第113話112.刹那 8

「さぁ、こちらでしばらくご休憩を。タッカ—、飲み物をお持ちしろ」

 やがてセルバローが示した場所は、市場の広場にある休憩所だった。

 そこはかなり広く空間がとられており、丸い噴水を囲むように腰かけが並べられている。

 そろそろ薄暮になろうかと言うこの時刻は、夕餉の買い物をする人たちで賑わっていた。荷物を置いて、飲み物を手におしゃべりに興じる者達もたくさんいる。

 タッカ—はにっこりと頷くと、果物と氷の粒を混ぜ合わした飲み物の露天に走ってゆく。

「お疲れではありませんか?」

 フェルディナンドはレーニエに甲斐甲斐しく椅子を勧めながら言った。セルバローはその姿を際立たせながらレーニエとシザーラの後ろに立ち、面白そうにあたりを見渡している。

 とは言うものの、やっぱり目立ち過ぎるよなあ。

 通りすがりの少女たちが雷神を指差しながらきゃあきゃあとさざめき合うのを見て、フェルディナンドはげっそりした。

 身なりはいたって普通だし、派手な言動も今のところ無いというのに、とにかくセルバローには人の目が集まる。

 しかし、考えようによってはよこしまな考えを抱く者がいたところで、これでは手の出しようがなかっただろう。と、ェルディナンドは無理に自分を納得させる事にする。

「冷たいおしぼりをお持ちしましょうか?」

「いいや、へいき。少し顔が熱いけれど……フェルもここに座って」

「はい」

 フェルディナンドは素直にレーニエの横に腰を下ろした。そこへタッカ—が飲み物を持ってやってくる。

「冷たい。美味しい」

 飲み物に口を付けてレーニエは微笑んだ。

「それはクワンという果物の果汁を水と氷で割ったものですよ。甘いでしょう?」

「うん。初めて飲んだ。ねぇ、フェル」

「はい?」

「都に戻って以来、なにやかやでゆっくりできなかった。お前とこうして隣同士で座るのも久しぶりなような気がするねぇ」

「ええ」

「だって、レーニエ様.。この子はまだ、学校が終わっていないのだから当たり前ですわ。こちらに帰ってくるなりさっさと寄宿舎に戻っちゃうんだから。母さんだって寂しがっていたわよ」

 サリアもちゃっかりレーニエの横に席を占めていた。シザーラも機嫌よく隣のタッカーと喋りあっている。

「仕方がないじゃないか、姉さん。私はまだ勉強の途中なんだから。一刻も早くいろんな知識や、武芸を習得しなくちゃならない」

「はいはい。あんたの真面目なのはわかったから。でもね、私たちがこちらにいられるのも限られた期間なんだから、タマには家族水入らずで過ごしたっていいんじゃないって私は言ってるの」

「私だってそうしたいけど、遊んでいる訳じゃないんだ。今度の任務で結構単位に穴をあけちゃったんだから大変なの!」

「へぇ〜、そぉれはお偉いこと」

 主を挟んで隣に座った兄弟は、両側からぽんぽん言いたい放題言い合っている。なんだかんだ言って仲の良い姉弟なのだ。レーニエは微笑んで二人のやり取りを聞いていた。

「そんなら美人の姉さんの作ったお菓子を食べてくれるのは、当分レーニエ様だけって訳ね」

「レーニエ様に頂いてもらえるんなら十分じゃないか。姉さんの作るお菓子が美味しいのは知ってるけど、当分は食べれない」

「あ〜ら、もしかして誰かが代わりにあんたに食べさしてくれているのかしらね」

「いないよ! そんなもん。姉さんこそジャヌーの部屋にこっそり持って行ってるんじゃないの?」

 姉の意地の悪い突っ込みに、フェルディナンドはむきになって否定する。なんたってレーニエの前なのだ。

「あら、よく分かるわね。ジャヌーはいつもすっごく喜んでくれるわよ? 食べる量も半端じゃないけど」

「姉さんが作ってくれるからだよ」

「まぁ、生意気な口を」

 サリアも利発な弟が最近どんどん大人っぽくなっているのに気が付いている。危険な任務を遂行して帰ってきてからは特にそうだった。

 フェルディナンドが王宮に戻らない理由は、確かに彼の言う通りではあったが、姉のサリアには彼の心情がよく分かっていた。

 彼女の弟はレーニエに複雑な気持ちを抱いているのだ。幼い頃から崇拝し、心をこめて仕えてきた美しく優しい主はもうすぐ人のものとなる。

 それは既に分かっていたことだったが、彼女の母親の許しを得てそれは急に現実のものとなった。

 ファイザルが彼の気に入る入らないは別として、男としては十二分に尊敬できる人物なだけに、フェルディナンドも一層心中不分明なのだろう。だからなかなか王宮に、主の元に帰れないのだ。

