第123話122.ノヴァゼムーリャの領主 終章

 ノヴァゼムーリャの短い夏は終わろうとしていた。

 白く延びる街道の周りはどこまでも続く荒野である。色褪せかけた夏草とと低い潅木。川の流れが涼しげな音色を運んでくるが、ただそれだけのだだっ広い大地。


 リンゼイ・ウィル・フォレストは些か途方にくれて首を垂れた馬を御していた。

「おかしいなぁ、もうそろそろ見えてもよさそうなものなんだが……一行に村らしきものが見えない」

 アルエの街で聞いた情報によると、街道は一本で迷う事はまずないという事だったが。

 しかしこの二刻余り、誰とも会わず、もちろん目指す方角からくる旅人もいない。辺りは夏の花をつけた雑木の生い茂る荒野が広がるばかりだ。

 緩やかな起伏にとんだそれなりに美しい風景だが、そこには人家は勿論、人の手が入った形跡すら見受けられない。リンゼイはすっかり心細くなってせめて道標でもないかと辺りを見回した。

「あ」

 リンゼイは目を凝らした。

 彼が認めたのは、前方になだらかに広がる丘の頂きに立つ鹿毛かげの馬に乗った人物。さっきまでは見かけなかったから、どうやら丘の向こうからたった今姿を現したらしい。

 良かった。あの人に聞いてみよう。

 リンゼイはこちらを見下ろしているらしい人物に向けて大きく手を振った。

「おお」

 嬉しい事にその人物は自分の合図に応えてか、馬に拍車をくれると一気に丘をこちらに向かって駆け降りてくる。少年のようなほっそりした姿で大きな黒い帽子を被っているのが見て取れた。

 そして。

 続いてもう一騎姿を見せた。こちらは一際大きな黒い馬に跨っている。遠目にも明らかに体格の優れた男のようだった、こちらも同じく最初に現れた人物の後を追って丘を下る。

 最初の人物よりも数段馬術が優れているのか、彼はすぐに鹿毛の馬を追い越し、先頭に立った。

 あっという間に黒馬はリンゼイの前に出ると、慣れた様子で黒馬を御し停止する。

「……!」

 鉄色の髪に青い瞳。腰には実用一点張りの飾り気のない長剣、リンゼイよりは年長のようだが、それでもまだ若いと言ってもよい端正で精悍な顔つき。男は鋭くリンゼイを見た。

 思わず目を反らしそうになった程、力のある視線だった。

「あ……」

 何といって言いものか戸惑っている間に鹿毛の馬が追いついて黒馬の横に停まった。並んでみると馬の大きさの違いもあるが、こちらの人物は先の男に比べるとかなり小柄だった。

 黒衣に包まれ夏用のマントをはおっている。不思議な雰囲気を纏っているが、少年なのだろうとリンゼイは見てとった。広い鍔に阻まれて顔はまだ見えない。

「ヨシュア! もぅ……あなた速過ぎる」

 男でも女でもないような透明な声で不思議な若者は抗議する。幾分前にいた男はその声に振り返った。

「当然です。知らぬものにそう無警戒に近づいてはならない」

「知らぬ者ではない。聞いた通りのご様子ではないか」

「保証はありません。ああ、失礼、貴公は?」

 再び鋭い視線を返されて誰何すいかされる。それは命令する事に慣れた口調だった。

「あ、はい。私はリンゼイ・ウィル・フォレストと申します。伯父のヘルンの後を継ぐ為、このたびノヴァゼムーリャ領主村に参りました医師の端くれです」

 リンゼイは慌てて答えた。

「ほら! 思ったとおりだ。私は——」

「失礼とは存ずるが、証明するものはお持ちか?」

 若者は嬉しそうに大柄な男に向かって言ったが直ぐに遮られた。口調は丁寧だが、男の方が若者よりも立場が上なのかとも思える。

 リンゼイはとりあえず、自分が怪しいものではない事を証明してくれる書類を上着のかくしから取り出した。

「はい、え〜と。そうですね、道中手形と……ああ、伯父貴から貰った手紙がありますが、これでよろしいですか?」

 リンゼイから受け取った手紙類に男はさっと目を通した。その間も彼と若者との間に自分を差し入れ、適当な間を空けている。

 私服のようだが、おそらく軍人だという事は素人である彼にも直ぐに分かった。それもかなり腕の立つ。

 リンゼイは微妙に緊張したが、しかし、次に男が顔を上げた時、その表情からは幾分厳しさが和らいでいた。彼は丁重に手紙を元に戻すとリンゼイにさし返した。

「成程。これは正式な道中手形にヘルン殿の直筆の書簡。どうも失礼いたした。これも仕事でね、ご容赦いただきたい。無防備なこの方を守るためにどうしても私が用心深くしなくてはいけないのです。私はヨシュア・セス・ファイザル。この地の治安と警備を任されている者」

「ええ!? あなたが名高い掃討のセ……いや、こちらこそ失礼いたしました。まさか、ご高名な将軍閣下とは知らずに」

「やっぱりそうではないか!」

「!」

 少年は嬉しそうに言ってリンゼイの言葉を遮って嬉しそうに叫ぶと帽子をはね除ける。

 秋の透明な陽光に晒されたその人は——。

 長い白銀の髪、透き通った赤い瞳に陽の光を映して笑った。

 う……わ!

 リンゼイは言葉をみつけられない。だが、若者は天使のように澄んだ眼で真正面から彼を見つめている。

「私はノヴァゼムーリャ領主、レーニエ・アミ・ドゥー・ワルシュタールと申す。リンゼイ・ウィル・フォレスト殿、あなたをお迎えに上がった」

「こ、これは……ご領主様であらせられましたか! 失礼いたしました。伯父からよく伺っておりましたのに」

「私もあなたの事はヘルン殿から聞いている。非常に優秀な医師であられるとか。この地はよいところだが、医師の数が少なくてな。ヘルン殿も長年よく尽くしてくれたが、何分お年で……このところは病がちになられて。皆心配していたのだ。しかし、こんなに若く優れたお医者様が来て下さったのなら、さぞ我が民も安心だろう」

「そんな……かい被りでございます」

 二十代の半ばであるリンゼイは、美しい領主にまともに見つめられて口ごもった。

「伯父の後を継いで、できる限りの事は致したいとは存じますが」

「歓迎する」

 若い医師に差し出される手。

「よくぞ参られた。この——ノヴァの地に」

 誇りを込めて領主はそう告げ、美しい微笑みを浮かべた。


 ここで物語はひとまず終わる。

 ノヴァゼムーリャ領主、レーニエ・アミ・ディ・エルフィオーレとその夫が紡ぐ物語は、新たな色彩を帯びつつ、次の世代へと引き継がれて行くことになる。




 ——— ノヴァゼムーリャの領主 完 ————




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る