5章:都の宝珠

タンフウは定例の手紙に動揺する

 窓の外にぶら下がる氷柱つららが、落ちてさくりと地面に突き刺さる音がする。今日は目が眩むほどの快晴だった。昼近くなって温度が上がり、溶けてきたらしい。

 外の雪も、この機にもう少し溶けてくれればいいのにと、鍋の中身をかき混ぜながらタンフウはぼんやり窓の外を眺める。


 天文台は雪で覆われていた。

 十二月に入り、本格的に冬の到来した森は、一面が雪化粧を施されている。彼らの住む山は豪雪に見舞われるほど深くはないが、これから春になるまで雪はなかなか溶けない。

 太陽は低く、高い木々に隠れてしまいそうな場所から光を放っている。まもなく冬至だった。



 あれから、数週間が経過していた。

 天文連合と史学会とは、あの日以来、行き来がない。タンフウとユーシュの二人だけで、ただ淡々と日々が過ぎていった。

 人手が少ないため、薪割りや雪かきなどの雑務に追われ、毎日は思いの外、忙しい。だがやることが多かったのは、彼にとって好都合だった。余分なことを考える時間が少なくなるからだ。

 示し合わせたわけではなかったが、ユーシュとの間で、サンや史学会について話題にすることはほとんどなかった。



 匂いにつられてタンフウの元にやってきたユーシュは、しかし鍋の中を覗き込んで浮かない顔つきになる。


「三日連続シチューかよ」

「文句があるなら自分で作れよ」

「うそうそ。ありがたく頂きます」


 ユーシュは顔の前でうやうやしく両手を合わせた。タンフウに差し出された皿を受け取り、二人分のシチューを居間へ運ぶ。


 タンフウの作れる料理は、さほど多くない。ショウセツほどではないが、彼もそこまでこだわりがあるわけではないので、手の込んだ料理は作る気になれないのだ。

 更に言えば、このシチューは一昨日に大量に作り置きしておいたものなので、今日は火を通しただけだった。なるべく手間をかけたくないのだ。

 しかし本人もいい加減に飽きが来ているのは事実なので、次はどうしたものかとタンフウはため息をつく。何を作るかもそうだが、この時期には買い出しにいくのも一苦労なのだ。


 パンとシチューとで、ここ数日は代わり映えのしない昼食をとりながら、ユーシュは思い出したように口を開く。


「けど、ひとまず飯に困るのも今日までだよな。午後にはツヅキが帰ってくる」


 気がつけば瞬く間に過ぎ去った時間は、ツヅキの傷も無事に癒やした。彼は本日、王立病院を退院し、天文連合へ戻ってくる手筈になっている。

 しかし。


「怪我人を働かせる気かよ。しばらくは自宅安静だ」

「なんだ。まだそこまで治ってないのか。もう少し王都で休んでくればいいのに」

「本人がこっちに早く戻りたいんだと。……あっちじゃ、落ち着かないんだそうだ」


 本当は、医者もしばらく実家で療養することを勧めていたらしい。天文連合では少しの用を済ますのでも麓の街まで行かないといけないし、常に人手は足りない。ましてこの雪の中だ。

 だがその制止を振り切って、天文連合に戻りたいと希望したのはツヅキだった。安静に過ごすしタンフウたちの手も煩わせないからと、周りを説得し、実家ではなくここに戻ることを選んだのだ。


「というわけで、ツヅキはまだ働かせられない。明日はお前が食事当番なユーシュ」

「げっ、嘘だろ」

「本当だよ。作ろうと思えば作れるんだから、たまには作れよ」

「嫌だよ面倒くさい。やらなくていいことはやらない主義なんだ」

「飯を作るのはやらないといけないことだよ」


 嫌そうに舌を出し、ユーシュは話題を反らす。


「けど、まだ安静が要るなら、ツヅキは迎えに行かなくて平気なのか?」

「さすがに今回は、天文連合の前まで馬車を頼んだらしい。だから待っていれば大丈夫だ」


 ツヅキから届いた手紙の内容を思い出しながら、タンフウは答えた。予定通りであれば、あと二時間ほどで彼は到着するはずだ。

 比較的まめなツヅキからは、医者からの経過報告と共に、定期的に手紙が届いていた。その手紙で必要なやり取りは済んだことと、経過が順調だったこともあり、あれから王都へは見舞いに行っていない。

