第82話81.障壁10

 その人物がサリアに案内されて部屋に入って来た時、レーニエは机に向って書き物をしていた。ここに来てからなるべく詳しい記録を取るようになっていたのだ。

「レーニエ様、おはようございますす。とは申しても、もうお昼に近いですけど」

 サリアの後ろから顔を出した人物を見てレーニエは驚いて立ち上がる。

「これはシザーラ殿……!?」

「はい。昨日は大変失礼をいたしました。シザーラ・ジキスムントでございます」

 恭しく辞儀をして顔を上げる小柄な娘は、政治家の顔をしていた。

 どういう事だろう? 昨日の事を彼女はご存じなのだろうか? ドルトン殿は話してくれたのだろうか? 私から一体何を話せば……。

「ドルトン様には許可を頂きました。そしてそこの侍女の方に身体検査も受けましたからご安心を」

 レーニエの戸惑いをどう受け取ったのか、ジザーラは特徴的な声できびきびと言った。顔を上げて立っていてもレーニエより頭半分ほど背が低い。なのに、「小さい」と言う印象は彼女からは受け取れない。

「いや、そう言う事ではなくて……あの、ジキスムント殿はあなたがこちらに来られているとご存じなのか?」

「お爺様のお許しなら得ております。ついでにアラメイン殿下にも」

「そ、そうなの?」

 シザーラにとっては、恋人であるはずの主君の弟はついでであるらしかった。

「レーニエ様? 何かお飲み物をお持ちいたしましょうか?」

 妙な具合になったその場の空気を取り繕おうとしてサリアが明るい声で提案する。

「あ、ああ、そうして。こちらへどうぞ、シザーラ殿」

「ありがとうございます」

「あの、シザーラ殿……それで……」

 シザーラが勧めた椅子に落ち着くのを待って、レーニエはおずおずと切り出した。このような時、このような立場の人物に何を言えばいいのだろうか?

「あなたは既にドルトン殿とお話をされたのか?」

「はい、その通りでございます。私のような立場の者が急にレーニエ殿下に御面会を申し出ても許してはもらえないと思ったものですから。

 先程、要件と所要時間をざっくばらんにドルトン様にお話すると、意外にすんなり許していただけまして、私の方こそ驚いているところなのです。

 エルファランの官僚はもっと勿体ぶっていると思っていたものですから」

「ああ……確かにドルトン殿は四角四面な文官ではないな」

 シザーラのやや早口な喋り方に追いつこうと、レーニエは神経を彼女に集中させる。

「ええ、お顔はレンガのようですけれど」

「レンガ……あは」

 茶目っけたっぷりのシザーラの言葉に、レーニエは軽い笑い声を立てる。彼女の笑い声を初めて聞いたシザーラは思わず目を見張った。

「確かにドルトン殿のお顔は四角いな。それで、彼には何と申されたのか?」

「はい。それは、レーニエ殿下と女同士のお話がしたいと申し上げましたの」

 うっとりと目の前の王女を見つめていたシザーラは慌てて姿勢を正した。

「女同士……」

 その言葉に自分が果たして該当するのかなと考えながらレーニエは小首を傾げる。

「ええそうですの。それはそうとレーニエ様」

「はい?」

「協定の場や、広場での調印の儀では地味だけど素晴らしい姫君の御装束でしたけれど、男装もなさいますのね? レーニエ殿下には。

 素敵ですわ。それにその御髪! 纏めていらっしゃる時もうっとりしましたが、そのように流されている方が一層お美しいですわ」

「は? えっと……なんというか」

 ぺらぺらと自分に向けて発せられる言葉の数々に、レーニエは何とかついていこうとした。

 その言葉は昨夜アラメインが発した問いと同じものであったが、くるくる揺れる特徴的な頭髪のせいもあって、どこを見ていいか些か戸惑うものがある。

「私は窮屈な服装がどうも苦手で……普段はこのような格好をしているのです――子どもの頃から」

 とりあえずレーニエはアラメインに応えたのと同じ事を言った。

「御髪の事は祖父から伺いましたわ」

「ああ、ではお聞きになられたのか」

 昨夜右側だけ切ってしまった髪は今朝サリアの手によって、左右同じように整えられている。その際サリアはずっと嘆いていた。よもやこの御髪に鋏を入れる日が来るとは思いませんでしたと涙目で。

「ええ、委細全て」

「……そうか」

「ですが、まるで子どもの頃に見た絵草紙に出てきた異国の素敵な王子様のようですわ。あ、失礼いたしました。こんなにお美しい姫殿下に王子等と……」

 シザーラは話しながら注意深くレーニエの様子を見ていた。レーニエはシザーラの意図を測りかねて困ったようにそわそわしている。それは昨日の凛々しい姿と打って変わって同性の目にも可愛らしく映った。

