ショウセツは詳らかに事情を語る

 轟々と、風が吹き荒れているような気がした。

 耳元を行き過ぎた罵声は、言葉として彼の耳に届かない。ただ煩わしい騒音として、側を吹き過ぎるだけだ。けれども聞こえないはずの言葉が、彼の胸を容赦なく切り裂く。


 聞こえなくても。その中身を、知っていた。



******



 気がつくと、タンフウは自室のベッドの上だった。久々に見たその夢に、しばらく夢と現実との垣根が判然とせず、どっと冷や汗が吹き出す。荒い息を吐き出し、額の汗を拭いながら、ようやく彼はそこが住み慣れた天文台であることに気付き安堵する。



 居間に下りると、そこにはユーシュがいた。ここ数日は頻繁に騎士団へ呼び出されていたため、ゆっくり顔を合わせるのは久しぶりだ。

 彼は珍しく、自分でお茶を淹れていた。ふわりと鼻に届いた嗅ぎなれない香りには、どこか青みがある。いつもの茶葉ではない。


「よう。おはよう、タンフウ」

「お前」


 口を開きかけたところに、タンフウの鼻面へ、ずいとティーカップが突きつけられる。


「飲むか? ようやく適温になったところだ」

「……飲むけど」


 一旦、言葉を飲み込んで、タンフウはカップを受け取った。ユーシュはティーポットを手にして、茶を注ぐ。

 注がれた液体は、澄んだ若草色をしていた。見慣れぬ色に、へえ、と息を漏らす。


「緑茶、か?」

「そうだよ。お前は知ってるか」

「どうしてまた、こんな珍しいものを」

「ちょっとな」


 しげしげと眺めてから、一口運んだ。口に含んだ緑茶から、すっと爽やかな香りが広がる。朝露に濡れた森の中のような匂いは鼻を突き抜け、頭の中まで冴えわたる気がした。味は慣れないものだったが、嫌いではない。むしろ好ましかった。

