第2話 秋の一日 下

 吉お兄ちゃんが大学行きのバスに乗って、重成お兄ちゃんが会社に向かう。僕と孝仁お兄ちゃんだけになると、孝仁お兄ちゃんは僕に学校のことをよく聞いてくる。

「今日は何の授業があるんだ?」

「えっと、音楽と図工があったよ」

「音楽は良いな。俺、歌うのだけは好きだった。リコーダーとか全然できないけど。図工も嫌だな。センスがないから」

「でも、家にあるお兄ちゃんの粘土、僕は好きだよ」

リビングには、お兄ちゃん達が学校で作った作品が飾られている。拓真お兄ちゃんと重成お兄ちゃんは、まるで本物みたいに作る。吉お兄ちゃんは、いつもクマさんとかウサギさんとかの動物で、孝仁お兄ちゃんはぐねぐねした茎みたいなものだ。お兄ちゃん達は時々それをネタに笑うけれど、僕は孝仁お兄ちゃんの粘土も好き。自由で、良いなと思う。

「秋は図工も上手だし、楽器も弾けるからいいな。頑張れよ」

僕はその言葉に少し心が重たくなった。しかし、それを悟られないように平静を装う。

 小学校が見えてきた。僕は、友達の和人君に会うのが楽しみになってくる。

「じゃあ、夕方は拓真が来るからな。無理はするなよ」

「うん、じゃあね」

 孝仁お兄ちゃんとは校門で別れる。手を振って、孝仁お兄ちゃんが背中を向けたら、僕も歩き出した。

 昇降口で靴を履き変えて、一階の養護教室へ。二階じゃないから一人で行けるけれど、僕はあまりこの時間が好きじゃない。僕の足を見て、みんなが笑っている気がするからだ。いや、気がするんじゃない。笑ってる。変な目で見てる。僕はいつもそれが聞こえる。学校で和人君や先生に会うのは好きだけど、教室じゃない空間は大嫌いだった。

 僕はいつも、お兄ちゃん達に守られているんだ。隣にお兄ちゃんがいれば、変な視線も気にならない。でも、それでもいつか僕も大人になって、お兄ちゃん達のもとから離れていくんだろう。それは不安で、寂しい。一人になった僕は、存在していないみたいにちっぽけなんだ。

 暗い思考に、少しずつ呼吸が乱される。息が苦しいな。早く教室につかないかな。みんなが僕のこと笑うんだ。だから早く、早くっ!

「秋君おはよう、あら、大丈夫?」

「っはぁ、はっ、はぁはぁはぁ、んっ、はっ」

後ろから声をかけられた。声の主は担任の速水先生だ。わかるのに、挨拶できない。久しぶりだな。学校でこんなふうになるの、最近は、我慢できていたはずなのに。

 先生に背中をさすられながら、僕は廊下にうずくまる。先生は慌てた風もなく、いつものように優しい声音で語り掛けた。

「不安になっちゃったのね。大丈夫、大丈夫よ」

そう言いながら、背中を温かい手が撫でた。恥ずかしい、恥ずかしいよ先生。みんな僕のこと、見てるでしょ?

「息をゆっくり吐いて、吸って、吐いて。何も怖くないからね。今先生が来るから」

胸をぎゅっと握りしめていると、速水先生の手がそれを解いた。そして、僕の手が速水先生の手を掴むように促してくる。それじゃあ速水先生の手が痛くなっちゃうよ。こうなると、びっくりするくらい手に力が入ってしまうの。

