第70話69.王都 3

 レストラウド・サン・ドゥー・ブレスラウは奔放な性格だった。

 エルファラン国随一の名家、筆頭公爵ブレスラウ家の嫡男ライナスが、わずか十歳で亡くなったために、遠縁の貴族の末息子であった彼が、生れてすぐ養子に迎え入れられた。将来、誉れ高い数々の称号と広大な領地を継承する事を約束されて。

 先代のブレスラウ老公爵は大ライナスと呼ばれ、王家随一の忠臣を自任する貴族であったが、亡くなってしまった自分の息子の代わりに、レストラウドを大変可愛がり、明るく才能豊かな少年にありとあらゆる機会と選択肢を与えた。

 にも関わらず、レストラウドは十五歳でさっさと軍隊に入ってしまう。しかも、いかなる特別扱いも受けずに、一般公募で応じる平民出身の若者達と肩を並べるという型破りな方法で。

 彼の生家や、何故急に公爵家の養子に選ばれたかについては、殆ど知る人がなかったが、大ライナスが何も語らないのと、養子に対する愛情が本物であったのとで、表立って取りざたされる事はなかったのである。

 真実は――

 レストラウドは、当時の国王、アルバイン三世の後宮で、側室の子として生まれた。

 アルバインは、後宮に召した女が産んだ子とは言え、レストラウドを自分の息子だと認知しなかった。

 理由は、その側室には後宮に上がる前に恋人がいた事と、月足らずで生まれた赤ん坊――レストラウドが大変大きかった事が主な理由だったらしい。しかし、アルバインはその事については、直接語ろうとはしなかった。

 彼はその女が産褥で亡くなったことを幸い、生まれた子どもは死産と言う事にしてしまった。アルバインには二歳になるアンゼリカと言う娘がいるだけで、嫡男はいなかったにもかかわらずである。

 そして秘かに生まれたばかりの赤子を、筆頭公爵で姻戚関係にある、ブレスラウ公家に押しつけてしまったのだ。

 忠臣大ライナスは、嫡男を亡くした直後ということもあり、表向きは遠縁の男子としてレストラウドを迎え入れた。すべては迅速に処理され、この事を知っている関係者は僅か僅かだった。側室の葬儀すら行われず、事実は周到に秘された。

 しかし、アルバインは筆頭侯爵嫡男として育てられたレストラウドを不自然にうとんじた。たまに公式行事などで父公爵の代理で彼が参上しても、声もかけない王の態度はやがて人々の邪推を産み、人々の噂の種になった。


 ――陛下は、次期筆頭公爵となられるレストラウド様を疎外されるおつもりのようだ。

 ――王家と公爵家は長い歴史の中で、幾度も姻戚関係を結んでいる、極めて近しい間柄だ。それをなぜ今更? 国が乱れる元にならなければよいが……。

 ――しかし、若い次期御当主殿は……。

 ――そうだ。似ておられる。レストラウド様は、お若い頃のアルバイン陛下に。輝く金髪、鋭く青い瞳どれをとってもそっくりだ。

 ――今でこそ、老い込まれ、長年のご苦労で面立ちが変わり果てておられるが、お若い頃の陛下はそれは美青年であられたとか。

 ――いや、公爵家と王家は姻戚であられるのだから、似ていても不思議ではない。

 ――とはいえ、あのお姿はやはり。

 ――ああ、先日偶然レストラウド様が、陛下のお若い頃の肖像画の前を通りかかられたのだが……あまりに似すぎておる。

 ――そう言えば、ちょうどレストラウド殿が生まれた頃、陛下の後宮でご側室が亡くなられたことがあっただろう?

 ――ああ、もしやお世継ぎとなる男子と期待されていたが、産辱でお子共々亡くなられてしまった事件だろう。お気の毒な事であった。だから皆気を遣ってその事に触れずに置いたのだ。だが、そう言えば時期が重なるか。いやしかし、まさか……。

 ――でも、万が一そうなら、ご自分のお子を臣下に下されたことになる。

 ――こう申してはなんだが、陛下のお考えには時折さっぱりついていけない事がある故なぁ。しかも次期公爵はあの通りの奔放な御性格、いくらお顔の様子が似ておられたとしても、御性分が火と水ほどに異なる。