 何故か懐かしく感じたそのお茶に、ほうっとタンフウは一息ついたところで。


「それで。どうやって誤魔化したんだ?」

「何が?」

「とぼけるなよ」


 温かいカップを両手で包み込み、暖をとりながら、タンフウはじとりとユーシュへ視線を投げる。


「騎士団が来る前に、既に強盗が倒れてた件について。あれは、お前がやったんだろ。どう辻褄つじつまを合わせたんだよ」

「その件なら何も心配いらないよ。強盗たちは、麻薬中毒者だったということで片がつきそうだ」


 自分のティーカップにも緑茶を注ぎながら、どこか上機嫌にユーシュは続ける。


「あいつらは阿片アヘンを所持していた。阿片中毒者が幻覚を見て、勝手に昏倒したんだろうってことに持ってったよ」

「阿片」


 緑茶をすすりながら、タンフウは眉間に皺を寄せた。


「馬鹿言えよ。阿片は多幸感をもたらしはするが、幻覚症状は出ないだろう」

「……さすがにお前は承知してるか。けどな、あの騎士サマたちはその方向で処理するみたいだぜ。幻覚はさておいても、陶酔のさなかで倒れでもしたんじゃないかってさ」


 苦笑いを浮かべ、ユーシュは後ろ手でテーブルにもたれかかる。


「仕方ないだろ。すぐにもっともらしく誤魔化す手段が、それしかなかったんだ」

「誤魔化せるならなんでもいいだろうけど……後からその粗が見つけられたら、お前は大丈夫なのか」

「その時はまた、なんとかするさ。今考えても、しようがない」


 舌を出して、ユーシュも茶をすすった。彼の顔を見つめながら、ぼそりとタンフウは言う。


「言葉どおりに、奴らを見張っているだけかと思ったよ」

「見張ってるだけじゃ、割に合わないだろ。すぐ側にいるのに黙って手をこまねいてるなんてごめんだね。俺の居場所に手を出したあいつらが悪い」


 その言葉には、微かな苛立ちが交じっていた。

 まだじっと見つめ続けているタンフウの視線に気付き、ユーシュは手を止める。


「意外か?」

「意外、というか……うん、そこまで表に出すとは思わなかったから」

「そうだな。今となっちゃ、ボクはすこぶるいい子に大人しく過ごしておりますけれど。元来、俺は直情型なんだよ。

 ただ、多少は抑えることを覚えたのと、それを発揮しようと思うほど周りのものに興味を示すことが滅多にないだけで」


 そこまで饒舌に喋ってから、はたと気付いたようにユーシュは顔を上げた。


「そうなのか?」

「僕に聞くなよ」


 タンフウが怪訝に顔をしかめたところで。

 不意に、扉をノックする音が聞こえた。

 ほとんど反射的にタンフウは立ち上がる。小走りで玄関まで行くと、鍵を開けるのももどかしく扉を押し開いた。


「……セツ」

「やあ。……久しぶりだな」


 いつものように爽やかな笑みを湛えて、そこにはショウセツが立っていた。

 彼らを招き入れようと、タンフウは大きく扉を開く。だが予想に反し、ショウセツの後ろには、他に誰もいない。


「セイジュは?」

「あいつは来られない。史学会の周りに、風精シルフの結界を張り巡らせたせいで、力尽きて倒れてるからな」


 ショウセツの口から出た風精シルフという言葉に、タンフウは息をのんだ。だが、その反応は外に出さぬよう押し込める。


「大丈夫なのか。どうせ、たいしたもの食べてないんだろ。何か食べ物を持って、僕らの方でそっちに行こうか」

「ああ……悪い。そうだな。そう、なるよな」


 長い睫毛を伏せると、しばらく考えるように黙り込んでから。

 ショウセツは、静かな声で告げる。


「正直に言うよ。セイジュは、お前らに会うのが怖いと言っている」


 今度こそ、誤魔化しきれずにタンフウは絶句し、彼を仰ぎ見た。

 無理矢理に笑って、ショウセツはどこか淋しげに首を傾げる。


「ユーシュから聞いた。あの時、強盗どもとの話を聞いたんだろう。

 お前らには話しておくよ。俺たちの事情を」






 ショウセツの分の緑茶を淹れる。椅子に浅く据わった彼は、黙ってそれを受け取った。

 普段であれば、その物珍しさに一言二言触れてもいいはずだったが、ほとんど手の中のカップには目もくれず、ショウセツは語り始める。


「あの時、聞いたとおり。セイジュは、風精シルフ憑きだ。

 その所為で昔は、人と関わらないよう世間から逃げるように生きてきたらしい。だから身元を隠す意味もあって、あいつはキュシャになったんだ」

「けど。精霊憑きなら、精霊学ギルドで既に研究されているだろう。そっちの界隈だと、さして珍しいものでもないんじゃ」

「それとこれとは、似ているようで全くの別物なんだよ、タンフウ」


 ショウセツは首を横に振る。


「精霊学ギルドで作っている『精霊憑き』は、本当の意味での精霊じゃない。

 ギルドの精霊憑きは、精霊という存在になる前段階、『精霊珠せいれいじゅ』を宿したものだ。精霊珠に自我はなく、たいした力を使うことはできない。

 この精霊珠というエネルギー体が寄り集まり、一つの構成体に進化したものが『精霊』だ。自我もあり意思疎通ができる一つ高次の存在で、滅多に観測されない。

 そしてセイジュに憑いているのは正真正銘の『精霊』なんだ。

 だから、精霊学ギルドの『精霊憑き』とは雲泥の差で。そちらの界隈では、セイジュの風精シルフはとてつもないがある」


 価値、という言葉にタンフウはぶるりと身震いした。

 あの日に耳にした、強盗の台詞が思い出される。彼らは、売れば相当な金が入るだろうと言っていた。


「セイジュが迷子にばかりなるのも、なまじ、あいつだけの所為じゃないんだよ。

 風精シルフ地精ノームと仲が悪い。森に入ればすぐ目を付けられて、惑わされてしまうんだ。それにしたって、いつまでたっても惑わされ続けるのは、セイジュの物覚えが悪いせいなんだけどな」


 少しだけ笑ってから。

 真顔になり、ショウセツは努めて淡々と話す。


「史学研究所にいるとき、キュシャの一人にセイジュのことがばれた。そいつは金と名誉目当てで、セイジュを拐かして精霊学ギルドに売ろうとしたんだ。

 ……結果として、セイジュの風精シルフが暴走し、そいつの周りの空気を奪って、相手を窒息死させてしまった。

 この件は一応、事故として処理されているが。あの事件がきっかけで、俺たちは史学研究所を追われた。それで作られたのが史学会なんだ。

 お前らには随分と綺麗事を言ったが。結局、俺たちは鼻つまみ者同士、厄介払いされただけなんだよ。王都でどうせ俺のことも聞いたんだろう」


 そう言って、ショウセツはさりげなく目を逸らした。

 ショウセツの言うように、彼の風聞は悪い。たいした情報量ではないが、人に不快感を抱かせるには充分だろう。

 だがタンフウの知っている彼は、マグノリアの毒夫と忌々しく噂されるハクレンではない。今、目の前にいるショウセツだ。

 しかし物憂げにぼやいた彼の表情に、踏み込めない壁を感じて。タンフウは、何も言えずに黙り込んだ。

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