「私などはこんな肌が黒くて、縮れっ毛で……コテで伸ばしてもちっともだめで嫌になりますわ」

「何を言われる、シザーラ殿はこんなにお美しいではないか。私もあなたのような濃い色合いの髪や肌に生まれたかった」

 レーニエは熱心に言った。

「あなたのご様子は我が領地に住む、小さな女の子によく似ている。マリと言って巻き毛のそれは可愛らしい子で……くるくるとよく私の傍にやってきて、いろいろおしゃべりをしてくれるんだ」

「……」

 今度はシザーラが目をみはる番だった。人形のように無機質だと思われた美しい顔が柔らかく微笑んで、夢見るように遠くを見ている。

 ――おやおや、この方はこんなに豊かな感情を持つ人だったのだわ……。

 同性から手放しに美しいなどと言われたことは初めてだった。

 しかも、自分のように生まれたかった等と、自分より美しい娘に言われたところで、普通なら嫌みに聞こえても不思議ではない。だが、この姫君の様子ではまったく心からそんな風に思っているらしい。

 また随分見た目と違う印象のお方だわねぇ。

 シザーラの密かな感想はともかく、レーニエはうっとりと窓の方に目を遊ばせている。サリアが静かに入ってきてお茶と菓子を置いてゆくと黙って下がっていった。

「レーニエ殿下は領民を愛されているのでございますね?」

 暫くしてシザーラは尋ねた。

「無論。私が領主としてできる唯一の事だから」

 レーニエは赤い瞳をシザーラに戻していった。

「ご領地はどちらで?」

「ノヴァゼムーリャと言って我が国の最北の土地だ。冬は厳しいが、大変美しいところで……」

「雪は降りますの?」

「それはもう沢山。冬になると白くないところを探すのが難しくなるほど」

「私はザカリエの人間ですから雪を殆ど見たことがないのです」

「そうなのですか? 是非一度我が領地に遊びに来られるといい……でも、その……なんというか……他意はないのだ。聞き流していただきたい」

 昨夜の会見を思い出しレーニエは慌てて取り繕うとした。

「いえいえ、先ほど申し上げた通り、昨夜のことならば既に祖父から聞いておりますので」

「そうなのか? あの……お気を悪くされただろうか……あなたはアラメイン殿と愛し合っておられるのだろう?」

「確かに……私たちは子どもの頃から愛し合っております。あの方はお優しくて、ご誠実。ですが、ご自分に自信が持てないのですわ。でもそんなところも大好き」

「だいすき……」

「私はあの方のお傍でお役に立ちたいとずっとそればかり願っておりました」

「それは……私も……」

「けれど、両国の恒久の平和のためならば、私情に流されるべきではないとも、胆に命じてじておりますわ。私もまだまだアラメイン様の為にできる事はあると思います」

 きっぱりと顔をあげてシザーラは言った

「そうか……ならば、あなたは私よりもずっとお強い方であられるな……私はあの事を私情で申し出たのだから」

「私情とは?」

「シザーラ殿のお気持ちはよく分かる。私にもお慕い申し上げる方がいるから……」

「まぁ」

「だけど……どうやら私はその方に嫌われてしまったみたいなのだけども……」

 レーニエは自分の言葉に傷ついて俯いてしまう。

「そんな……レーニエ様を嫌う殿方がいるとは思えませぬ」

「だけど、どうやらそうらしい」

 哀しそうにレーニエは長い睫毛を伏せた。その様子はお互いの悩みを打ち明け合うそこらの娘たちとなんら変わらない。シザーラはこの異国の美姫に不思議な親しみを覚えた。

「レーニエ様、私も殿下のお考えは正しいと思います。だってとても合点がいきますもの。正論ですが、正論とは正しいことなのですわ」

「え?」

 沈み込んでいた顔が上がり、シザーラはそれへきっぱりと頷いた。

「はい。私も祖父と同じくレーニエ殿下をご信頼申し上げたいと思います」

「私が考え無しにした提案にご立腹されてはおられないのか?」

「いいえ、こう見えてもあの宰相の孫ですわ。そう言う事もあろうかとは思います。ましてやレーニエ様はご誠実なお気持ちからあのような事を申されたのでしょう?」

「だけど……言ってはみたが、思うように上手くいくとは限らない。私には何の権限もないし、持つ気もない。ましてや人の気持ちと言うのは不確かなものだから」

 悲しみの影が再びレーニエの眉間を覆った。

「そうかもしれません。ですがよい方法だと思います。祖父もそう思ったからこそ私に話してくれたのですわ。第一レーニエ様は着想だけで、ワルイ部分はどうせ祖父が考えたのでしょ?」

「さ……それは……。だが、生憎私には何の見通しも持てない」

「まぁ、後の事はお爺さまやそちらの文官に任せてですね……私も会議には出させていただくかもしれませんが。余りご心配なさらぬ方がいいと思います。何と言っても後は、政治家達の仕事ですもの」

