第122話121.ノヴァゼムーリャの領主 5

 王宮の奥深くで上げられた婚儀から約一月後。

 夏を謳歌おうかする都、ファラミアをレーニエが後にする時がやってきた。

 秘された王女にして北方領土ノヴァゼムーリャの領主、レーニエ・アミ・ディ・エルフィオーレと国軍将軍、ヨシュア・セス・ファイザル。

 彼らは結局、南部ウルフィオーレから戻って二月以上をこの都で過ごしたことになる。通常ならば、国境に面した辺境領主がそれほど長く国元を空けることはまずない。エルファラン国は北を除くと、他は隣国との自由国境地帯に接しており、いくら大国とは言っても国境警備と管理は領主の重要な任の内だからだ。

 領主がそれだけ長い間留め置かれた理由は、女王ソリル二世がやっと公けにできた愛娘を中々離したがらなかったのと、ザカリエ戦役の英雄ファイザル新将軍が、戦の残務処理——特に戦死したものの遺族に対する様々な対応を、きちんと見通しがつくまで責任を持とうとしたからであった。

 だが、それも大方は片付いた。

 レーニエが北の領地を離れて既に五ヶ月以上になる。彼の地では今頃、早い秋の気配が微かに兆す頃だろう。荒野を覆う夏草は既に色褪せ始めているに違いない。

 都より淡く透明な広い空、針葉樹の上を吹きわたる緑の風、豊かな下生えの中に控え目に咲く花々。そして笑いさざめきながら裸足で駆けてゆく小さな足。

 それらすべてが懐かしくてレーニエはこのところ空ばかり見上げていた。

 帰ろう。帰りたい。我がノヴァの地へ。

 黄昏の金色の光が惜しみなく降り注ぐ庭を歩きながらレーニエはサリアを振り返った。背後に紅色や黄色の花をつけた蔓草を従え、まるで幽玄の国の主のようである。

「ヨシュアがね」

 細い指先で長い髪をもてあそびながら、レーニエは呟いた。

「はい」

「もう大丈夫だって」

「左様でございますか」

 サリアもレーニエが何を言わんとしているかはよくわかっている。

「うん。陛下……母上には今朝がた許しをもらった」

「はい」

「三日後に発つ。準備を」

「畏まりました。大丈夫でございます、既に大方は整っておりますわ」

 サリアの声もどこかうわついている。

「ですが、陛下はなんと仰せになられましたか?」

「息災で、と。そして、二月ふたつきは必ず帰って来るようにと、それだけ」

「帰ってこられますのでしょう? 都に」

「ああ、来年の春には」

 心穏やかにレーニエは頷いた。

「伐採期と春の畑仕事が終わったら、皆の仕事が少し楽になるだろう? そのくらいから夏にかけて都に戻って来よう。私は夏が苦手だからそれぐらいが丁度いい。それに冬の間に皆が作ってくれたリルアの加工品を広めるにも都合がいい」

「まぁレーニエ様、レーニエ様ったらすっかり商人のようなもののおっしゃりようですわよ」

 心安だてにサリアは笑った。

「私だって、少しは学んだんだから。経済とか流通とかを。シザーラ殿から」

「そうですわねぇ。お二人はすっかり気心の知れたご友人になられましたわねぇ」

「うん、いつかきっとシザーラ殿をノヴァにお招きしようと思う。ナディア殿ともきっと気が合う」

「それは楽しみですわね」

 同じ年の友人など、昔王宮の片隅でで暮らしていた頃には考えられなかった事だ。しかし、レーニエはあの頃のような蜻蛉の如き麗人ではない。少し自信無げな部分は残っているものの、自らを覆い隠す仮面も大きな帽子も捨て去った、ごく当り前の二十歳の娘である。

「きっとそういたしましょう、レーニエ様!」

「うん。あ、それと、帰る前にフェルに会いたい。呼んでくれるかな。彼の学校の都合に合わせて構わないから」

「畏まりました。きっと飛んでくると思います。さ、そろそろ中にお入りに。晩餐は陛下とご一緒になさるのでしょう? 支度を致しませんと。陛下は一刻一秒を惜しんでレーニエ様とお過ごしになりたいご様子ですもの。お待たせしてはいけませんわ」

