第67話66.戦場 6
「セス。ようやくというか、案外早かったと言うか、爺さん達がやって来たぜ」
セルバローが後ろから声をかけた。早春の平原はよく晴れている。空気は冷たいが日差しは既に眩しいものがあった。
「そうか、大天幕にお通ししてくれ。俺もすぐに行く」
「うん。ところで、傷の具合はどうだ?」
セルバローの言うのは、ドーミエとの対決で受けた脇腹の大きな傷のことだ。流石に猛将と言われた彼の剣は重く、実用向きの分厚い皮の胴丸を完全に断ち切り、彼の体にまた一つ大きな傷をつくった。
幸い内臓には達していなかったが、傷口はかなり大きく、軍医が汗を流して縫合したのは僅かに三日前。
しかし、ファイザルはその日と翌日だけ横になっていただけで、今日は朝から起きだしていろいろ細かい指示を出しに天幕の外に出てきている。
「大丈夫だ」
いつものように表情を変えずにファイザルは答えた。
爺さん連中とは、ファイザルの直接の上官の二人の将軍達のことで、今回の戦全体の総司令官かつ責任者は一応彼らと言う事になっている。今まではウルフェイン平原の東をセルバローと共に守っていた。
一年前までは東西五十
しかし今は、それももうない。先日の大戦で敵将ドーミエはファイザルによって討ち取られ、降伏宣言こそまだだが、事実上ザカリエ軍は壊滅状態であった。部隊は散り散りになり、再編成は当分は叶わないであろう。
戦は終結した。
しかし、傷跡がそんなにすぐに癒える訳もなく、平原や国境沿いに点在する自由都市は荒れ果ててしまっている。ファイザル達に恨みを抱く敵の残党や脱走兵も多い。
軍はその後始末に奔走している。万が一にも残兵や伏兵によって、小規模でも戦闘が再開するような事態は避けなければならない。
ファイザルが負傷したと聞いて、将軍達は慌てた。
決戦であり、最大の戦闘でもあった最近の二回の戦いにおいて、将軍達は自分たちが、形だけでも指揮を取ろうと申し出てくれたのだが、いつになく強くファイザルが固辞したので、彼等は今まで引き下がっていたのだ。
将軍達はわかっていた。指揮官として、又戦士として、老いた自分達より強いのは誰か、部下たちは誰に心酔しているか。戦いに勝利し、二十年近く続いた戦争を終わらせるには一体どうしたらいいのかを。
彼らはその為にかつて彼らの部下だった男達を戦場に呼び戻したのだから。
「まさかとは思うが、あいつ等、お前の軍功を横取りしようと言うんじゃないかな?」
セルバローは別に悪気もなく、陽気にそんな事を口にした。
「そんな方々ではない。今回の戦勝については誰にも文句は言わせない」
「そう言うとは思っていたがな」
「だが……そんな事はどうでもいい」
ファイザルが呟いた言葉は、セルバローには聞こえなかった。彼は残りの指示をジャヌーに与えると、マントを翻して将軍達に挨拶をするべく天幕に引き返していく。セルバローも続いた。
もうすぐ正午なのだろう、風が生暖かい。北の地ではまだ雪が残っているのだろうが、この平原には早くも春の風が吹き始めていた。
あちこちで、兵士たちが戦闘の後始末をしている。それは、有りていに申して気持のよい作業ではなかった。
野晒しにされた武器を集めたり、穴を掘って人や馬の死骸を埋めてゆくのだ。身元を判別できる遺品は出来るだけ回収しつつ、それは敵味方の遺骸の区別なく行われた。
「おい、我らが指令官殿はおっとこまえだなぁ……顔も態度もさ」
近くで、作業をしていた兵士がジャヌーに話しかける。周辺の男たちも一斉に頷いた。
「え? ああ……まったくその通りです」
「あんな色男なのにおっそろしく強いときてる。ドーミエとの一騎打ちをあんたは見たんだろう?」
「俺たちの隊は、かなり距離があって人づてに聞くだけだったんだよ。どんなだった?」
「……凄い戦いでした」
ジャヌーは慎重に答えた。
「そうだろうなぁ。相手は名うての戦士『バルリングの大熊』、ドーミエ将軍だもんなぁ、あ~、俺も見たかった!」
ああ、おお、と周り中から同意する声が上がった。
「俺の弟はあいつの軍にやられたんだ。ファイザル様は弟の仇を討ってくれたことになる。俺もその場にいたかったぜ」
年かさの兵士が感慨深げにつぶやいた。
「俺もだ」
「まだ若いのに大した男だ。気難しい古参兵者たちも心酔している者が多いんだぜ。これほどの大戦闘だったというのに、犠牲は意外に少なかったのもあるし、何より自分が先頭に立って、敵陣深くまで切り込み敵将を討ち取ったって言うのが凄いな。
こらぁ本物の戦士だ。伝説の神将、ブレスラウ公爵の再来だってみんな噂しているぜ」
「ブレスラウ公爵? お名前だけは存じておりますが、確かこの戦争の初めのころに亡くなられたとか」
「ああ、あんたは若いから知らないだろうがな。俺らの世代では憧れの人だった。若くして亡くなったのが惜しまれる。もしご存命でいらしたら、おそらく元帥ぐらいにはなられてたろう」
「そう言えば、公爵は最後まで一人身だったんだな。世継ぎとかはいらっしゃらないんだろうか? もしいたらあんたぐらいの年格好だと思うんだが。あんた知らないかね?」
