深い夜に生まれ狂いし者たち1

 日が暮れると蛇は油断し、姿を現す。蛇壁は不透明になり、人魚たちの姿を隠す。湖は濃く色づき、蛇はより光って見える。鱗街の瓦礫はその光を受け影を伸ばす。


 そんないつも通りの鱗街の端、蛇壁の傍に俺と王子様は立っていた。


「腕、治ったか?」


 夜までゆっくり人魚屋で飯を食ったあと、俺と王子様は再び蛇壁までやって来たのだ。


「手とはこんな形だったか?」


 左腕を霧に変えた王子様であったが、一度切り離したものは元に戻らないらしい。その分を補給するためにクレムナムの食べ物が必要なんだそうだ。


「それ、右と一緒だろうが。左はこうだ、こう」


 なるほど燃費の悪い王子様は左手を裏へ表へ返し何度も首をひねった。

 それがじれったい俺は袖をめくって教える。


「ちげぇ、見たまんまうつすな。逆だ逆。ちげぇ! 何で裏表を逆にする。そうじゃねぇ、こう!」


 王子様が器用なのか不器用なのか造形に興味がないのか。親指があってはならないところにあったり、腕が裏返ってついていたりと、なかなかもとの造形に戻せない。


 妹が王子様を戦わせない理由がわかった。王子様に任せていては芸術は維持できない。

 俺は仕方なく王子様の背後に回り横から腕を出す。


「こう!」

「なるほど。長さは右と同じだよな」


 ほんのり嬉しそうに右腕を見せてくる王子様に、俺はその腕をはたきぶっきらぼうに返答した。


「そうしとけ」


 王子様が理解してくれたようで嬉しい限りだ。

 俺は王子様がしっかり左手を再生したのを見守り、背後から隣に移動した。


「あんた本当にこだわりがねぇんだな」


 親指の位置が違うとか、腕が裏返っているとかこだわり以前の問題だ。俺のような化け物でも急に違う形になれば不便だし、見慣れないものをおかしく感じる。


 王子様もおかしく感じているようだが、俺にはさして気にしていないように見えた。


「さほど形に重要性をみだせないだけだ。しかし、女王が生れながらにその美しさを持つなら維持しなさいと」


 使えればいいということなのだろうか。しかし物には機能性というやつがある。使えはするが、親指の位置が違っては物を持つとき使いにくいだろう。


「まぁ、あんたが不便じゃねぇなら問題じゃねぇだろうが……形が変われば物の使い方も変わる。それに素早く対処できねぇんなら、この仕事中だけでも元に戻せ。夜者は待っちゃくれねぇ」