「そうしよう。ああ……見て、サリア。空が夢のようにきれいだ」

 そう言ってレーニエが見上げた空は、赤や橙、灰に薄紫とありとあらゆる色彩で彩られ、花園と二人の娘を暖かく染め上げていた。


 レーニエの招聘しょうへいを受けてフェルディナンドが彼女の部屋にやって来たのは、翌日の薄暮の頃だった。

「レーニエ様、フェルディナンドが参りました」

「ああ、すぐに通して」

 サリアが引っ込むと直ぐに士官学校の制服に身を包んだフェルディナンドが入って来た。扉の前で騎士の礼を取る少年を、少し眩しそうにレーニエは見つめる。

「フェル! よく来てくれた」

「お呼びだと言うのに遅くなりまして申し訳ありません」

 少年は礼の姿勢を取ったまま、まだ床を見ている。

「いや、いいのだ。馬術の試験があったのだろう? 聞いている。お前の都合も考えないで悪かったね。私はいつも気が利かず……すまない」

「いえ、そんな事をおっしゃらないでください」

 フェルディナンドは素直なレーニエの謝罪を聞いてやっと顔を上げた。

「そんなところで立っていないでこっちに来て? ヨシュアはまだ戻らないが構わないだろう」

 試験があったのは事実だが、フェルディナンドは主席をとれる自信はあった。それは筆記試験の直後に行われる実技試験でも然りである。

 だから、帰ろうと思えばいつでも王宮に帰ることはできたのだったが、フェルディナンドはこの半月の間、一度もレーニエや家族に会いに来なかった。学問や訓練で忙しかったのは事実だが、それだけではない。フェルディナンドは意図的に帰らなかったのである。

 愛する人と結ばれた主人の幸せを喜ばしく思う気持ちに嘘はない。しかし、それをずっと傍で眺めていられる程、自分が大人ではない事も彼は自覚していた。

 だからフェルディナンドはレーニエが領地に戻るギリギリまで会う事を避けていたのだ。

 けれども、どうしようもなく会いたいと思っていたのもまた事実であった。

「それで試験はうまくいったの?」

 レーニエは鈴の鳴るような声で尋ねる。

「ええ、多分」

 小卓を挟んで、斜め向かいの長椅子に腰をおろしてフェルディナンドは答えた。レーニエのためにお茶を淹れようと腰を上げかけたが、それを察したレーニエに制される。

 お茶は姉が運んでくるのだろう。

「そう。フェルは偉いね。もう私なんかよりずっと立派だ」

「いいえ、私はまだまだです。レーニエ様がいらっしゃるから頑張ってこられたのです」

「学校は面白いところだったね。また行ってみたいな」

「来年にでも是非。ですが、今度はもっとお静かにお願いしますね」

 フェルディナンドの言うのはつい十日程前の出来事である。

 セルバローとファイザルを伴って士官学校を訪れたレーニエは、またしてもちょっとした災難にフェルディナンドを巻き込んでしまったのであった。

「あっ、言ったな。ははは、でも楽しかったから又趣向を考えておこうかな?」

「お手柔らかにお願いいたします。あれからなんだか皆が私を敬遠しているようなんですよ」

 フェルディナンドも笑った。

「でも、おかげで仲良くなれたやつもいるし。ヒューイとも最初は喧嘩からでしたでしょ」

 ヒューイとはノヴァの領主村でフェルディナンドの友人となった少年である。彼もレーニエの支援を得て都にさまざまな事を学びに来ていた。彼もまだノヴァには帰らないのだ。

 男の子とはやるべき事を見つけると、こうも潔くなれる生き物なのだろうか?

