第112話111.刹那 7
「素敵なお芝居でしたわねぇ」
シザーラは通りを歩きながらうっとりとレーニエに話しかけた。
「うん、お芝居を観たのは初めてだから他と比べようもないけれど、こんなに引き込まれるものだとは知らなかった」
白い頬を紅潮させながらレーニエも頷く。
「王女様が海賊の首領に恋するところなんかすごく素敵で……とっても感情移入できましたわ」
「あの俳優さんはなかなかの男ぶりでしたわねぇ。それに海があんな風に布で表現されるなんて思いもよりませんでしたわ。戦いの場面もそれは迫力があって」
シザーラと反対側からサリアも話に加わる。いつの時代も芝居は女性の娯楽なのだ。
「うんうん、実際の戦は恐ろしいものだが、お芝居と分かって見るのはこんなに面白いものなのだな」
娘たちは三人並んで仲良く国立劇場の大階段を下りてゆく。フェルディナンドが少し前を先導し、彼女らが歩きやすいように配慮している。
両脇に大柄な青年達。そして、背後には赤毛の美丈夫。
彼らの進むところ、人々が波のように両側に引いて行く。
「いやぁ、いま評判の芝居はお嬢さん方のお気に召したようでよかったなぁ」
彼は上機嫌でそこら中の女性に甘い微笑みを振りまいている。
「ええ、本当に。さすがは女性の扱いに慣れていらっしゃる雷神殿ですわ。大感激でございます!」
「わははっ! そんな当たり前の事を」
彼らに目立とうとする意思は無いにせよ、これでは人目に立つなと言う方が無理だろう。
「アンタが目立ってどうすんだよ」
フェルディナンドはこっそり毒づいた。
周り中の女性たちはぽかんと口を開けたり、頬を染めたりしてセルバローを目で追っている。少年は恥ずかしくて仕方がない。
しかしここでこの傍若無人な男に文句を言っても相手にされないばかりか、却って目立つだけだろう。フェルディナンドは黙って予定通りの道順をたどった。
それにレーニエ達には分からないが、訓練を積んだフェルディナンドの目には劇場内のそこここに私服を着た兵士たちがいるのが知れたし、
こうして壇上から広場を眺めていても、要所要所を固めている警備の布陣が良く判る。今後の行程にも勿論このように万全の配備がなされているのだろう。
ファイザルの手腕は明白だった。
「さぁ、次は商店を覗いてみましょうぜ」
「まぁ商店ですの? お買い物ができるかしら?」
一行は劇場前の広場を横切り、都で一番大きな市場に向かう。
午後の市場は程よく賑わっていた。
この市場は幅の広い通りの両側に様々な規模の店が並んでいるが、広い通りの真ん中には簡単なテントを張ったり、ただ敷物を敷いただけの露天商店もたくさんある。
ここがファラミア最大規模の中央市場で、食物、花、日用雑貨から、薬、装身具、服飾、そして動物を扱う店まであった。
「これは外国からの品物を扱う店ですよ」
「あら、じゃあ、我が国からのものもあるのかしら?」
シザーラはさすがにただ単に楽しむだけでなく、どんな品物が人気があったり、物価はどうだとか、セルバローやその従卒たちに質問しながら時々小さな手帳に何やら記入したりしている。
サリアはこのあたりの事をよく知っているらしく、物珍しそうにきょろきょろしているレーニエにいろいろ教えながら、時々気に入った小さな雑貨類を手にとって主に見せたりしていた。
「姉さん、ちょろちょろしすぎだよ。レーニエ様は慣れておられないんだぞ」
「大丈夫。ちゃんとついていけるよ」
レーニエも楽しそうに様々な商品を見ている。
「そうよ。女にとって見て歩きは大事な特技なのよ」
「それは姉さんだけの特技だろう? よく買いもしないのにそれだけひやかせるな」
最初緊張していたフェルディナンドだったが、少しずつ警戒心が解れてくるのを感じていた。
普通の娘のように可愛らしい食器を眺めているレーニエを見ていると、結局連れ出してよかったのではないかと言う気がしてくる。
「おい、小僧」
フェルディナンド頭の上からとおりのよい声が降ってくる。
「フェルディナンドとお呼びください。で、何ですか?」
その方角を見もせずに少年は応じる。
「お前、ザカリエ宮廷に単身乗り込んだんだってな?」
その問いかけにフェルディナンドはやっと顔を上げ、自分よりかなり高い位置にある顔を見上げた。
「任務でしたので。それがなにか?」
「かっわいくないガキんちょだな。せっかく褒めてやろうとしたのにやめた」
雷神は少年から視線を外し、雑貨屋の前でいろんなものを手に取って喜んでいる娘たちに遊ばせる。
彼女たちの後ろにはクランプとタッカ—がいかつい顔をほころばせながら背後を守っている。
「それは残念。高名な雷神閣下に褒められるなんて千載一遇の機会でしたのに」
特に残念でもなさそうにフェルディナンドは言い返したが、彼は彼でセルバローのやり方にある意味敬服していた。
雷神は一挙手一投足をわざと人目を引くように振る舞っていたが、自分が目立つ事によって人々の注意をレーニエ達から逸らしているのだと気づいたからだ。
それにしても彼は立っているだけで光を放つ、灯台のような男だとフェルディナンドは今更ながら感心する。
豊かに波打つ緋色の髪だけでも充分人目を引くのに、明るい金色の瞳が整った顔に
「レーニエ様のお陰で士官学校にやらせていただいたのですから、あれくらいのご恩返しはあたりまえです」
「やなガキだなぁ。俺の知ってる誰かを思い出させるぞ」
吠えるように雷神は笑った。
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