望むるも一夜にて水底に沈む3
いつもの犬もどきが大きくなったものならば、ある程度痛手を与えれば人に戻る。
だが、この巨大な犬はまだ戻る様子がない。
もう少し攻撃しなければならないのか、あの犬もどきの成れの果てがあれなのか。別種の夜者である可能性もある。
『一緒のような気がすんだけどなぁ』
ぼやく俺に答えるように、小さな……通常の大きさの犬たちが、巨大な犬を守るようにわらわらと集まってきた。
夜狩人や騎士たちの邪魔をしていた犬たちだ。
夜狩人や騎士たちはどうしたと奴らがいた方に目を向けると、奴らは俺を見て武器を構えていた。
「新手か……!」
俺が出てきたことにより、戦場が混乱してしまったようである。
夜狩人と騎士が狼狽えた分だけ、犬たちが活き活きと俺を吠えているわけだ。
悲しいかな、どちらにも敵視されてしまった。
味方であるはずの奴らに新手といわれたのは、きっと俺の姿のせいだ。
俺は狼であって犬ではないが、大きさといい歴戦の面構えといい、どう見たって荒ぶる夜者である。
新たな敵と思われても仕方ない。
『新手じゃねぇよ。俺は女王の味方だ』
俺は出来るだけ落ち着いた声で理性的に話しかける。
夜者とはほとんど会話ができないし、かろうじてできたとしてもどこか噛み合わない。理性がなく本能や快楽を優先するからだ。
だからこうして会話をすれば、味方だと思ってくれるはずだった。
「しゃべった!」
喋る夜者はここのところ見かけず、理性的か否かは問題ではない。
すっかり失念していた。
これでは味方だという証としては弱い。
俺は仕方なく、かかってくる犬もどきを蹴り飛ばし走り回る。
『とにかく敵ではない』
この行動と主張が通じてくれることを祈るばかりだ。
俺はそのまま足元の犬もどきを数匹蹴り飛ばし再び巨大な犬に近寄る。
首を刺された犬は鈍いながらもまだ動く。
騎士たちに足を狙われ、払うように足を動かし続けていた。
その犬の首に王子様はまだぶら下がっている。
「光れ走れ天の子よ!」
ただしくは犬に刺さった針にぶら下がっていた。
その針に向けて王子様は魔術を放つ。
バチバチと青白い光が弾け、針が一瞬光をまとう。
直後にバチンッと何かが弾ける音がして犬が身体を震わせた。
その拍子に王子様は宙に投げ出され、体制も変えられぬまま地面へと落下する。
俺はすぐさま駆け出し王子様を背中に回収した。
「しひれは」
雷系の麻痺がかかる魔術を使ったのだろう。
図体がでかい分強めの魔術を使い、自らも被害を受けたらしい。
舌ったらずにそんなことをいって、王子様は弱々しく俺の背中につかまった。
『もうちょい腹のすかねぇ方法で戦えねぇのか』
地面に落下したくらいでは死なないとはいえ、痛いし骨は折れるし血は失うし、とにかく回復には体力が必要だ。
そうしたらどうしても王子様はたくさん食べなければならない。
これだけ俺が王子様の食事量を減らそうとしているのだ。王子様はもっと自分自身を大事に扱い、腹を少量で満たすようにすべきである。
王子様からの返答はない。
舌ったらずになるほど痺れている者にそれを求めるのは酷だ。
ひとりごととして処理することに決め、俺は王子様を落とさぬように犬に振り返る。
王子様自ら痺れるという犠牲もあり、犬はとうとう動きを止めた。
『あとは騎士たちに任せるぞ、いいよな』
俺よりも大きな犬の夜者でも、動けないなら大したことはない。
小さい方の犬たちも今までどうにかできていたのだから、これも問題ないだろう。
「……ほうひゅうは」
情けなく間抜けな、こちらの力を奪っていく声を出しながら気づかないものだろうか。
王子様が落ちない程度に背中をわざと揺すって、俺はこの程度で背中から落ちそうになっている王子様の現状を教える。
『あんた、そんな状態で戦うつもりか』
「おええなく」
なんとか俺の上に乗っている王子様はことばらしいことばも話せていない。
何をいっているかなんとなくわかるからいいものの、これで戦うといっていたら王子様の空腹など忘れて背中から振り落としてやるところだ。
『報酬はほしいが、この身が可愛い。王子様には見えないだろうが、でかい方の犬がどうにかなったと判断した騎士の視線に攻撃されてんだよ』
数少ない同僚である王子様を落下から救ったのに、連中は冷たい。
やはり俺を新手の夜者として睨み付けいた。
「へひひゃなひ」
『敵じゃねぇけど味方とも判断しづらいんだろうよ』
王子様が寝返ったと思うこともできるし、俺が救ったように見せて攫ったと思うこともできる。
敵とみるには協力的であるが、味方とみるには素性が知れないといったことろだ。
このまま王子様と話していても、騎士たちに襲われるだけかもしれない。
俺は王子様の了承を得ずに再び走り出した。
今度は街のはずれに向かってだ。
「なはは」
『あんたの騎士仲間だろうけど、その状態で説明できねぇだろ』
俺が移動し始めたことに気が付いていても、王子様はなお主張する。
脅されているわけでも寝返っているわけでもない王子様は、いまだ騎士たちの仲間だ。
しかし俺は女王の兄というだけで、しがない夜狩人でしかない。しかも今は狼に戻っていて、女王の兄だとわかる騎士もいなかった。
どう見てもあの巨大な犬に似た化け物の一匹でしかなく、クレムナム産の化け物ではないから生態が違うだなんて見た目ではわからないのだろう。
そんな可愛そうな俺を追いかけてくる騎士や夜狩人はいなかった。
何故ならまだ巨大な犬と小さな犬たちの相手をしていて、俺に手が回らないからだ。
このまま人気のないところに隠れれば、自然と俺は人の形になる。
狼の姿はあくまで危険を感じると戻れるのであって、危険がなくなればすぐに人の形になってしまうのだ。
『つうか、いい加減しゃべんな。舌噛みそうでこっちがそわそわするわ』
そんなこんなで自分の身から危険が過ぎ去ると細かなことに気を向けることもできる。
俺はまたしても王子様の怪我すること……空腹を避けた。
「やはひい」
『そうだろそうだろ。怖い顔してっけど案外優しいんだよ、俺は。面倒ごと嫌いだしそれほど関心がねぇからよ』
『優しい』には種類がある。気性が優しい、他人が大事だから優しいのが一般的だ。
俺の場合は無関心さからくる優しさである。関係ないからどうでもよく、関りがないから他人事でいられ、優しい。その上、面倒を避けるためにも当たり障りなく優しいのだ。
それに少し声をかけるだけで、王子様の空腹が避けられる。
俺に悪いことなどひとつもない。
『まぁ、俺が優しいのは身に染みてもらうとしてだ。俺が人に戻ったら医院にいくぞ』
今度はいいなと聞かなかった。
王子様は口を開かず、俺の背中になつく。おそらく肯定したのだろう。
本当に素直な王子様である。
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