「フェルはすごいね。いつも強くて賢くて優しい」

 そう言うと、レーニエは腰を上げてフェルディナンドの横に座った。

「お前はもう私と一緒には暮らしてはくれないのだね」

 レーニエは答えを分かっていて尋ねた。ついと腕を伸ばすと滑らかな黒髪を梳いてやる。幼い頃よくしていたように。

「申し訳ありません。もう暫く学ばせてください」

「お前の望みなのだから、そうするがいいとは思う。だけど、やっぱり私は寂しい……勝手なものだ」

「レーニエ様には将軍がいらっしゃいます。お寂しい事はありません」

 指先が少年の頬に触れる。

「それはそうだけど……例えノヴァに戻ってもヨシュアはきっと多忙だと思う。砦に詰めることも多いだろうし、私の傍にばかりはいられない。館には何日か置きに戻って来るだけになるだろう。まぁ、どれもこれも私の我儘だけれども」

「……」

「フェル、学校を卒業したら帰ってきなさ……帰ってきてくれる? ノヴァゼムーリャに、私の元に」

 不意にレーニエは少年の肩を抱き寄せた。昔はすっぽりと包みこめた肩は広く、レーニエの方がすがりついているように見える。だが、レーニエは優しい姉がするように何度も何度もフェルディナンドの頭を撫でた。

「ありがとうございます。事情が許せましたならば必ず」

「事情?」

 フェルディナンドは抗わずに主が愛情深く撫でるがままにされていたが、やがてゆっくりと顔を上げた。

「さぁ、今は何とも言えませんが、いずれ私には様々な任務が与えられるでしょう。私を見込んで与えられた任務ならば、それに応じて国に尽くすのが士官の本懐だと思います」

「……」

 似たような言葉をかつて聞いた事がある。それは彼女の愛する男が戦場に向かう直前に言った言葉。その時の男と同じ表情をフェルディナンドはしていた。

「そう……そうなのか」

「申し訳ありません、レーニエ様。こんな言い方になってしまって……でも」

「いいんだ……フェルも、もう一人前の男なのだな。優秀なお前の事だから、きっと国の為に必要な仕事を受けるのだろう。私の事などで|煩(わずら)わしてしまうのは間違いだった」

「いいえ、私にとってレーニエ様の事は何よりも大事なのです。今でもこれから先も。でも、私は早く強くなりたい。あなたを守れる強い男に」

「そうか……うん。これからは会いたくなったら私の方からお前を訪ねよう。でも、危ない事は絶対にしないで。私の為というのならば」

 レーニエはそういうと両手を肩に添えて少年の白い額に接吻した。もう、少し腰を屈めてもらわなければ届かない額に。

「お願いだから」

「はい。レーニエ様にもいつまでもお健やかで。私をいつまでもあなたのフェルディナンドでいさせてください」

「ああ、ああ……無論……フェル、フェルディナンド……愛しているよ、私の弟」

「はい……いつか必ずあなたのもとに戻ります。私は永遠にあなたのものです」

 目じりを滲ませて自分を見上げる赤い瞳に少年は誓った。


 そして、さらにその三日後の朝。

 王宮の北の小門。大門から少し離れたその門は堅固だが古びていて、警備の衛兵以外は滅多に誰も訪れることのない場所だ。付属の小宮も蔦に埋もれるようにして建っている。

 今朝は珍しくその場所に集う人々があった。

「では……ここまでついてきてしまったが、きりがない故これにて別離の場と致そう」

 女王は寂しそうに言った。北門の小宮殿のホールが母娘の別れの場なのだ。

「レーニエ……娘や、ごきげんよう。どうぞお幸せに。又会える日まで」

 そう言ってソリル二世は娘を抱きしめる。国王である彼女は元老院が認めた理由がない限り王宮を出られない。そしてソリル二世は私的な理由で法を破る事を良しとはしなかったのである。