「あ、桜井先生! こっちです」

「はいはい。秋君おはよう。よし、じゃあ持ち上げるよー」

桜井先生は僕の普通教室での担任の先生だ。まだ若い先生で、とても頼りがいがある人。

 僕は乱れた呼吸のまま、桜井先生に持ち上げられた。横抱きにされて、そのまま桜井先生のジャージを握りしめる。横を歩く速水先生が僕の頭を撫でた。

「息ゆっくり、ゆっくり……」

息を吐くことに集中していると、少しずつ胸のドキドキが収まってくる気がする。それでも、背中は嫌な汗をかいているし、じわじわと熱くなったり冷えたりを繰り返していた。

 養護教室の扉を開ける。僕にはとても長い距離に感じたのに、先生があるくと一瞬だ。

「秋、おは……どうしたの? 倒れちゃったの?」

先に登校していたらしい和人君に声をかけられる。和人君は立ち上がって僕の近くまできた。僕は力を振り絞って僅かに頷く。

「そっか、よしよし」

和人君は僕の頭を撫でた。

「和人君、ベッドのカーテン開けてちょうだい」

速水先生に言われて、和人君は急いでカーテンを開けにいった。僕はそこのベッドにゆっくりと降ろされる。

「じゃあ速水先生、お願いします。またね、秋君」

そう言って桜井先生は部屋を出ていった。

和人君は気を遣ってか、カーテンを閉めてくれる。僕がこういうところを人に見られたくないということを知っているのだ。僕は速水先生と二人きりになった。

速水先生がベッド際の椅子に座り、僕の頭を優しく撫でる。今日だけでいろんな人に撫でてもらったな、なんて、のんきに考える余裕が少しずつ出てきた。

「びっくりしちゃったね。でも、秋君に悪いところなんて一つもないのよ? 誰だって、調子が悪い時くらいあるんだから」

速水先生の言葉は、僕の胸をじんわりと温かくする。でもね、先生。僕はいつも弱いままだよ。いつも逃げてばっかりなんだよ。心の中で、そう言葉を返した。

「秋君は頑張ってる、頑張ってるよ」

まるで僕の心を見透かしたように、速水先生は言った。僕はその優しさが苦しくて、涙を流した。


 閉じていた瞼が開く。先ほどまで聞こえなかった話し声が、耳に届く。僕はどうやらあのまま眠ってしまったみたいだ。

「なんでここがこうなるの?」

「だって、さっき三をかけたでしょ? それに二を足して……」

「わかった! でも、難しいな」

「少しずつできればいいのよ。そうだ、秋君が起きたら教えてもらったら?」

「そっか! そうする!」

 数字の話をしている。じゃあ今は算数の時間かな。僕はぼんやりと考えた。そして、ベッドから足を出して精一杯手を伸ばす。カーテンに手が届くと、それをぐいっと横に引っ張った。

「あっ、秋起きた! おはよう!」

和人君が椅子から立ち上がって僕の元に駆け寄ってくる。満面の笑みだ。

「調子悪くない? もう元気?」

「うん、もう大丈夫」

「良かった!」

和人君は僕の手を握りしめてぶんぶんと振った。そして、僕を立ちあがらせると、そのまま机に引っ張って行った。

「今は算数だよ。ここね、すっごく難しいの。でも、秋は頭いいから、絶対できると思う!俺に教えてよ!」

見たこともない式をできるだろうか。僕はどきどきしながら自分の席に座った。和人君が机を合わせてきて、プリントを見せてくれる。そこに書かれた式を見て、僕はほっとした。

「これなら簡単だよ。えっとね……」

 算数の時間は四時間目だったので、すぐに給食の時間がやってきた。しかし、速水先生は僕の分の給食しか持って来ない。和人君は固形物を食べられないからだ。

「先生、手伝って」

「はいはい」

和人君のお腹には穴が開いている。そこに管みたいなものを通して、ご飯を食べるのだ。少しずつ柔らかいものであれば食べれるようになってきているみたいだが、それでも誤嚥する可能性があるので、週に数回大人の目のあるところで食べるくらいだった。

 僕はそれを見ながら、給食を食べ始める。しかし、あまり箸は進まない。五時間目の音楽が憂鬱だった。

 図工は好きだけれど、音楽は嫌い。音楽は、同じクラスの人と授業を受けなくてはいけないから。クラスの人はいつも、僕の陰口を言うのだ。こそこそ言っていても聞こえてくる。

「先生も、自分の給食持ってくるから、待っててね」

速水先生はそう言って教室を出ていった。和人君はそれを見届けると、僕にこそっと話しかけてきた。

「秋、あんまり食べないね。やっぱり、次の音楽のせい?」

和人君には隠しても仕方がない。一度相談をしたことがあるからだ。僕は頷いた。

「俺が同じクラスだったら、そんな奴ら殴ってやるのに! もう行かなくてもいいよ」

「……ふふ、殴っちゃ、だめだよ」

僕は力なく笑うことしかできない。特定の教科を出ないのは、先生やお兄ちゃん達に何か勘付かれてしまう。そうすると、お兄ちゃん達は手を打つだろう。それがわかっているから、僕は和人君にだけは相談するのだ。和人君は、みんなに秘密にしてくれている。