 雑談も交えた長い手紙で、ツヅキの様子はよく知れた。虚勢を張っている可能性はあるが、手紙から伺う限りでは、彼は元気そうだった。

 しかし彼の手紙には、不自然なほど、サンや史学会のことは書かれていなかった。




 食事が終わり皿を片付けたところで、玄関からノックの音が響く。時間からして、手紙の配達だろうとタンフウは扉へ向かった。今は雪の中なので、配達は平時より遅い。

 扉を開くと予想通り、そこには大きなカバンを携えた少年が立っていた。

 無論、サンではない。


「天文連合に、手紙」

「ありがとうございます」


 ぶっきらぼうに差し出された手紙をタンフウは受け取る。渡すや否や、少年は用が済んだとばかりに、ばっと雪の中を駆けて戻っていった。


 数通届いた手紙を簡単に確認する。最近は事務的な手紙の他、ツヅキからの手紙が届いていることが多かったが、さすがに今日はない。

 代わりに一通、この日はジェイ家からの手紙が交じっていた。意外に思って、タンフウは首を傾げる。ジェイ家からは定期的に報告が届くことになっていたが、いつもより時期が少し早かったからだ。


 普段それを読むのは、自室で一人になったときだった。けれども今いるのは、タンフウの他にユーシュだけだ。事情を知っている彼の前で隠す必要はない。

 他の手紙をテーブルに放ってから、彼は椅子に座って封を破った。馴染みのある筆跡のそれに、ざっと目を通し。


 がたり、と大きな音をたててタンフウは立ち上がった。その勢いで、派手な音を立て椅子が倒れる。

 大きく目を見開き、彼は食い入るように手紙を見つめた。


 紅茶を淹れていたユーシュが、驚いて顔を上げる。


「どうしたんだ、タンフウ?」

「……嘘だろ」


 ユーシュの問いには答えず、タンフウは手紙を握りしめた。

 もう一度、頭から手紙を読み直す。しかし何度読み返しても、そこに書いてある内容は変わらない。

 様子のおかしいタンフウに当惑し、手を止めてユーシュは彼に近寄る。


「おい、大丈夫か。本当に何があったんだよ」


 無言でタンフウは、震える手でユーシュに手紙を渡す。

 受け取ったユーシュも手紙を読むと。息を飲み、大きく目を見開いた。


「……これは」

「フウカが、……妹が」


 うわ言のように呟いたタンフウの言葉を、ユーシュが引き取る。


「『リーリウム家に移された』、だと……!?」

「それだけじゃない」


 信じられないという風に首を振りながら、タンフウは付け加える。


「『サンカ・リーリウム嬢のとして、フウカ・ミカゼ嬢はリーリウム家に極秘で移送されたもよう』」

「……冗談だろ」


 唖然としながら、ユーシュもじっと手紙を読む。一通り全ての文章に目を通してから、彼は渋面で顔を上げた。


「売られたって、こういうことだったのか。そのために、お前の妹はずっと前から育成されてたんだ」

「まさか。……こんな偶然って」

「待てよ」


 何かに思い至ったように口元へ手を当てると。しばらく考え込んでから、やがてユーシュは真面目な声を上げる。


「タンフウ。お前の妹はいくつだ」


 唐突な質問に眉を寄せながらも、タンフウはすぐに答える。


「今年で十八のはずだ」

「髪と目の色は?」

「僕と同じ、黒髪に青い目だけど」

「そこは違う……が、最悪それはどうにでもなるからな」

「……急に何の話をしているんだ?」

「はなから、お前の妹は。

 って話だよ」


 ユーシュの台詞に、言葉を失った。

 固まったタンフウを見つめながら、ユーシュは流暢に告げる。


「表のしがらみを気にしなくていい孤児を、権力者の護衛や影武者として育てるってのは、ままある話だ。幼少期からそっちの英才教育をされた孤児は、重宝されて高く売れるからな。

 けど単純に、いつかどこかの貴族に売ろうと思って育てたんだったら、お前にここまで隠す必要がない。もう少し情報を出した方が、かえって怪しまれないからな。お前もジェイ家にすがってまで行き先を探らなかったかもしれない。

 