 シザーラはやはり政治家の顔で不敵に笑った。彼女にはこの後の動向が分かるらしい。

「――ところでレーニエ様」

「うん?」

「お聞きしたいと事がございますの」

 突然口調を変えてシザーラが改まった。

「何でしょうか」

「レーニエ様、レーニエ様の想われる殿方はお近くにいらっしゃるのでしょう?」

 昨夜、祖父からレーニエとの会見の一部始終を聞き、又、自らの感性で概ね事情を察したシザーラはふとカマをかけてみた。

「え?」

「いえ、唐突に申し訳ございませぬ。不愉快とお思いでしたら、ご返事いただかなくともようございます。ただそんな気がしただけで……ですが」

 しかし、彼女はそれ以上追及することはせず、穏やかに隣国の王女に微笑んだ。

「……」

「もしそうなら、お悩みの点をその方に打ち明けられてはいかがですか? ご信頼申し上げられる方なのでしょう? 今は大変な時期なので、思うような心の交流はできないのかもしれませんが、レーニエ様のお気持ちをお話するだけでも良いと思われます」

「―――何故、そのような事を私に申される?」

「私も女だからですわ」

「おん……な?」

「はい。私もこの数年は家族が次々に亡くなったり、私自身も殆ど軟禁状態にあったりして大変辛うございました。

 何より辛かったのは、人に会えない、なにより想うお方に会えない、話ができないという事でした。最近になってやっと少しばかりの自由が許され、自分なりに秘かに動いていたのですけれど」

「……」

「アラメイン殿下ともいろいろ誤解があったり、疑念がわいたり……その内会う事も叶わなくなって……もうダメだと諦めたのです。そしたらあの方、ご苦労がたたってご病気になられて」

「お辛かったであろうな」

「それはもう……でも、私思い切って秘かに会いに行ったのです」

「会いに?」

「ええ、でもその時の事は一生忘れません。僅かの時間でしたが、直接会って、お話して……気持ちを伝え合えて。お互い」

「気持ちを……?」

「はい。ですから今、こうしてここに二人でいる事が出来るのですわ」

「だけど、私などが要らぬ事を提案して、お二人が周囲から誤解を受けては心苦しいが」

「その事も話し合います。それにまだいろいろ細かい変更を加える事ができるかもしれない。レーニエ様のお人柄がわかりましたので」

「……」

「ですが、今は殿下の事。レーニエ様にもし憂いがあられるなら、今後の両国の折衝にも波紋が広がるかもしれませぬ故」

「私の気持ちが落ち着けば、両国間の協定が円滑に進むとでも? そんなことはないだろう?」

「そうかもしれません、でもそうでないかもしれません。レーニエ様が想うお方と幸せになられた方が私にとっても都合がいいので……つまり私も私情で申しているのでございます」

 そう言ってシザーラは微笑んだ。 


 シザーラが辞去した後、レーニエはしばらく一人で考え込んでいた。

 やはり。このままではいけない。

 シザーラ殿の言うとおり、話もせずにあれこれ思い悩んでいても何も解決しない。私は――何のためにここに来たのだ。

「サリア」

「ここに」

 サリアがすぐに顔を出した。

「現在皆の動きはどんな具合かな?」

「文官の方々は、昼食そっちのけで細かい条文を作成中のようです。概ね纏まったら両国で擦り合わせるのではないかと。武官の方々は護衛に立ったり、交替で休憩されたり……」

「とすれば一階にはあまり人がいないのか?」

「出入口は厳重に警戒されていますが、そうですね、廊下などは静かでございました。次の休憩までには少し時間がありますし。それが何か」

「済まないが、少し部屋を出る。サリアは付いてこなくていいから」

「……承知いたしました」

 おそらく何かを察したのであろう、サリアは深くは聞いては来なかった。

 レーニエはこっそり階段を下りた。

 サリアの言うとおり、薄暗い廊下には誰もいなかった。広場に面した正面の扉は固く閉ざされており、その辺りに護衛の兵士が見える。おそらく外も厳重に警備されていると思われた。

 ファイザルの部屋は知っていた。階段を降りて左の三つめ。外で異変があった時、足止めを食うことなく直ぐにレーニエを守りに走れる場所。

 彼はきっと部屋にいる。自分がここにいるのだから。レーニエはそう確信していた。

 とにかく会って話を聞いてもらおう。私の想いを伝えたい。

 胸が高鳴る。彼はどんな顔をするのだろうか? 断りもなく部屋を訪問したことに腹を立てるだろうか? 彼に叱られたことは幾度となくあった。だが、それはいつもレーニエの身を案じてのことで――

 レーニエは彼の部屋の前に立つ。心臓はさっきからどうしようもなく暴走している。しかし愚図愚図はしていられない。こんなところを誰かに見られたら、彼に迷惑が懸るかも知れなかった。

 意を決してノックする。

 応えはない。

 レーニエはぐいと顔を上げた。再びノックした後、扉を細く開ける。

「私だ。入らせて――ヨシュア……」

 思い切って声をかけてから一呼吸置いてレーニエは扉を開け、中に滑り込んだ。

 目の前に―――

 ファイザルは居た。

 こちらに広い背を向けて。

 しかし、その腕は――

 レーニエの知らない婦人を抱きしめて、そして―――

 二人は口づけを交わしていた。




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