鱗街に息継ぐ化け物の悪癖2

 見せないだけで、それなりに折り合いでもつけているのだろうか。


「そうだな。しかし人魚とは……皮肉がきいている」


 俺が王子様の食生活について考えているとは知らず、王子様は人魚について憂う。

 人魚といえば俺もいった通り、肉を食らえば不老不死となるという話がある。


 事実無根の話であるが、不老不死を追い求める人間には捨てがたい可能性であるらしい。


 そのせいか時々、地上で本物かわからない人魚の肉が出回る。一時期クレムナム湖に飛び込んでまで人魚を探す人間も増えた。


 そうして人魚を探していた人間がどれだけ人魚になり、どれほど人魚や大魚その他水に棲む夜者の餌になったか……大蛇に守られている水底の国ではわからない。


「な、黒すぎる冗談だろ?」

「目眩がするほどには」


 俺は人魚屋の汚い看板を探しながら、王子のことばに頷いた。


「しかも博打打って人間捨ててここに来りゃあ不老にはなれるから笑っちまう。なりたくてなるもんでもなければ、来たくて来るもんでもねぇのに」


 残念なことにそれが地上には伝わらない。

 大蛇に守られている水底の国は閉じた国でもあった。外の情報が入りにくいのと同じく内の情報が外に出にくいのだ。


「まぁ、来ちまったからには楽しまねぇとなってなわけで、ここが人魚屋だ」


 蛇壁にほど近い瓦礫の中に埋もれる、汚い看板の……汚すぎて人が消え魚屋としか読めない看板の店。それが人魚屋だ。


 人魚の肉だなんて嘯くくせにかなりまともな魚料理を出すので、クレムナムを楽しむにはいい店である。

 けれど、この店には難点があった。


「狭いし暗いから気ぃつけろ」


 店舗内に入るまでに狭くて暗い階段を下りる必要があるのだ。入り口は瓦礫に埋もれ穴のようになっているし、立地がとことん難ありなのである。


「夜目はきくから安心……狭いな?」

「まぁな」


 そう、思った以上に狭いだろう階段は向かい側からくる人とすれ違うのも難しい。

 階段さえ下りればそこそこ広い部屋に着くので怪我なく頑張ってほしいものである。


 だが、そんなことを考えている時に限って退店を急ぐ人がいるものだ。

 俺が先に下りていくとそいつらは急ぎ足で階段を上ってきた。


 店でのんびりし過ぎて約束の時間にでも遅れそうなのだろうか。

 ぼんやり考えながら俺は壁に背をつける。


 そいつらは礼儀正しくもこちらに軽く頭を下げ、通り過ぎるはずだった。

 その数段先で鈍い音が響く。


「す、すまな……い」


 どうやら俺の後をついてきていた王子様とぶつかったらしい。俺とすれ違った一人が声を上げる。


 夜目がきくといった割にいきなり人とぶつかるとは……そう思い後ろを振り返ると階段を上っていた奴らが動きを止めていた。

 おそらく王子様の顔を見てしまったせいだ。


 俺にとってはもう芸術作品ではなくても、はじめて見る連中にとっては芸術そのものである。動けなくもなるだろう。


「こちらこそすまない。足元ばかり見ていた」


 王子様の回答に俺はにやけてしまった口元を抑える。

 王子様は俺の忠告に従い気をつけて階段をおりていたらしい。

 素直な奴である。


「い、いえ……その」


 素直な王子様はとにかく顔がいい。こんな狭い階段で対面したら、まごついてしまうのもわかる。

 王子様とぶつかったそいつはあたふたと手を胸の前で動かしたあと、帽子に手を添え、また動きを止めた。


「おい、こんなところで何やってんだ」


 今度はそいつのそばにいた奴に止められたからだ。

 確かにこんな狭い所でずっと階段を占拠していては、店の出入りの邪魔になり商売あがったりだろう。


「あ、ああ……すみません。その、本当に」


 そいつもそう思ったらしい。帽子を押さえて小さく頭をさげた。


