鱗街に息継ぐ化け物の悪癖1

 蛇に飲まれると国の端までひとっ飛びできるのはなんの魔術だろうか。

 魔術と化け物があふれるクレムナムでも、よくわからない現象にあたるだろう。


「死ぬかと思った」


 国を囲んでいる大蛇に飲まれるという、そうそうできない体験をして芸術作品は腕を擦った。

 蛇は捕食するとき獲物を丸呑みする。それと同じくこの不思議体験をするには蛇に飲み込まれる必要があった。


 つまり食べられたも同然だ。

 しかも人見知りな大蛇がなんの挨拶もなしに俺たちを丸呑みしてしまった。


「俺も食われたかと思った」


 大蛇の兄である俺であっても、急な丸飲みは命の危機を感じる。


「もっと説明が欲しいところだった」

「はは」


 ぼやく芸術作品を、俺は首を撫で笑って誤魔化す。


「でも速かっただろ?」


 俺たちはあのあと大蛇に会い、飲み込まれ、ぽろっと鱗が外れるように目的地へと押し出された。


「速さが死と隣り合わせというのは……すでに死んでいるんだがそうではなく」

「いいたいことはわかるし、習慣みたいなもんだからいっちまうよな」


 俺は誤魔化し笑いを浮かべたまま、そそくさと家路につく。

 相変わらず人気の少ない蛇壁ぞいであるが、たまに人魚と目が合う。


 お頭付きの魚料理と目が合ったような気分になるので、昼間は魔術がかかって透けている蛇壁のそばに居たくないのだ。


「鶏がら……魚? もしかしてにん、目が合った……!」


 しかしどうやら手遅れだったらしい。

 後ろから芸術作品の悲鳴が聞こえてきた。

 芸術作品らしくない人間のような反応に、俺は振り向かず足だけ止める。


「もしかして夜狩りは初めてか?」


 人魚に驚くのは人魚にあったことのない奴だ。

 夜者を狩る場所はだいたい蛇壁が見える。蛇壁の近くには必ず人魚がいて、こちらを恨めしそうに見ているものだ。


 夜は蛇壁も透けていないが人魚との遭遇率は高い。鱗集めをしている連中がよく襲われるからだ。

 ゆえに夜狩りをする者やこの辺りに住処がある者で人魚を知らない者はいない。当然、その逆もいえる。


「そうなる。だが安心してくれ。戦闘力は高い。陛下が燃費が悪いから暴れるなと城内の仕事を割り振ってくださっていただけだ」


 ちゃんと人魚から目を逸らして俺の後ろにやってきたらしい。王族が血筋を尊ぶ理由がわかる声が近づいてきた。


「それじゃあ、あんた、今回飯足りるのか」


 俺はそういって改めて歩き出す。本当についてきているかは振り返って確認しない。確認すればもれなく人魚と目が合うからだ。


「おそらく。原液がいるから」

「原液……ああ、あんた、繊細さに欠けるんだな……」


 妹のいう大雑把さはこの繊細さを感じられないところからきているのではないだろうか。

 そう考え、俺は眉間を揉む。おそらくそれが正解だ。


「たしかに原液だが食われる予定はねぇよ。だいたい餌扱いされてんのも……おい、もしかしてこだわらねぇのここか?」


 この芸術作品のふりした王子様は、俺が女王の兄だと納得したあと呆然とした。


 死者の国の入り口とされるクレムナムの女王と水底にある国どころか世界のあちらこちらにその身を埋める大蛇の兄といえば、一匹しかいない。口を閉ざした狼だ。


 その三兄妹は地上では封印されし邪悪だか邪神だかといわれる存在である。その中でも一番単純にできていた兄が、ちんけなクソ野郎として目の前に立っていたのだ。


 世界の始まりや伝承、その他を知る学のある王子なら当然の反応だろう。

 しかしこの王子様はすぐに立ち直り、何度か頷くと俺についてきた。


「そこだけではない。かまわないなら夜者どもから拝借できるが」


 妹のいう大雑把さはここでも威力を発揮する。

 耽美系真っ青な王子様が夜者という、この国の化け物を餌扱いだ。上品に食べてくれればいいのだが、俺はどうしても王子様のいいように上品さが見つけられない。