 そうはいっても過労で倒れるほど夜者とは遭遇するものでもない。


 もしも夜者が押し寄せてくるなら、それは異常事態だ。しかも夜者が増えるだけクレムナムの住民は減ってしまう。そうならないように妹は働いている。


 そして現在の問題は夜者の数ではなく質だ。


「そんなに強いのか?」


「色々だが……あいつらには理性がねぇ。人間を忘れちまうから本能のまま、今まで理性で押さえ付けていたものが解放される。そうすると現在の自分を最大限に活かせる」


 俺は先日医院に連れて行った犬もどきを思い出す。

 あれに理性はなかった。しかし自らを活かしているようにも見えなかった。


 最初に見つかった犬もどきなど、変化が解けた現在は医院で元気に意気がって暴れているという。奴らの今の姿に少しも理性がないとはいいがたい。


「もし、理性があるってんなら、そいつぁ人だ」


 そう、奴らはいまだ人なのだ。

 それはおかしなことで、おかしな現象は厄介事となって俺に降りかかってきている。


 気分直しに俺は煙草入れを取り出し、それを軽く振った。軽く気の抜けた音がして舌を打つ。煙草の残量は少ない。


「人か……それなら生かしたいところだが」


 どこまでも続いているように見える長い長い蛇壁に目を向け、王子様は左手を撫でた。作りたての左腕がしっくりこないといわんばかりの所作だ。


 そのせいか俺には王子様がまったく困っているように見えない。


 しかし王子様が本当に困っているとしたら、それはおそらく王子様が本気をだすと夜者を生かせないからだ。


「王子様は何ができる?」


 俺は残り少ない煙草を手にし、火をつける。すると煙はゆらりゆらりと動き彷徨い、王子様にまとわりついた。


「王子様?」


 煙たいからかあだ名が気に入らないのか、王子様が俺をじっとり見つめてくる。


 そんなに見つめても風向きが悪いので煙は王子様を避けてはくれない。俺が吸わないでいるという選択もあるが、仕事道具でもある煙草の火を消す気はなかった。


 せめて吸うと宣言したほうが良かっただろうか。

 そんなことを思いながらも、俺は王子様の視線をあだ名が気にいらないせいだということにした。


「名前、なげぇから……駄目?」


 可愛い子ぶって首まで傾げてみたが、煙を吐きながらの雑な仕草はけして可愛くない。


「ならば俺は兄君のことを邪神と呼ぶべきか?」


 やはり煙草は嫌なのかもしれない。

 表情のない綺麗な顔というのは怖いものだ。王子様は柔らかな雰囲気の顔ではないため余計に怖い。


 今度はあだ名だけのせいにせず、俺は王子様を横切って逆隣に位置すると王子様を歩くように促す。

 王子様はそれでも半眼で俺を見つめてきた。


「よせやい照れるじゃねぇか。神んなったこともなけりゃ、そんなこわーいこともしてねぇよ」


 怖いことをしようにもとある場所で本体は串刺しにされている。出来るわけがない。俺は煙草を口から遠ざけて笑う。


「垂れ流しの血が少し特殊なのと、姿形が怖いだけ」


 その少しでクレムナムの住民は化け物になるのだから参ったものだ。強靭な生命力で生きているから流れ続けるだけで、好きで垂れ流しているものでもない。


「ならば狼と?」

「ヤダ、カッコイー。イナミでかまわねぇよ。これもあだ名みてぇなもんだし」


 本体は確かに狼に似ているし、人間にはそう伝わっていた。


 串刺しされてどれほどの時がたったか知らないが、俺の本体はすっかり土に埋もれている。俺の本当の姿を見ることなどないので仕方あるまい。


 茶化してみると、王子様もようやく表情を変えた。

 そして王子様は俺が促したとおり、蛇壁沿いを歩き出す。


「それなら、俺はルディで構わない」


 これまた王子様の名前も短くなったものである。

 俺は王子様のあとについていきながら、瓦礫をまたいだ。


 今日俺たちが巡回することになった場所は人魚屋のあるあたりと違い、蛇壁沿いにある道にも瓦礫が散乱している。足場は最悪だ。


「で、王子様は何ができるんだ?」


 再び王子様と呼んでしまったため、わずかな沈黙が広がった。


 ‪今でも心の中では王子様と呼んで直さないし、‬王子様とはこの仕事を一緒にするだけだ。王子様の人柄は嫌いでもないが、親しく呼び合うほど長く仕事をしたくない。


「……昼間にしたように、霧になる。姿を変えられる」

「姿を変える?」


 姿を変えるといえば、今回の犬もどきと同じである。


 クレムナムの住民は人間の姿に強い思い入れがあるのだ。もともと人間だったものが化け物へと変化するのである。せめて人間の姿を保っていたいと考えるのだろう。


 王子様は瓦礫に埋もれる道に苦戦しつつ、俺の疑問に答えてくれた。


「再生するのと同じ要領だ。俺の身体は俺の姿を覚えていない。俺を作るときは俺の記憶に頼ることになる。だが、もし俺がこの姿ではなく、他の姿を強く思い浮かべたのなら他の形になることが可能だ」


「動物じゃなくてもいけるか?」

「瓦礫でも塗料でも鱗でも、なんでも」


 興味本位の面白半分で尋ねてみたのだが、意外なことにできるらしい。


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