風巡りアカデミカ
佐久良 明兎
序章:狐日和
タンフウは手持ち無沙汰に待ちぼうける
ふと何かに呼ばれた気がして、タンフウは視線を上げた。
彼は目の前に開けた、石畳の道を見つめる。老若男女問わずに人々の行き交う雑踏へじっと目を凝らすが、しかし思い当たるものは何もなかった。
古く
先ほどまで本を読んでいたが、待たされる時間があまりに長く、既に読み終えてしまっていた。腕を組みながら、タンフウは手持ち無沙汰にぼんやりと街の様子を眺める。
さすが王都というべきか、人の往来は絶える事がない。普段、彼が買い物に訪れる
人の多さに若干、
タンフウは、王都より東南にある、人里離れた山奥の天文台で暮らしている。周辺にこそ森しかないが、麓の街に下りれば大抵の用事は事足りた。
しかし今日は、とある人物の付き添いと手続の為、久々に王都まで足を運んできたのだった。タンフウの手続はとうに済んだが、立て込んでいるのか、連れはなかなか建物から出てこない。
王都に来たのは昼前の
「あーあ。やーっと終わった」
「お疲れ」
「ごめん、まさかこんなに長引くなんて思わなかったよ。待たせたな」
「いや、いいよ別に。僕だって手続があったしね」
「しっかし、お前の手続はすぐ終わったのになー……」
疲れを
「なんでたかだか仮登録にこんな面倒な手続がいるんだか。折角わざわざ二時間かけて王都まで来たのに、ちょっとは遊べるかと思ったらもう夕方じゃんか」
ユーシュの言葉に苦笑して、タンフウは肩をすくめて言い返す。
「それはお前が正規の方法でキュシャにならないからだよ」
「ま、そうなんですけどねー。仕方ないじゃん。でもこれで、ようやく全部終わった。あとは当分、面倒な事はねーぞっと」
普段は猫のように丸めた背筋を思い切り伸ばし、ユーシュはせいせいしたという風に肩の力を抜いた。それを見つめながら、少しだけタンフウは眼差しを曇らせる。
「面倒、か……」
思わず呟いたタンフウの言葉を聞きとがめて、ユーシュは手を広げて至って気楽そうに弁解する。
「だーいじょうぶだって。天文連合に迷惑はかけないからさ。
何かありそうだったら俺の方でどうにかするから、心配しなくて良いよ。自分の厄介事は自分でどうにかするって」
「いや、それは心配してないんだけどさ」
慌てて取り繕って、タンフウは口ごもった。ユーシュは屈託のない笑顔を浮かべる。
「ま、なんとかなるよ。なにせ、もう俺は公式にキュシャなんだからね」
「仮の、だけどな」
「そうですけどー。でも、仮だって今までとは違う」
にや、と含みのある笑みを浮かべてユーシュは先だって歩き始めた。その後をタンフウが追う。
人混みを器用に避けながら鼻歌交じりで歩き出したユーシュは、晴れ晴れとした表情のまま後ろのタンフウを振り返った。
「これで晴れて、
改めてよろしく、代表」
人混みの中を、ユーシュより難儀しながら不慣れに歩くタンフウは、彼の言葉に微かな笑みでもって応えた。
彼らの住む国、ヒズリア王国には、王立研究ギルドと呼ばれる研究機関が存在している。
王立研究ギルドとは、その名の通り王国公認の研究機関であり、様々な分野に特化した学問の研究を行う組織――ギルドの総称だった。
この王立研究ギルドで学問の研究を行うのが、キュシャと呼ばれる者たちである。
タンフウは天文学を専攻するキュシャとして天文台で働いていた。所属するギルドの名を、天文連合という。
今まで天文連合に所属していたのは、タンフウとツヅキという青年の二人だけであった。先ほど仮登録を済ませ、めでたくユーシュもその一員となったが、それでも天文連合には僅か三人のキュシャしかいない。
王立研究ギルドは同種の学問でも、派閥や方向性により細分化されているため、大小様々な研究ギルドがある。大規模な研究ギルドは百人以上ものキュシャを有することを考えれば、天文連合は非常に