「でも、秋が食べられないのは俺も辛い」

和人君の泣きそうな顔を見て、僕はとても悪いことをしているような気にさえなってきた。しかし、その考えを振り払うように頭を振る。

「食べる。頑張る」

僕は一気にご飯をかきこんだ。和人君の慌てた声が聞こえるが気にしない。僕の問題は、僕が解決しなくちゃいけないんだから。苦しい、止まってしまいたい。帰りたい。後ろ向きな言葉は、いくらでも出てくる。けれど、そんな時だからこそ、前を向かなきゃ。

「あら、秋君今日は良く食べてるわね」

戻ってきた速水先生に笑顔でそう言われる。少し気持ち悪い。でも、笑ってくれたのなら、やっぱりこれでよかったんだ。和人君の不安そうな顔だけが、僕の脳裏にこびりついた。

 音楽の教科書数冊と、リコーダーを持って、速水先生と共に三階の音楽室まで向かう。心臓は嫌なくらい鳴っていた。隣で速水先生が何か話しかけてくれるものの、半分以上は聞こえない。階段を颯爽と上っていく生徒を見て、僕は自分の足を恨めしく思った。

「授業が終わったら迎えに来るからね。頑張って」

 僕は静かに頷いた。靴を脱ぎ、靴下で音楽室に入る。ざわざわしていた音楽室は、僕が入ってきた途端に静かになった。僕はいつものように、一番端っこの席に座る。その周辺には、僕が座ることがわかっているからか、誰一人座っていなかった。この沈黙が、嫌い。

 僕は足元に道具を置いて、一番上の教科書を膝に乗せた。そして、先生が来るまで教科書を見て暇をつぶす。

「変な足」

「なんで音楽の時間だけ来てるの?」

「ずるい」

「病気なんでしょ? 移ったらどうしよう」

「近くに行かなきゃ大丈夫だよ」

嫌だな。陰口なら、僕がいないところで言ってよ。僕には聞こえないところで、言ってよ。

 泣きそうになるのをどうにか堪える。涙で教科書の字が滲んだら、僕は何度も瞬きをしてそれを振り払った。

「おい」

ドスの聞いた声。僕は顔を上げた。知らない男子が立っている。少し怖い。

「お前、いっつも音楽の時間だけ来てうぜえんだよ。自分の教室に戻れよ」

そう言うと、僕膝にあった教科書を床に落とした。僕のくっつかない足が露わになる。男子は「うええ」と変な声をあげた。

 僕だって、来たくて来ているんじゃないんだ。先生に、音楽だけは出ておいでって言われてるんだよ。

 そう言い返したいのに、僕の喉は何かが詰まったように声を発しようとしない。「んぐ、んぐ」と喉を鳴らすだけだ。

「きっもちわりい!」

男子はそう言うと、仲間の元へと駆けていった。クラスが笑いに包まれる。僕一人だけ、笑っていない。

「はーい、授業を始めますよー!」

 突然がらりと扉が開き、音楽の先生が音楽室に入ってきた。

「秋君、良かった。一緒に頑張ろうね」

近づいてきた先生に、僕は俯いたまま頷く。僕はぎゅっと目を閉じた。吐き気がする。気持ち悪い。

 僕は音楽の時間も一人だった。わかっていたことだけれど、傷ついた。二人ペアでリコーダーの練習をするときは、いつも余ってしまう。先生がどこか三人グループにしようと言っても、誰一人こちらを見ない。結局僕は先生と練習するのだ。

 授業も終盤に差し掛かって来た時、たらりと額から汗が流れた。これは知っている。具合が悪い時の冷や汗だ。喉が焼けつくみたいな感じがする。胃のあたりが、気持ち悪い。僕は隣でリコーダーを教えている先生の袖を引っ張った。