 彼の述べた推測に、何も言えずにいるタンフウを尻目に。

 ユーシュは、独り言のように呟く。


「お嬢様は確か。史学会に来るまで寄宿舎付きの学校に通っていたはずだ。卒業間際、家に戻される前に逃げ出して、史学会に来たと言っていた。

 成人したお嬢様が家に戻ったから、事が動き出したんだ。

 ……くっそ」


 ユーシュは拳を額に打ち付けた。目を細め、何かを思案しながら、じっと暖炉で燃え盛る火を睨みつける。


「あいつを家に帰したのは。本当に、間違いだったのかもしれない」

「……どういうことだよ」

「よく考えてみろ、タンフウ」


 タンフウに向き直ると、ユーシュは彼の胸に手紙を押し付けた。タンフウの青い目を覗き込み、いつもの彼がそうそう見せない、至極真剣な眼差しでユーシュは言い募る。


「まだ王族なら分かる。けど貴族とはいえ、当主でもない成人したばかりの小娘に、どうして影武者なんかをつける必要があるんだよ。

 しかもこんなに手を込んだ真似をして……一旦、他の貴族を挟んで、そうそう影武者の足取りがわからないようにしてまで、だ。

 これがどういうことか分かるだろう。

 ……あいつは既に、命を狙われるほどの危険がある権力闘争に巻き込まれているか。他に、その身を脅かされかねない理由があるってことだ。

 そして、それはつまり」


 一呼吸置いて。

 ユーシュは、静かな声で告げる。



「お前の妹も、あいつと同等か、それ以上に危ないってことだ」



 彼の言葉に、すっと血の気が引いた。胸元に押し付けられた手紙を、無意識のうちに握りしめる。

 数秒の後、我に返ると。いてもたってもいられず、タンフウは外に飛び出した。


 玄関の扉を閉めるのも忘れ、森へ駆け出す。史学会へ繋がる道の手前で足を止め、膝に手をつくと。タンフウは、なりふり構わず叫ぶ。


「おい、霊狐! どうせ近くにいるんだろ。出てこいよ!」

『なんじゃ、騒々しいのう』


 呼ばれた霊狐は、すぐさまタンフウの目の前に姿を現した。霊狐も霊狐で、彼の前に現れたのは、あの日以来だった。

 タンフウは勢いづいたまま、霊狐に掠れた声で尋ねる。


「お前、知ってたのか。サンが、フウカが、……そんな立場だってことを!」

『……知っていた、と答えたら、お前はどうするんだよ』

「何も言わなかったじゃないか!」

『聞かれなかったからな』


 至って霊狐は冷静に答えた。

 荒く息をついてから、タンフウは姿勢を正すと。荒ぶる感情に任せて、霊狐をきっと睨みつける。


「まさか。前にあんたが言っていた『本丸』ってのは、このことなのか」

『落ち着けよ。気持ちは分かるが、あんたの言ってることはめちゃくちゃだ』


 うんざりした様子で言うと、霊狐はタンフウをなだめるように、彼の肩の上にぴょんと飛び乗った。 


『なぁ、一応確認の為に言っておくぞ。契約を結んでいない以上、あんたは俺の主人じゃない。教える義理もないし、そうそう教えられやしないんだ』

「……分かってるよそんなこと。だけど、でも」

「その霊狐が言っていることは、至極まっとうだ」


 背後から冷静な声が聞こえて、タンフウは振り返る。

 そこに立っていたのは、ユーシュだった。今更ながら、タンフウはどきりとする。普段は人がいない時を見計らって霊狐と話していたというのに、今の彼はユーシュがいることすら忘れていたのだ。


「霊狐の言葉は、彼らの論理に則っている。

 無茶を言ってるのはお前の方だよ、タンフウ。少し落ち着け」


 しかし、ユーシュの言葉に、今度は別の意味で動揺した。


「お前、……見えるのか」

「見えるよ」


 ユーシュは事もなげにそう言うと。

 タンフウに向け、彼の外套を放って投げた。


「史学会に行くぞ、タンフウ」

「史学会?」


 きょとんとして、タンフウは森の小道へ目を向ける。

 ここしばらく誰も使っていない道は雪深く覆われ、足跡一つ付いていない。しかし木々に巻き付いた布は、今なお、きちんと史学会への道を示していた。


「この国でのあいつの立ち位置について、誰よりも詳しいのはセツだ。

 セツがサンの家について知らないわけがないだろう」

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