「そうなの? サリア。ジャヌーにはよく会ってるの?」

 涼やかな声でレーニエは問うた。その様子からすれば、何も気づいていない様子である。

「ええ、まぁタマに。陣中見舞いも兼ねて」

「そう……彼も忙しくしているの?」

「そうですわね。今じゃあの人も少尉ですし」

「おんや、サリアさん。ジャヌーの奴をあの人だなんて隅におけねぇなぁ」

 何処から聞いていたのかセルバローが気安くからかった。そんなんじゃないわ、とサリアがすぐさま反論するが、不思議そうなレーニエと目が合った。

「なぁに? サリア……お前ジャヌーの事が好きなの?」

 お姫様、ど真ん中だし。

 さすがのセルバローも呆れるほどのまっすぐな問いに、サリアの頬が染まった。

「まぁレーニエ様」

「好きなの?」

「え、ええ、まぁ……わりと」

「そうなの。知らなかった。私は自分の事ばかりで……済まない。これからはサリアをもっと自由に動けるようにする」

「ま! そんな必要ございません! 確かにあの人の事は好きだけれど、レーニエ様の次に、でございますわ! レーニエ様のおそばにいる事の方が私には大切ですとも!」

「そうなの? でも少しはゆっくり二人で……」

「いーえっ! レーニエ様の一の侍女の立場は誰にも渡しませんっ!」

「まぁサリアさん、あの金髪の青年の事がお好きだったのね?」

 サリアの力説を何事かと聞いていたシザーラも面白そうに話に加わった。

「まぁ、どこもかしこもお幸せでよいですわねぇ。で、お式はいつ?」

「だから!」

 サリアが勢いよく立ちあがった為、カップの果汁が全部前の石畳に飛び散った。

「あ〜あ、サリアは何をやっているの」

 レーニエが噴き出す。

「……楽しまれておられるようですね」

 セルバローがレーニエの肩越しに尋ねる。

「うん、とっても楽しい。だけども……ヨシュアも来られたらよかったのに……」

 レーニエは恋路をからかわれているサリアと、そして、広場の向かいの椅子に並んで腰かけている、恋人同士とおぼしき男女を眺めながらつぶやいた。

「あの人は……」

 ヨシュアは今頃何をしているんだろう。あの広い執務室で難しいお仕事をされているのかな。私の我儘を許してもらったけど、本当は怒っているんじゃないだろうか? いつも私は迷惑ばかりかけてばっかりで……なんで

 レーニエは冷たい果汁を口に含む。向かいの二人も同じものを飲んでいるようだった。

 なんでヨシュアは私などを選んでくれたんだろう。あんなに大人で、強くて、なんでもできる人なのに。面倒な経緯を持って、しかも特に取り柄もない私などを……もしも嫌われてしまったら——

