深い夜に生まれ狂いし者たち3
「その刃は狼の血、クレムナムの命水。ならば刃は鉄に非らず。鉄に非らずば形は不定、穴を塞ぐもできようか」
呪いの元を解明し、規則に従った
それだけで先の複数の刃も血を止める栓になる。
「うまくいったか?」
「血だまりがあれ以上広がっていないからおそらく」
王子様は夜者に近づきながら、そういって腹をさすった。
他人が痛そうな仕打ちを受けていると、変に意識するあれだろうか。
「それにしても……腹が減った」
気のせいだった。王子様から零れ落ちたことばに俺は目線を下に向ける。
あれだけ食ってまだ腹が減るとは恐れ入った。
王子様の燃費の悪さを再確認し、俺は大きくため息をつく。
「食うなよ」
「食わないが……出血した分くらいなら」
「く、う、な。複数が犬から人に戻ってんだ。なんかあるに決まってるし、そうなるとそいつを構成してるもん食っちまうと移る可能性あんだろ」
王子様がこの場で犬になったら目も当てられない。
食い意地のせいで仕事仲間と戦うのは嫌である。
俺は瓦礫の山から下り、王子様を見張りながらその背にことばを投げかけた。
「で、変わり種の夜者を見た感想は?」
「普段は話を聞くだけだからな……よくわからない」
そう思えば王子様はこれが初めての夜狩りである。
普通の夜者を見たことがなく、話に聞くばかりだったのかもしれない。
「なら、その普段のやつとはどう違う?」
「そうだな……まず、聞くほど強くない」
夜者の強さは一律ではなく弱いやつもいる。しかしそれは夜者の中でだ。
本来ならこれほどあっさり片付かない。
「次に思ったより不味そうだ」
真面目に話していると思えばこれだ。この王子様はどれだけ腹が減っているのだろう。
俺は犬もどきを食べられないよう、心持ち大股で歩く。慣れているとはいえ、こんなとき瓦礫が邪魔だ。
しかし俺の前を行く王子様は、当然、俺より先に夜者へとたどり着く。
王子様は夜者の前に座り込み、その手を取った。
「他にも色々思ったが、最後に姿が元に戻る夜者なんて聞いたことがない」
再び真面目な意見をいってくれたが、王子様の食欲のせいで俺は気が気じゃない。
腹を壊しても犬もどきになっても、結局最後は王子様の責任だ。俺もしつこく止めはしない。正直、王子様が夜者を食べること自体は反対していないのだ。
だが、ここで犬もどき発生の手がかりを失うのは惜しい。
今まで見つかっている犬もどきだけでは、手がかりが乏しいのだ。
「食い気以外は俺と同じ意見みてぇだな……食ってねぇよな?」
王子様が俺に背を向けたまま犬もどきの手を取っているせいで、どうなっているかよくわからない。動きからすると食べていないと思う。けれど、静かにじわじわ齧られると後ろからの判別は難しい。
「脈を確認しているだけだ。それにいっただろう? 不味そうだと」
それは美味そうなら食ったということか。
「大体、肉なんかは嗜好品であって、血を吸う方が」
しげしげと犬もどきを見下ろす王子様の隣にようやくたどり着き、俺は呻いた。
「吸血鬼はこれだから……」
そう、王子様は吸血鬼だ。
地上だけでなくクレムナムでも見かけることの少ない化け物である。
希少な化け物なのだが、希少なだけあり人々の夢と希望と妄想で語られ正確なところがわからない化け物でもあった。
その妄想によればこれほど燃費の悪い化け物ではない。これだけ燃費が悪く食にこだわらないところを見ていると、理想とはこんなに儚いものなのかと憐れむ気持ちすらある。
特に王子様は元王子で吸血鬼なので二つの意味で残念だ。
「気付いていたのか?」
「まぁ……原液っていわれたからな」
長いこと生きているが、弟妹にさえ食い物の原液だといわれたことはない。確かにクレムナムの水は狼の血を薄めたもので、その原液が身体に流れているがあれは少し衝撃があった。
「しかしクレムナムにいるのなら、皆、狼の血が必要だろう?」
その狼の血に呪われ化け物になり、狼の血失くしては動けない。クレムナムの住人はそういう風にできている。
だからクレムナムの水を飲んだり、クレムナムの水で作られた作物やクレムナムの水で育った動物を食べたりするのだ。
「そう。けどお前みたいに俺の血だけ求める奴はそういねぇよ。原液なんて濃すぎるからな。だから単純に原液……血を餌にしている化け物を思い浮かべたわけだ」
それが吸血鬼である。
有名なくせに少ない、人からなる典型のような幻想だ。
「なにより人間は人の形をしたものを食うことを好まない。性質的に変化がなければ……効率的でも食わねぇ」
王子様はそれに頷き、夜者の手を離し立ち上がった。王子様も元は人間で現在人の形をしたものの一部を餌とみているのだ。心当たりがあるのだろう。
もう人間ではないというのに、いつまでたってもクレムナムの住人は人間のつもりだ。
だから化け物でありながら住人は『人』なのである。
「そういうわけだがイナミが美味しそうに見えるくらいには腹が減ってきた」
王子様の急激な空腹は俺の命の危機だ。王子様の燃費の悪さは、果たして原液の濃さのみでまかなえるものなのか。
試したくもない。
「こいつを医院に連れて行くまで耐えることはできるか?」
「できなくはない」
微妙な答えに俺は仕方なく懐を探る。煙草が欲しかったのだ。
しかし、煙草入れの中には一本しか煙草がなかった。火をつけてすぐでも一本では足りない。
「王子様、毒物もってねぇ? ちょっと口にしたいんだが」
「……食うか?」
自らが毒だということらしい。
手を差し出され、俺の顔が歪んだ。
「食わねぇし、その分補充すんなら本末転倒だ。あんたの食欲から逃れるために急ぎてぇんだよ」
「そうはいうが、普段から毒物などもちあるかないぞ」
確かに王子様のいう通りである。
俺は仕方なく煙草入れの代わりに小指ほどの瓶を取り出した。
「今からやることは……といっても、俺の正体に関することは黙っておいてもらいたいんだが、とにかく誰にもいうなよ」
「わかった。アルスラムルスに誓……えないのか……一族に誓うのも……約束する」
王子様がたまに幼いことをいうのは、人間でも王族でもないからかもしれない。
それ以外の意識を持つことがなかったがゆえに、とっさにことばを見つけられないのだ。
「なら少し待ってろ。すぐだから」
そうして俺は小瓶を……毒薬を煽った。
まずい上に一瓶が高いのであまり使いたくなかったのだが、背に腹は代えられないというやつだ。
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