「あの、トイレ行ってきてもいいですか」

「どうしたの? お腹痛い?」

そうではないけれど、僕は頷いた。一人で行けるか心配する先生をよそに、僕は逃げるように音楽室を出た。

 長い廊下を歩く。もう少しでトイレだ。僕は吐き気をぐっとこらえながら歩いた。右左に揺れる体が、吐き気を増長させる。何度もえずきながら、僕はようやくトイレに入った。

 扉も閉めずに、便器の中に顔を寄せる。その瞬間、喉の奥から昼食のご飯が十分に消化されないまま出てきた。生理的な涙が流れる。苦しくて、僕は何度も咳き込んだ。

「おぇ、げほっ、げほっ、うえぇ……」

足に力が入らなくて、そのままトイレの床に座る形になる。変形した足が痛んだが、気にしている暇もない。僕は波が収まるのを静かに待った。

 目を瞑って安静にしていると、チャイムが鳴った。目を開けて立ち上がる。流石に戻らないといけない。

 トイレから出て廊下を見据えると、音楽室から出ていくクラスの人達がいた。僕は物影に隠れて、彼らが去るのを待った。みんなが視界から消えると、ゆっくりと歩き出す。音楽室から先生が出てきた。そして、速水先生が階段の下から現れる。音楽の先生が僕に気がつくと、続いて速水先生もこちらを見た。二人で駆け寄ってくる。

「トイレから戻ってこないから心配したよ。お腹は大丈夫?」

「大丈夫です、あの、道具を……」

「あぁ、どうぞ」

僕は道具を受け取ると、一礼して速水先生の横に立った。早く教室に帰りたかった。

「お腹痛かったの?」

速水先生に聞かれて、僕は曖昧に頷いた。

「ちゃんと言えて偉いね」

速水先生がそう言って、音楽の先生はうんうんと頷いた。


 教室に戻り、帰りの準備をする。和人君と二人きりになったときに今日の音楽のことを聞かれて、僕はご飯を戻してしまったことを伝えた。和人君は怒って教室を出ていこうとしたが、引き留めた。言っても仕方ない。先生やお兄ちゃん達が余計な心配をするだけだ。どうせあと少しで卒業なのだから、このくらい耐えて見せる。

 昇降口で速水先生と一緒に拓真お兄ちゃんが来るのを待った。その間、速水先生は色々なお話をしてくれる。明日はどうやって過ごそうかと、楽しそうに語ってくれる。僕はあまり喋るのが得意ではないから、速水先生のそんなところにいつも救われている。

 校門に見慣れた車が入ってきた。すぐに拓真お兄ちゃんだとわかると、自然に口角が上がる。運転席から降りた拓真お兄ちゃんに、僕は手を振った。

「いつもありがとうございます」

「いえいえ、秋君とっても良い子だから、なんだかこっちも助かっちゃって。もっと面倒かけていいのよ?」

速水先生に覗きこまれるが、僕はふるふると首を横に振った。

「僕、もっと頑張る。みんなみたいにできるように」

「偉いな、秋。では、失礼します」

「はい。またね、秋君」

速水先生に小さく手を振って、僕は車に乗り込んだ。

 家に帰ってきて、ランドセルをリビングのソファに置いた。僕はそこで一息つく。

「学校はどうだった?」

「いつも通りだよ。でも、朝少し具合悪くなっちゃった。先生に助けてもらったの」

「そっか。まぁでも、今日も一日頑張った秋に、ご褒美」

そう言って、拓真お兄ちゃんは冷蔵庫の上からクッキーを取り出した。可愛らしい動物型のクッキーは、吉お兄ちゃんが見たら喜びそうだ。

「これ、吉お兄ちゃんにはあげないの?」

「あいつが見たらひとりで全部食べちゃうよ。だから、これは俺と秋の秘密な」

口元に人差し指を当てた姿が格好いい。僕は嬉しくて大きく頷いた。

 体が重いと感じたのは、それから三十分後くらい経ってからだった。ソファに座ってテレビを見ているのも辛くなり、ソファに横になる。こういうとき一番先に痛くなるのは足で、なんだかミシミシと関節が痛くなってきた。

 足をもぞもぞ動かしていると、向かいのソファに座っていた拓真お兄ちゃんがそれに気がつく。

「足痛いの?」

「少し……」

「どれ」

拓真お兄ちゃんが近づいてきて、僕のズボンを捲った。足に手を当てる。

「腫れてはいないみたいだけど……ってあれ、これどうしたの? 痣になってる」

拓真お兄ちゃんが触れたのは、トイレで座り込んだときに床に当たっていた部分だった。当たった時にも痛いと思っていたが、やはり痣になったらしい。

「わかんない」

横になったまま答えると、今度は僕の顔の近くに拓真お兄ちゃんがやって来る。そして朝と同じように額に手を当てた。

「秋、熱あるよ」

そう言われて、やっぱりかと思っている自分がいた。熱をよく出すから、そういうときどういう症状が出るかはなんとなくわかる。足が痛くなって体が重ければ大体熱が出ている。