 そこまで考えてレーニエは視線を石畳に落とした。


「どうされました? やはりお疲れに?」

 気がかりそうにフェルディナンドの黒い瞳がが覗きこんでいる。

「いいや? ただ……」

「……」

「フェル、私はやっぱり我儘だったのかな? こんなことに皆を巻き込んで」

「おや? レーニエ様、せっかくここまで来たのに、あいつの事なんかで御心を痛めるのはよしなさいって」

 こともなげにセルバローは言ったが、レーニエは驚いて雷神を振り返った。

「な、なんでわかったの!?」

 わからいでか。

 セルバローは珍しく、苦笑を漏らした。

「いいからレーニエ様は今をお楽しみなさい。奴は絶対に怒りゃしませんって」

「……そうかな?」

「はいな。俺はおん……女性にはウソはつかないんですよ」

 セルバローは澄まして片目をつむって見せる。

「あなたはヨシュアの事を昔から知っているのだろう?」

「ええ、まぁ。嫌になるほど」

「あの人は、なぜ私などを選んだのだろう? きっと沢山の女性を知っているはずなのに。もしかしたら同情と義務感で、私を……」

 レーニエは薄く唇を噛んだ。

 あ〜ららら、おうつむきになる。

「ふふふ……気になりますか? あいつの昔の女関係」

「う……」

 からかうような下目づかいにレーニエは口籠った。こういう場合、なんと答えて良いものやらさっぱりわからない。

「まぁ、昔は奴もそれなりに遊んだとは思いますがね。そう言う事は本人に聞いた方がいい。レーニエ様がお聞きになったらきっと答えてくれますよ。(ぷ)」

 その時のファイザルの顔をぜひとも見たいと思いながら、セルバローは俯く娘の肩に手を置いた。

「だけど今のあいつはねぇ、あなた以外見えてやしません。元々執着心の薄い奴だから、俺もわりとびっくりですけれども。だから自信をお持ちなさい」

 セルバローはついと、滑らかな頬に指を添えた。人を慰めるなんて柄にない。しかし、どういう訳かこの娘が辛そうな顔をしているのを見たくなかったのだ。つい、構ってしまいたくなる。

 あいつももそれにヤられたのだろうさ。

「ほんとぅ?」

「はいです」

 ファイザルと同じ大きな掌がくしゃりと頭をなでた。

「ジャックジーンにそう言ってもらえるとなんだか安心できる。ありがとう」

「なに」

 彼は片頬で笑うと手にしていた飲み物を一気に干し、木製のカップをものの見事に屋台の食器籠に投げ入れて、傍の子どもたちを喜ばせた。

 レーニエも漸く微笑みを返してサリア達の方に向き直る。

「あんまり目立たないで欲しいんですけど」

 二人の会話を聞いていたフェルディナンドぶっすりと呟く。

「そうか?」

「俺はいいですけど、『彼』がさっきからひやひやしてこっちを見てますよ」

 少年はレーニエに背を向けて、黒い瞳を背後に流した。娘たちは何も気づかずに談笑している。

「ふん、気付いてたか。やっぱりヤな小僧だよ、お前は。しっかし、そんなに心配かねぇ」

「と言うより、気になるんでしょうね。だから彼を派遣したというか……まぁ、気持ちはわかります。あ、だけど、バレるとうるさそうだから、姉さんには内緒にしてくださいね。は」

「ふん、ガキの時分からあんまり聡(さと)いと後がしんどいぜ」

 セルバローはにやりと笑った。

「恐れ入ります。気をつけましょう」

 雷神の真似をしてフェルディナンドも口角を上げた。その様子は既にいっぱしの戦士の様相。

 まだまだ体付きは細く、ファイザルやセルバロー等と比べると華奢とも言えるが、緩く波打つ髪を無造作に背に流し、姿勢のよい姿は優れた容姿と共に、道行く少女達を振り返らせるのに充分で。

 まったく、いいご家来衆に恵まれているよ、このお姫様は。

 セルバローは面白そうに、談笑するレーニエの華奢な背を眺めた。流行の黒い胴着は細い腰と、割合目立ってきた胸を強調している。中身は推して知るべしであろう。その上にこの素直な気性。

 まぁ、あいつが岡惚れするのも分からなくもない

「ねぇレーニエ様?」

 市場を見物するのに一番熱心だったシザーラが不意に立ち上がった。

「はい。シザーラ殿」

「さっきから見ていたのですけど、向かいの……ほら、あの緑色の看板のお店に飾ってある布地はとてもよさそうですわ。そう言えばエルファランの特産品に毛織物や絹織物がありましたわね。ザカリエではエルファランの布地で服を作るのが貴婦人のあこがれですの」

「そうなのですか? 我が領地ではそう言う品は生産しないので、あまり詳しくは知りませんでした」

「ねぇ、あの店でお買い物いたしません?」

「買い物?」

「今のところは劇を見たり、市場を見学したりしただけですわ。買物は女の特権と言います。私あの店で布地をいくつか買い求めたいのです」

「それは素敵。ぜひ私もご一緒したいですわ」

 布地と聞いてサリアも元気よく立ちあがった。やれやれとフェルディナンドが先導する。

 服地屋の店主はいきなり店内に乗り込んできた大柄な青年三人、可愛い娘三人、品の良い少年一人に魂消ていたが、風変わりな集団はてんでに店内を物色していて、店主には誰も注意を払わない。