 ――左様。それにたとえレストラウド殿が実子でなくても、既に陛下はアンゼリカ殿下をお世継ぎに定められている。殿下は女子であるとはいえ聡明なお方だ。

 ――しかし、あれほど似ておられてはなぁ。人の口に戸は立てられぬ。悪い事にならねばよいが。


 そしてやはり、レストラウドは王の実子では、と言う噂が秘かに王宮内に流れはじめた。

 だが、レストラウド自身はそんな事は気にも止めなかったし、自分の出自について詮索も一切しなかった。彼が王の実子であったかは彼自身も知らなかったのだ。

 明るく、奔放で|闊達(かったつ)な性格。美麗な容姿と数多くのすぐれた資質。次々に勝ち取る誉れ高い武勲の数々。

 レストラウドは都に住まう者たち全ての憧憬どうけいの的であった。そんな彼を王はますます疎んじた。

 そして、レストラウドが一八歳になった時、ブレスラウ公、大ライナスは彼に家督を譲る。

 誰も異論を挟まなかった。


 王アルバインはアンゼリカを後継者と決めていた。

 四十過ぎてようやくできた一人娘だとは言え、王は特に彼女を可愛がりはしなかった。しかし、彼女の聡明さと果断を彼なりに認めてはいたらしい。

 三年後に脇腹で生まれた病弱な長男ルザランよりも、アンゼリカを後継者に推す。

 長い歴史の間にはエルファラン王家には女王が立った例もいくつかある。しかしそれは他に男子がいなかった場合がほとんどであった。

 当然この事については、元老院をはじめ、異論を唱える者もあったが、王は決して曲げなかった。

 そして王は王宮内の奥で国中から集められた学者、知識人を持って娘、アンゼリカに帝王教育を施す。しかし、王は公務に彼女を参加させず、常に離れた場所から自分の采配を観察させていた。

 窮屈な生活ではあったが、自由な時間がまるでないわけでもなく、アンゼリカはその時間を使って王宮内でのびのびと呼吸していた。

 そして――

 十八歳の美しく奔放な公爵レストラウドと、二十歳の聡明な王女アンゼリカが、王宮の奥深くで出会い、愛し合ったことは奇跡のような出来事だった。

 最初は名前以外、お互いが誰なのかも知らず―――知り得た時には既に、後戻りできないほど彼等はお互いのものとなっていた。

 彼等の愛は秘かに育まれた。レストラウドの出生の疑惑を知った時、既にアンゼリカは自分の体の変化に気が付いていた。

 ゆったりとした衣装で人目を憚っていてもいつまでも隠し遂せるはずもなく、アンゼリカは臨月を前に秘かに王宮を抜けだし、故王妃が少女時代を過ごした尼僧院に身を隠した。

 父王には信頼できる人物を通じて病と偽るが、王からの言葉は何もなかった。

 公爵レストラウドはその直後、突然侵攻してきた新興国ザカリエとの戦に駆り出されてしまう。

 愛する男の子どもを産んだことに彼女は些かの悔いもない。生まれたのは娘であった。

 王宮に戻ったアンゼリカは流石に父にこの事を告げた。王は激昂し、彼女とその恋人、そして娘をも口汚く罵倒した。

 王が怒りのあまり発作を起こさなければ、母子は殺されていたかもしれなかった。しかし、そんな時でも王はアンゼリカに、レストラウドが自分の子供の可能性があるとは彼女に告げてなかった。

 危機を感じ、逃げ出したアンゼリカは、故王妃にも仕えていた信頼できる侍女に女児を離宮に隠させる。

 この事件で母子が共に過ごせる時間は余りにも僅かになった。

 だが、彼女は幸福だった。

 二人は心から愛し合っていたのだ。

 戦場から密かに戻ったレストラウドは、愛し児に名前をさずける。


 レーニエ


 風変りな美しい響きのこの名は、レストラウドが娘に与えた最初の贈り物だった。彼は戦地に戻ってからも、しばしば手紙でその様子を聞きたがるほど娘を愛した。

 赤ん坊のレーニエは色が白く、髪の色も薄かったが、公爵も輝かしい金髪だったので、アンゼリカは何も不思議には思わなかった。

 瞳の色は暗赤色の珍しい色であったが、この事も当時はそれほど目立たず、レーニエは王宮の最奥で大切に慈しまれた。

 なのに二歳の誕生日を目前に、最愛の娘は何者かに奪われてしまう。その頃レストラウドは戦地に赴き、王都を長く離れていた。奇しくも、彼が将となって率いた大きな戦いに勝利し、王宮中が浮かれていた時期である。

 アンゼリカは苦悩と悲嘆の極みに陥ったが、嘆き悲しむだけではなかった。彼女はそんな事をするにはあまりに強い女性だったから。果断なアンゼリカは、使える手をすべて駆使し、怒涛のような捜索を開始する。しかし、生まれた女児が攫われてしまったことは、戦地のレストラウドには伝えられなかった。

 アンゼリカはレーニエを一刻も早く見つけ出し、数奇な運命の元に生まれた娘に、身の置き場所を整えてやることが自分の至上の責務だと考え、手を尽くした。

 しかしまだ何の権限も与えられていない王女の身では、信頼できる股肱ここうの数も少なく、ついにレーニエの行方を見失ってしまう。

 彼女は追い詰められ苦悩した。

 殺されてしまったとは思えなかった。仮にも神聖な王家の血をひく子どもがそれほど軽々しく命を奪われるはずはない。エルファラン王家の血は古く、かつては神格化されていたほどなのだ。

 そして彼女は疑っていた。この非道な行いは、そのころ既に老境に差し掛かかり、病がちになった国王、つまり父、アルバインの差し金ではないのかと。

 彼は有能な政治家であったが、ある意味冷酷な男でもあった。彼はレストラウドを我が子だと思ってはいなかったと思うが、あらゆる可能性をおもんぱかってこのような非道な行いに出たのかもしれない。