「陛下……母上もお健やかで」

 レーニエは自分より幾分背の低い母を抱きしめた。

「来年の春には帰ってくるのですよ。ここもあなたのお家なのですからね」

「はい……はい! 必ずや!」

「そしてファイザル殿」

 レーニエの背後に立つファイザルに国王は声をかける。

「は!」

「御身は今や我が国に無くてはならぬお方。まだまだ国防や軍の編成について沢山の事をお願いする事と思います。」

「我が身でお役に立てることがあれば」

「ええ。ですが、なにより娘を頼みます。このような願いは御身にとっては言わずもがなの事であろうが、どうかこの子を幸せにしてやっておくれ」

「は! 陛下に捧げたこの剣に誓って。我が命に変えても」

 ファイザルはその長身を折って最深礼を取った。その広い背を女王は何と見たか、彼女は娘を静かにそちらへ押しやった。

「御身が再び戦に臨む事の無いよう、娘が悲しむ事のないよう、国の平和の為に私も力を尽くします。微力ではありますが……娘や?」

「はい」

「こんなことを申しては無粋なのであろうが、孫の顔を見るのを楽しみにしていますよ」

「母上……はい、もしも恵まれましたならば」

 レーニエも深礼を取って母の手に口づけた。

「最早行きますか」

「参ります。母上、幾重にも心からの愛と感謝を」

「私からもね。さぁ、お行き! 私が与えた翼で思う存分生きてゆかれるがいい」

「はい! ではこれにて御免仕ります! 母上、さようなら!」

「さようなら」

 母の見送る背中は、かつての憂いに満ちた日陰の娘ではない。愛と希望に満ち溢れた若き領主の後ろ姿であった。


 荒野に伸びる街道を馬車が行く。

 レーニエは新たな思いで移りゆく景色を見ていた。

 三年前ひたすら茫漠ぼうばくとした思いを抱えて辿ったのと同じ道を、今度は希望に満たされて走っている。傍らをゆく精鋭部隊を指揮するのは彼女の愛する夫で。彼は黒い馬車のそばを片時も離れない。

「見えてきました、レナ」

 馬車の扉に馬を寄せてファイザル声をかけた。

 アルエの街の郊外。道は小高い丘陵地帯にさしかかっており家並みはどんどんまばらになってくる。灌木のよく茂ったやや高めの丘の麓をぐるりと超えた途端、視界が大きく開けた。

「おお! あれはセヴェレの山並み……」

 何もないだだっ広い荒野。そしてその遥か向こうに聳える峨峨たる青い稜線。雄々しい山並みをもっとよく見ようとレーニエは馬車の窓から顔を出した。頬に感じる風には微かに水の匂いがする。