「疲れが出たのかな。とりあえず上に行こう」

そう言って抱えようとしたのを、僕は制した。首を横に振って、上には行きたくないと伝える。

「どうして?」

「だって、お兄ちゃん達……会いたい」

「俺たちもお見舞い行くよ」

「違うの……一人になるの、嫌だ」

具合が悪い時は、いつも部屋に一人きり。二階でお兄ちゃん達の話声を聞くのは、仲間はずれにされているようで嫌だった。

 拓真お兄ちゃんは黙考した後、「待ってて」とリビングを出ていった。あまりに笑わないので、怒らせたかと不安になる。しかし、それは全くの杞憂だった。拓真お兄ちゃんは枕と毛布を持ってきて、僕の頭の下に差し込み、毛布を掛けてくれた。

「ソファで横になるの辛くない?」

「大丈夫」

拓真お兄ちゃんは笑顔で頷くと、僕の足元のソファに座った。そしてぽんぽんと体を叩いてくれる。

「早く良くなりますように」

おまじないの言葉も、しっかり添えて。


 トントン、トントン。この手は誰だろう。あったかいな。ずっと、触れていたいな。僕は僕の頭を撫でる手にどうにかしがみつく。しかし、足を見知らぬ誰かの手に引っ張られて、痛くて苦しい。お兄ちゃん、助けてよ。

「お兄ちゃんっ」

「わっ、びっくりー。どうした?」

荒い呼吸を落ち着ける僕が捉えたのは、チョコを食べる吉お兄ちゃんだった。拓真お兄ちゃんが座っていたはずの場所に、吉お兄ちゃんがいる。

「怖い夢でも見たの?」

優しく問いかけられて、僕は首を横にふる。先ほどの夢が怖かったかと聞かれると、よくわからない。

「そう。でも、早く良くなってね。帰ってきたらソファに寝てるんだもん。心配したよ。ねっ、重成」

同意を求められた重成お兄ちゃんは「あぁ」と低い声で返事した。

「今日明日はゆっくり休め」

「あっ、秋起きてるー。おっはー、つってももう夜だけど」

今度は孝仁お兄ちゃんが現れた。制服を着崩して、なんだか雑誌のモデルさんみたい。それがおかしくて笑うと、みんなが僕を覗きこむ。

「今なんで笑ったんだろ?」

「わからん、しかし可愛いな」

「不謹慎だが同意だ」

そんな会話をする。お兄ちゃん達が揃うと、僕にはよくわからないけど面白い。

 体は熱い。呼吸も辛い。足の痛みはとれないし、正直ソファだと身動きがとれなくて苦しい。しかし、二階のベッドで一人でいるよりも、ずっとずっと心が楽だ。お兄ちゃん達に囲まれていると、僕もその一員になったかのような気分になるのだ。

「おーい、いい加減お前ら部屋戻れよー」

拓真お兄ちゃんの声が遠くに聞こえる。

「だって、秋がここで寝てるんだもん」

「今から二階連れてくからさ。あれ、起きてる」

拓真お兄ちゃんが僕の顔を覗きこんだ。

「調子どう? まだ辛い?」

「うん、ちょっと……」

 僕たちが話すのを、お兄ちゃん達は見つめていた。それが気恥ずかしくて、僕は顎を引く。

「夜は辛いかもな。今日は俺が一緒に寝るよ。大丈夫、朝には治ってる」

拓真お兄ちゃんが僕を横抱きにした。

「えー! いいな、俺も秋と寝たい!」

孝仁お兄ちゃんがぶーぶー文句を言う。それを重成お兄ちゃんが宥めた。吉お兄ちゃんも頬を膨らませていて、それがハリセンボンみたいで可愛らしい。

「みんな、また、明日ね」

そう言って毛布の中から僅かに手を出す。すると、騒いでいたお兄ちゃん達は静まり返り、揃って笑顔になった。

「おやすみ、秋」

「秋、明日にはうーんと元気になっててよね!」

「朝起こしに行くの俺だからな!」

 僕はそれを聞くと、拓真お兄ちゃんの胸に頭を乗せた。そして目を瞑る。拓真お兄ちゃんが歩く振動が体に伝わる。この腕の中に、どれだけ救われることか。

「おやすみなさい、秋」

拓真お兄ちゃんの低い声が、僕に優しく降りかかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

宮掛秋とそれを取り巻く人々の話 ひよ @tanuhi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