 一人で納得していたから上手いこと現実逃避でもしたのかと思っていた。しかし、どうやら王子様は俺よりも現実的で、俺を便利な携帯食料だと考えたらしい。

 芸術的な外見に騙されていたがなんと図太い野郎である。


「返すあてもないものを借りるんじゃねぇよ。そういうのはいただくっつうんだよ」


 王子様の食料が何であるかは……原液と呼ばれたことでわかった。クレムナムの水だ。あれは混ざり物で人間が飲む普通の水なんかより混ざっているものが濃い。しかしそのクレムナムの水では燃費が悪いという。


 つまり混ざっているものがより濃いなら、少量で腹が満たせる。そうなるとその原液なら本当にちょっとの量で腹が張るということだ。


 けれど俺はそこを深く追求しなかった。下手に追求して原液を提供し、耽美に申し訳ない光景を繰り広げるのはしのびないからだ。


「つまり、失敬していいと?」

「いただいてもらわねぇと俺が面倒くさい仕事させられちまう」


 特に飢餓から夜者化した王子様を退治するとかいう無情な仕事はごめんである。


「これでもそれなりに情があんだよ。こんだけ話して、はい、退治とかそれなりに嫌だろ」

「そうか? これだけなら他人に毛も生えない。顔も見知るほど見ていないだろう?」


 まぶしくて顔を見なかったことが功を奏したか。

 王子様はどうやら俺をたまたま仕事を一緒にすることになった赤の他人に分類してくれたらしい。


「なら、あんたは俺を退治できると?」

「しろといわれれば行動はできるが、退治するには至らない。俺の方が弱い」


 淡々と答える王子様の冷たいこと、クレムナムの水のごとしだ。

 俺は蛇壁から充分に離れるとようやく振り返った。


「対峙して負ける自覚があるなら何が何でも俺にやらせんな。こちとら図体ばかりでかくなった小心者なんだよ。あんたを退治とかなったら寝覚めが悪りぃだろ」


 王子様はきょとんとした顔で俺を見つめ、首をかしげる。

 そうやって首をかしげている姿はすでに芸術作品に見えない。それほどこの王子様のことを個人的に知ってしまったのだ。


 これから一緒に仕事をするのなら、もっと知ることになる。

 俺に知り合いや親しいものを害して楽しむ趣味はない。


「そういうものか?」

「そういうもんだ。まぁ、あんたを飢えさせなけりゃ問題ねぇ。だから、今から先に腹ごしらえだ。時間もあるからな」


 俺はそういうや否や歩く速度を上げる。思い出したかのように空腹を主張する身体に急かされたのだ。


「たしかこの辺りには人魚屋があったはず」


 蛇壁の近くは瓦礫ばかりの貧民街で、この辺りは特に瓦礫が多い。そのため鱗街うろこがいと呼ばれている。もちろん人はあまり住んでいない。


 それでも例外なく夜者は夜な夜な現れるし、それを狩りに夜狩人がやってくる。

 その夜狩人を狙って店を開く命知らずもたまにいた。

 その命知らずの一人が人魚屋の店主というわけだ。


「人魚……まさかあれを使って料理しているわけじゃないだろう?」


 いまだこちらを睨みつけている人魚を指差す王子様の複雑な顔といったら見ものである。

 夜者を餌にする行為は変わらないというのに、調理して他人に振る舞うというのは好まないのだろう。


「使ってるってうそぶいてはいるけどな。人魚の肉といやぁ、不老不死だろ?」


 不老不死になれる肉が食える。地上でも笑って子供騙しだと判断する類の冗談だ。


「ここでは不老不死なんてちゃんちゃらおかしいことはいわねぇ。黒すぎる冗談だ」


 人魚とてクレムナムの生き物であるし、なまじ人の姿を持っているだけに食うのは人としてとまどうだろう。人だった記憶のない俺のようなものは別として、王子様はそうであるはずだ。


 それにしては夜者を餌にすることに嫌悪が見られない。

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