タンフウはこの天文連合の代表である。その為、ユーシュの仮登録の手続に王都までやってきたのだった。
本来であれば、然るべき試験を受け合格した上で、ギルドへ正式に籍を置く前の『お試し期間』として仮登録を行うのが常だが、ユーシュの場合は事情があり、手順が特殊だったのだ。
しかし厄介な手続が終わった今、無事にユーシュはキュシャの身分となった。中途半端な状態にけりが付いた事で、ようやくタンフウは胸をなで下ろす。
通りを歩き続けて十字路にさしかかると、そこから先はやや人通りの少ない住宅街になる。そちらではなく右側の大通りに向きながら、ユーシュはタンフウへ尋ねる。
「俺はそろそろ天文台に戻るけど、お前はどうする?」
「ああ、ちょっと寄りたいところがあるから先に戻ってていいよ。どうする、ツヅキは」
「あいつなら、どうせまだその辺の店をふらふらしてるだろ。王都まで来る事なんか滅多にないからな。
俺はしばらくその店で休むから、もしその辺でツヅキに会ったら、そう伝えておいてくれ」
そう言ってユーシュは側にある喫茶店を指し示した。頷いて、タンフウはユーシュに一旦別れを告げると、反対の左側の道へ向かって歩き始める。
天文連合に属するもう一人のキュシャ、ツヅキもまた、彼らと連れ立って天文台から王都までやってきていた。しかし彼は買い物目的だったので、二人とはこれまで別行動をしていたのだ。なんとなく、タンフウには彼の居場所の検討はついていた。
しばらく道を進んでから、目当ての箇所でタンフウは立ち止まる。かたかたと軽妙な音をたてて目の前を黒塗りの高級な馬車が横切るのを見送ってから、彼は道を横断し向かいにある店へと向かった。
鍛え上げられ引き締まった体躯に、短く刈り上げた髪。艶やかに染色されたその髪色は、明るい夜空を想起させる群青だ。彼の蒼い髪は、例え人混みを歩いていても、確実に道行く人の目をひいた。
入ろうか入るまいか躊躇して、しばらく外から様子をうかがっていると、ツヅキの方がこちらに気付いて外に出てきた。手には幾つかの紙袋を持ち、方々で買い物を済ませたという体だ。
「あれ、もう手続終わったの?」
「ようやく、ね」
苦笑いしてタンフウは答えた。
「ユーシュはもう少ししたら帰るってさ。僕はちょっと用事があるから残ろうと思うんだけど、ツヅキはどうする?」
「じゃあ、僕もユーシュと帰るよ。あらかた買い物は終わったしね。先に夕飯を作ってる」
「ありがたい」
タンフウは笑って答えると、ツヅキにユーシュの居所を伝えた。先程の口ぶりから、すぐにでもユーシュの所へ向かうのかと思ったが、ツヅキは「もう少しだけこの店を見てからにするよ」と再び店の中へ戻っていく。
閉まった扉の向こうでは、懐中時計やステッキなど一見すると当たり障りない品の奥に、壁一面に剣や銃などの穏やかでない品物がずらりと並べられていた。いつものことなので動揺はしないが、呆れ顔でツヅキの姿を
ユーシュと別れた十字路まで戻ると、今度は住宅地に続く狭い道へとタンフウは足を踏み入れた。
夕暮れが迫っているためか、ぽつりぽつりと屋敷の中からは灯りが漏れている。自然と早くなる足を、怪しまれぬ程度に抑えつつ、無表情になったタンフウはほの暗い道を急いだ。慣れた様子で幾つかの道を折れる。
やがて人通りも次第に少なくなり、太陽は山の端に手が届くかという頃。
ひょいと、道の暗がりから一匹の狐が姿を現した。
狐とはいっても、野山で見かける狐とはその様相を
白い体毛に覆われた狐の体は、大人の両手の平に乗ってしまう程に小さい。
そして狐の
『やあ、息災のようじゃのう小僧』
「……またあんたか」
極力声を低くし、周りの人間に聞こえないようにタンフウは呟いた。
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