「いや、こちらの前方不注意だ。気にすることはない」


 手を振って応じる王子様の紳士的で、かつ爽やかな……しかし身分を感じるものいいは、そいつの時をまたもや止める。

 夢を見るほどの容姿であるが、ここまでくると生活に弊害へいがいが出るのではないか。


「あの! 下で!」


 俺がぼんやりと心温まる交流を見ていると、そいつが急に声を張り上げた。

 耳と鼻はいい方である俺は、一瞬ビクッと身体を震わせる。


「下で何か騒いでたので……お気をつけて」


 王子も同様に驚いたからだろう。そいつは声を小さくして嫌な予感しかしないことばを落とした。

 そして、もう一度小さく頭を下げ、外へと続く階段を上って行く。

 なんとも律儀ないい奴である。


「あー……飯どうする?」


 おかげで嫌な予感を察知した俺は、途端に食欲が失せた。


「たくさん食べていいのなら、俺が騒ぎを止めるが?」


 たくさんというのはどれくらいのことだろう。急にたくさんとかいわれて想像もつかない俺は、すぐにわかる財布の中身に思いをはせた。


「……大人の男、一食分なら払うつもりだが、それ以上か?」

「いや、出してもらうつもりはなかった。食べる量が多いと時間をとるだろう?」


 夜者が暴れだすのはほとんど夜だ。今は人魚に睨まれるようなのどかな昼過ぎである。他に用があるわけでもない。


「なら、よろしく頼む。まぁ一食は報酬だ。心置きなく食え」


 ◇◆◇


 階段を下り、扉を開けるとそこには嵐があった。

 飛び交う皿に破壊された椅子、欠けた机、怒鳴りあう男と女……看板は汚いが、清潔できちんと片付けられている……攻撃魔術や調理器具などがとっちらかる店ではなかったはずだ。


「別の店に行かねぇ?」


 クソ野郎ばかりの夜狩人が来る店である。このような嵐も少なくない。

 しかし石の椅子や机がどうにかなるのは珍しいといえた。

 つまりとばっちりはご遠慮したい状況だ。


「一考の余地がある」


 まったく考えずに条件反射で踵を返してもらいたい。考える余地など残してしまうと、厄介ごとは向こうからこんにちはするものだ。


「ちょっと! ボーッとつったってないで手伝いなさい、割引するから!」


 思った通り、目ざとい女店主が怒鳴りだす。

 しかも顔見知りであるがゆえに無視しづらい。王子様ではないが俺も一考の余地を設けた。


 果たしてその割引は厄介ごとに首を突っ込んでまで得るものか。また、こちらから顔見知り割引で騒ぎを収めるべきか。


 腕を組んでまで考えてみたものの、俺の頭の中では損失が大きい。

 しかし王子様は違ったようで、指折り数えた状態で俺の前に歩みでた。


「割引なら請け負おう」


 俺は王子様の指をちらりと見て眉を跳ね上げる。四食くらいなら、割引されてもこちらが損だ。


 人魚屋の店主はしっかり者なので、割引するといってもそこまで割引しない。

 こんな場所にある店だ。王子様とてそれほどの割引を期待していないだろう。


「いいのか?」


 尋ねたのは、人魚屋がはじめての王子様に対する親切心ゆえだ。


「問題ない」


 大きく頷く王子様のなんと力強いことか。

 はじめてのおつかいから帰ってきた他所の子を見るような気分になり、俺も大きく頷いた。


「いってらっしゃい」


 手を振って送り出してやると、王子様は一度こちらに振り返り破顔する。


「行ってくる」


 王子様の人気がわかる実に愛嬌ある行ってきますだった。


「顔が笑み崩れても整ってんのは王族の血か……?」


 割引に目がくらんで意気揚々と嵐の中心にいる男に近づく背中には、まったく感じられない血だ。

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