様に王子様に観賞価値を見出していた。
「了解。王子様がお腹いっぱいのときに連れてくるわ」
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