 しかし、もし彼が注意深く様子を観察していたら、青年達と少年は娘たちの買い物を手伝うふりをしながら店の出入り口の全てにさりげなく注意を払っているのが見て取れただろう。

「まぁ、これいい感じ。あの人に似合うかしら?」

 シザーラは臙脂えんじのしっかりした手触りの布地に見入っている。その店は左側の棚に服地を並べ、右側の棚には仕立て上がった衣類が飾ってあった。

 シザーラやサリアはもっぱら布地の方に興味がある様だった。特にサリアは自分で針を持って縫う事が得意なのだ。

「あら、それはあの方のことですよね? うわぁ、麗しいご様子にぴったりでございますね」

「本人はいたって地味で、人畜無害なのだけれどもねぇ」

 婚約者のアラメインがいない事をいい事にシザーラは言いたい放題である。針を持って布を縫った事のないレーニエは自分が布を買っても仕方がないと思い、右側の棚に目を向けた。

 目を引くのは婦人用の華やかな外出着だが、奥の棚には男性用の衣類もかなり掛けられている。

 何気なく腕を伸ばして上質の布の手触りを確かめていたレーニエは、たくさん並んで懸っている衣服の中で、深い藍のマントに目をとめた。

 引っ張りだして見ると、これからの季節に合うような軽くて丈夫な布地でできており、縫製もしっかりしている。

「あいつにですか?」

 不意に耳元で囁かれてレーニエはびくりと顔を上げる。にやりと笑った金色の瞳と目が合った。

「え? いや、別に……でもその、なかなか良い品のようだ」

「俺の好みではありませんが。あいつなら好きそうです」

 花の髪飾り越しに頬を染めた娘の様子を観察しながら、セルバローの笑いは益々深くなった。どうもちょっかいを出し過ぎのようだなと自覚しながら。

「あ——、そうだろう。あなたにはもっと華やかな色目が似合いそうだ」

「ええ、俺はもっとはっきりした色や模様が好きですな」

「……」

 レーニエは何かを考え込みながらマントの襟を持っている。腕をうんと伸ばさないと裾を床に引き摺ってしまうので慎重に扱っているのだ。

「全体の感じを見てみたいのでしょう? 俺で試してみますか? 体格は似たようなものだし」

 その逡巡しゅんじゅんの理由を見抜いてセルバローは提案する。

「……頼んでよい?」

 おずおずとレーニエは腕を伸ばしてマントを取った。

「ええ。さ。俺の肩に羽織らせてください」

 セルバローが身を屈めるのへ、レーニエは丈の長いマントを被せた。

「どうですか?」

 うんと背を伸ばして赤毛の男はポーズをとった。本人の好みではないのだろうが、派手な外見の男に暗い色のマントは、それなりに着る人を引き立て、サマになっている。

「良く似合う……とても素敵だ」

「俺にくださる訳ではないんでしょ?」

「あ、いや……でもそうだな。あなたにも」

「冗談ですって。俺にはいくらでもくれる女がいるもんで」

「そうなの?」

 レーニエの目がまん丸になった。

「はっはっは。どうでしょう」

 奴め。さぞやこれには参らされているんだろうよ

 余りに素直な反応にセルバローはついに笑いだした。

「レーニエ様? お買いものはお決まり? あら素敵。ファイザル様に?」

 店主に包ませた荷物をタッカーに持たせ、シザーラは棚の陰から顔を出した。その後ろからサリアも続く。こちらは大いに不本意そうなフェルに荷物を持たせている。

「あ……う、うん。サリア、お金」

 レーニエはほとんど現金を持ったことがない。買い物ですら殆ど初めてなのだ。彼女は想う人への贈り物ですら自分で買えない事が情けなさそうにサリアに頼んだ。

「あらま。ではこちらへ」

 サリアはレーニエからマントを受け取り、それがだれに対しての土産であるかを思ってすっかり楽しくなりながら代価を支払った。

「さぁ、お嬢様方、そろそろ空腹でありましょう?これから愉快な店でお夕食といたしましょう」

 セルバローが陽気に宣言した。





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