 荒野を流れるリームの流れだろうか? けれどこれでは物足りない。もっとノヴァの風を、空を、大地を、直かに感じたかった。

「ヨシュア、私をハ—レイに」

「また、あなたは……」

 この娘が何時までも大人しくしている訳はなく、いつそう言い出すかと思って常に周囲には気を配っていたが、荒野はどこまでも静かで、人影すら見えない。

 念のために走らせている先発隊からの報告も通常通りで、これなら大丈夫だろうとファイザルは思ったが、一応困った風を見せた。

「お願い」

「仕方のない人だ。では全軍停止!」

 指揮官たる彼の一声で部隊は速やかに動きを止める。ファイザルは馬を下りて馬車の扉をあけるとレーニエが勢いよく飛び降りてきた。

 奥に座るオリイやサリアに問うような視線を投げかけてみても、笑いを噛み殺すだけで何も言おうとはしない。さぞ妻に甘い夫だと思っているのだろう。

「ヨシュア」

「はいはい」

 照れ隠しにファイザルは勢いよくレーニエをハーレイに乗っけてやった。いつもの男装だから、服装に気を使う必要もない。

「駆けて」

 すっぽりと夫の腕の中に収まったレーニエは大層嬉しげに強請った。ここ数日は馬車での移動だったからずっと退屈していたのだ。

 それでも妻が自分や夫の立場をおもんぱかり、街中ではじっと我慢していた事をファイザルは知っている。だから叶えてやりたかった。このささやかな願いを。

 彼は仕方なさそうに笑った。

「少しだけね。後を頼むぞ、オーフェンガルド」

 ファイザルはアルエの街まで一行を出迎えに来ていた友人に声をかける。彼はアルエの街の守備隊長としてファイザルの指揮下に入る事になっていた。

「任せろ。お馬車は薄暮前にお屋敷に送り届ける」

 彼も心から嬉しそうに、妻を自分のマントで包み込んでいるファイザルに微笑んだ。

「ご領主様を頼むぞ」

「三騎、ついて来い!」

 愛馬ハーレイに拍車をかける。

「はぁ!」

 忽ち馬車を置き去りにして黒い軍馬は荒野を駆けてゆく。

「ああ……ノヴァの風だ」

 |解(ほつ)れた銀髪がハーレイの足並みに合わせてひるがえる。

「ご気分は? 俺の姫君?」

「最高! でも姫君じゃないから。ああ、私も早くリアムで駆けたいなぁ! 彼女は元気かな?」

 レーニエはノヴァゼムーリャに置いてきた自分の愛馬を思った。

「きっとセバストさんがしっかり世話をしていますよ」

「そうだね。あ、フユコウジの林だ! 今年の冬にはまた探しに行こう。ねぇヨシュア?」

「楽しみだ」

 真冬に実を付ける赤い樹の実。生まれて初めて自分でもいだ果実を口にして喜んだ娘は今、自分の妻で。片手で巧みに手綱を操りながら、ファイザルはその時の事を思い出した。

 ハーレイは優秀な軍馬だ。ほんの僅か駆けただけで、夏草に覆われた荒野にところどころ果樹園や畑が見え隠れするようになった。そして、街道の向こうに——。


「あれは……ヨシュア、村が、村が見える」

 レーニエが指差す。

「ああ」

 白く伸びる街道の先にノヴァゼムーリャの領主村が見えてきた。低い屋根の農家は見えないが、村の入り口近くに立つ櫓や広場の集会所の塔が見える。

 ファイザルはさらにハーレイを煽り、付き従う三騎を離した。

 カッカッカッ!

 ハーレイは小気味のいい調子で固い地面に蹄の音を響かせて走る。彼は最後の緩いカーブを黒い旋風つむじかぜのように駆け抜けた。

「? ヨシュア、あれはなんだろう?」

 村はもう目前だ。そして街道の両脇には。

 黒い軍馬を見とめた途端、遠くからわぁっと歓声が上がるのが聞こえた。

 人が、人が、人々が——。

 皆晴れ着を着こみ、手に手に花や帽子を持って街道に溢れていた。我先に駆け出したのは子どもたちだ。

「レーニエ様! ご領主様ぁ!」

「おかえりなさい!」

「おかえりなさぁい!」

 小さな足がいくつも懸命に自分たちの方へ駆けてくるのを見てレーニエは驚きのあまり息をのんだ。ファイザルはハーレイの速度を落とす。

「あれは……マリ、ミリア! 他にもいっぱい! ヨシュア、これは一体どういうこと?」

ようやくお戻りなったご領主を、皆心から歓迎して出迎えているのでしょう」

「私を? 本当に?」

「ふふふ。今度はどうやら匕首あいくちを投げられないで済みそうですね。さぁ、レナ、手を振ってあげなさい。ノヴァゼムーリャの領主のご帰還だ!」

 心からファイザルは笑い、妻の頭に唇を落とした。

「レーニエ様!」

 黒い巻き毛を乱したマリが息を弾ませて、ハーレイのそばまで駆けてきた。レーニエが声をかける間もなく後から後から次々に子どもたちが、そして——。

 あっという間に人々が二人を取り囲む。涙をにじませたセバスト、村長のキダム、アダンにナヴァル、ペイザンやアンナ婆の姿まである。皆に取り囲まれ、さしものハ—レイも歩みを停め、甲高く嘶いた。子供たちの頬は赤く、娘たちは色とりどりのスカーフを振っている。若者も年寄りもいる。

「ご領主様!」

 そして、彼らは一斉に野の花を二人に投げかけた。

 それはまるで舞い落ちる雪の切片のようにも見えーー。

「おかえりなさい!」

「おかえりなさい!」

 口にするのは喜びを込めた迎えの言葉。

 レーニエは足を踏ん張って全身で受け止めた。彼らの温かい心を。

「みんな……ただいま。私はノヴァゼムーリャに帰ってきたよ」

 舞い散る花が銀色の髪を飾る。


 かくしてノヴァゼムーリャの領主は、漸く己を見出した北の大地へと帰りついたのであった。




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