 しかし、最愛の娘を見つけられないまま、アンゼリカが苦しんでいるまさにその時、レストラウド戦死の知らせが伝わる。レーニエが攫われて数日後の事だった。

 レストラウドの戦死は、彼が采配を振るった大きな戦いの直後で、遺体には大きな矢傷があったとされている。

 アンゼリカは一時、半狂乱となる。

 その頃の記憶がほとんど残っていないほどだ。

 彼の後を追って死ななかったのは娘がいたからだと、アンゼリカは今もそう思っている。しかし、運命は正気を忘れる温情を長くは与えてくれなかった。

 ブレスラウ公爵、レストラウドが戦死してわずか三月後、アルフレド三世は病死した。

 その遺言と、王位の空白期間を喜ばぬ人々の手によって、ただちに女王、ソリル二世が即位する。

 女王となってからもアンゼリカは娘の探索の手を緩めず、先王の側近達を厳しく尋問したが、娘の行方はようとして知れなかった。

 あらゆる手を尽くし、探して探して探し回り、ようやく前王に逆らって牢獄の奥に繋がれていた、かつての従者から、西の王領の外れに「罪人の塔」と呼ばれる忘れられた場所の事を聞いた時には、アルバイン三世が死んで約二年の歳月が流れていた。

 領地の管理者でさえも知らなかった場所。それは塔と言うにはあまりにみすぼらしく、樹木に浸食された朽ち果てた場所で、気をつけなければそこに建物があるとわからないほどの廃墟だった。

 知らせを受けてすぐ駆けつけ、辿りついたその場所で彼女は見た。

 老人のような白い髪、そして、見えているのかいないのか、わからない空ろな赤い瞳の子どもを。痩せこけた体にボロを被せられ、汚らしい寝台に寝かされっぱなしの哀れな姿を。

 それから十四年――

 よもや育つまいと覚悟した娘は今、美しく成長して目の前にいる。ただ、その不思議な色の瞳には何の希望も映してはいなかった。

 母の心はきり、と痛んだ。

 このままではいけない。この娘はあのレスターの忘れ形見だと言うのに。あの熱い血潮が流れていると言うのに。

「レーニエ……そなた、ここ……王宮を出てゆくつもりはありませぬか?」

「え……?」

 レーニエは黙って小首を傾けた。

「陛下! なんという事をおっしゃるのですか!」

 オリイが驚愕の叫びをあげる。サリアが息を呑む。

「そなたをここに閉じ込め、ひた隠しにしてきたのは私です。もう二度とそなたを奪われたくなかった、心無い噂や好奇の目に晒して傷つけたくはなかったからです。今更こんなことを言うのは、身勝手で非情な事だともわかっています。けれど、このままここにいては未来がない。それはあまりにむごい事」

「……」

「十四年前、あの塔でそなたを見つけ出した時は、正直いくらも育たないのではと覚悟をしましたが、こうして立派に大きくなってくれた。そなたは優しく、忍耐強い自慢の娘です。あの方の子どもです。強い翼を持っていたレスターの」

「……ここを出てどこへ行けと言われますか?」

 レーニエは静かに問うた

「レーニエ様!」

「陛下! 無体な事を! レーニエ様はこの家しかご存じないのです。そんな……今更ここを出て、生きてゆかれるはずがありませぬ! お考えなおしを」

「もとより無理強いは致しませぬ、オリイ。レーニエ、そなたが望まぬのならどこにもやりませぬ。ただ……もしも……と思うたのです。王室にはいくつか天領があります。そなたさえよければ、あまり大きくはなく気候のよい豊かな土地を差し上げましょう。勿論、治政などする必要のないようにも取り計らうこともできます」

「……土地を?」

「そうです。これがこの母の誕生祝いと思ってもらってもよい。財も、臣も、必要なら新しい名も贈りましょう。返事は今すぐでなくて良いのですよ。突然のことでさぞや驚かれたでしょうから。皆で相談し、よく考え……」

「ゆきまする」

「え!?」

「お気持ち、ありがたく頂戴したく存じまする」

「レーニエ様!」

「なんという事を!」

 オリイとサリアが悲鳴に近い声を上げた。

「行かれますか?」

 女王も驚いている。しかしその声は落ち着いており、迷わず自己決定をした己が娘を見つめていた。

「はい。それに誠に恐れ多き事なれど、私には望む地があるのです」

「よい。どこなりとも差し上げる。ですが、そなたの望む地とは……?」

 女王は強い興味を惹かれて尋ねた。

「ありがたきお言葉、深く感謝いたします。私は……そう、北へ行きとうございます。財も新たな臣も要りませぬ。そして、私に王位継承などの権利があるならば、それも返上しても構いませぬ」

「レーニエ! そなたは……」

「母上、私にとっては、家も血も誇るべきものではありませぬ。でも、いつかは誇らしく思える日が来るかもしれない。お申し出、何よりの祝いでございます。どうかこの私に新しい翼を賜りください」

 レーニエは母に向かってゆっくり膝を折った。




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