第73話72.障壁 1

「いよいよですね? レーニエ」

「はい。母上、行って参ります」

 瑠璃宮はその日も静かな朝を迎えていた。

 この後、停戦使節の一行は首都ファラミアを発つ。昨夜の会議ではようやく休戦、講和の条件が纏まったところで、女王はこの五日間延々と続いた会議のほぼ全てに参加し、状況を娘に伝えていた。

 レーニエは、初めて知る政治の議論や駆け引きに驚いていた様子だったが、母の話を黙って聞いた。

「今現在、収集できる全ての情報を分析し、結論を導き出してあります。あなたにも大筋は掴めましたね」

「はい」

「ザカリエの側の使者はヴァン・ジキスムント宰相にほぼ決定です。彼は百戦錬磨の政治家です。向こうの出方次第では、こちらの出す条件も微妙になってくるでしょう。

 ドルトンとよく相談するように。ただ、ジキスムント殿は不実な人間ではないと私は思っています。これまで我が国と浅からぬ縁のあった人物ですが、人を悪意で見てはなりませぬ」

「はい。全ておっしゃるとおりに致します」

「レーニエ」

「はい」

「もしかすると、あちらはお前に直接、ザカリエ内々の事情を訴えてくるかもしれません」

「内々の?」

「はい。その事情と言うのは、いくつか考えられますが、おそらくあなた個人に直接関わる様な事」

「私個人に、ですか?」

 レーニエはどういう事かと考えを巡らすが、自分などに何の話を持ちかけてくると言うのか見当がつかない。

「そうです。でも、もしその時が来たら、まずはあなた自身で考える事です」

「……」

「そして、考えが決まったらその事をドルトンに伝えなさい。彼はあなたの意志を最大限に尊重しながら、折衝を進めていくでしょう」

「私の意志? そんな物を通していいのですか」

 訳がわからないながらレーニエは母を見た。

「構いません。とにかくしっかりとよく考え、自分の思いを伝えることです」

「わかりました。私などに何を持ちかけられるかは想像がつきませぬが、もしその時が参ったらよく考えて見ることにいたします。ご示唆、感謝いたしまする」

「それでよい。それから、くれぐれも御身辺には気をつけられるよう。決して、無茶をしてはなりませんよ」

 女王は母の顔に戻り、娘の額に口づけを落とした。

「承知いたしました。この私にこのような役目をお許し頂き、本当にありがとうございます。母上も……」

「ええ、母もこの王宮でやるべきことがある。あなたが戻られたらわかると思います」

「母上も休まる間がございませぬな」

「ええ、あなたのお戻りをただ漫然と待っている訳にもいきませぬ。ですがあなたは」

「はい」

「かの地でもし、想うお方と巡り会われたら、その時はどうされるおつもりですか?」

 単刀直入に女王は尋ねた。

「正直、まだわかりませぬ。おそらく非常に驚かれると思います。お叱りを受けるやもしれませぬ。ですが、お会いしたい……とても」

「軽挙はお慎みなさい。ですが、自分を偽りすぎてもいけませんよ」

「はい」

 レーニエは母をまっすぐ見つめて答えた。

「よいお顔になられた……では、行かれよ」

「はい。では行って参ります」

 レーニエはすっくりと立ち上がった。

 立ち姿の美しい娘であった。深々と一礼すると、長衣の裾を翻して部屋を出てゆく。女王は扉が閉められるまでその後姿を見送った。

 ご存分に振る舞われるがよい。我が愛しい

 それから南に面した窓辺に向かい、薄青い空に向かって低く呟く。


「レスター……どうか、あの子をお守りください」



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