先程の兵士がジャヌーに向かって顎をしゃくったので、指名されたジャヌーはびっくりしてしまった。
「そんなこと言われても……そんな尊い方のことなど俺なんかにわかる訳はありません」
「もっともだ。ところで、あんたはあの司令官の従卒をずっとやっているのか?」
いくらか若い兵士が親しげに声をかける。その間も皆、穴掘り作業は続行中だ。
「はい。士官学校を出てからずっとです。三年余りになりますか」
「へぇ……じゃあ、あの人の事はよく知ってるんだな? 家族とかはいないのか?」
「いないと思います」
「恋人は?」
「さぁ……」
ジャヌーの脳裏に一瞬たおやかな横顔がよぎる。
「まさか、剣が恋人って訳じゃあないだろうな?」
「まさか! そんなことは」
「違ぇねぇ。剣じゃ抱くには硬すぎらぁ」
「もしかして男色家とか? あ、ひょっとしてあの『雷神』が相手か? あの人もすげぇ強くて美男だからなぁ」
「うわは! 派手だなこりゃ!」
「おい、ひょっとして……あんたも?」
「どひゃ」
ずざっと男たちが一斉に後退った
「よ、止してくださいよ!」
思わずジャヌーが本気に取ってしまったので、がははと無遠慮な笑いが周り中で起きた。
「ははは! 本気にしたな。純情な兄ちゃんだ」
「いやぁ、悪ぃ、わりぃ。だってあんたも指令官殿も大した男前だからよ~」
「俺は女の子が大好きです!」
「違ぇえねえ! 俺もだ。ああ、早くかーちゃんに会いたいなぁ」
大仕事を成し遂げた男たちは、再びどっと笑った。
「失礼いたします」
ファイザルは天幕に入るやいなや深々と腰を折った。縫ったばかりの傷がずきりと痛んだ。
「この度はわざわざのお運び、感謝いたしまする」
「おお! セス! ヨシュア・セス!」
「この度の大戦、まことに大儀であった。誉に思うぞ! 早速陛下に早馬を走らせた!」
「お久しぶりです。ドルリー閣下、ありがたきお言葉にございます」
ファイザルは腰を折ったまま答えた。
「『掃討のセス』か。久しぶりだの。おおお、『雷神』のジャックジーンもいるわ。この度の我が軍の大勝利、すべてお前達の働きであった。礼を言う」
もう一つの声がかかった。こちらは美声で、老いてもも美しい面差しは些か心配そうだ。
「聞けば、ヨシュア・セス。二日前に『熊』との一騎打ちで負傷したと言うではないか、もう動いて大丈夫なのか?」
「はい……フローレス閣下。恐れ入ります」
ファイザルはやっと顔を上げた。
そこには初老の二人の男が立っていた。一人は禿げ頭も美々しいドルリー将軍。もう一人は灰色の髪を後ろで束ねた、若いころはさぞや二枚目だったと想像されるフローレス将軍だった。
「まぁ、座れ。ヨシュア・セス」
ドルリー将軍が
「……」
「相変わらず謹厳な男だ。もっとも昔はそうでもなかったがな……まあよいわ。なら我々も、腰を下ろす。な? それならいいだろう? ジャックジーンもな」
将軍達は慌ただしく天幕内に運び込まれた椅子に掛けた。同時に大きな卓も持ち込まれ、ジャヌー達の手によって飲み物が準備される。
「痛み入ります」
将軍達にここまで言われ、ファイザルもようやく椅子に腰を下ろした。セルバローも遠慮なく、どっかりと大きな椅子を占領する。お茶を配り終えたジャヌーは一礼をして天幕から出て行った。
「ほうほうそうか、やはり傷が痛むか? なんでも二十針も縫ったそうだからなぁ、ああ、痛い痛い」
相好を崩し、ドルリー将軍は自分の下手な洒落に爆笑する。ファイザルも仕方なく苦笑を洩らした。傷口は
「薬はきちんと飲んでいるのか。この時期すぐに化膿するぞ」
「は」
「そらぁ、よかった。上に立つ者は部下の身同様、己も大事にせねばならん。だが、生意気な小僧だったお前も今や、五万の軍を指揮する立派な司令官か」
「……」
「この一年ろくに休む間がなかったことだろうて。ご苦労だった、まったくご苦労だった。おかげで我が陛下にようやく戦争終結のご報告ができそうだ。長らくお心を痛めておられたからな」
ドルリー将軍はようやく笑いを収め、真面目な顔をして嘗ての己の部下を見る。
「この二十年、戦争の影はずっとこの地を覆っていた。この国だけでなく、ザカリエの民草も戦にはとうの昔に倦(う)んでおったのだ。ドーミエの身の程知らずの野望がなければ、もっと早くに終わっていたはずだった」
「そうできなかったのは我々、貴族出身の司令官どもが不甲斐ないせいだったのだ」
フローレス将軍も重々しく頷く。
「……」
「お前のおかげでいろいろ変わることが出てくるだろうと思う。元老院は相変わらず石頭が多いが、それでもまったくの能無しではない。議長のオリビエ・ドゥー・カーン殿はなかなか練られた人物だ。そして、我が陛下は聡明であらせられる」
「女王陛下……ですか」
ファイザルの瞳が僅かに見開かれた。セルバローは黙ってその様子を横目で見ている。
「ああ、そうだ。この度の大勝利については既に早馬でファラミアに報告が行っている。直に和平の使者が選出され、この地に派遣されるだろう。おそらくウルフィオーレの町あたりで、ザカリエの代表者と共に降伏の条件や、事後処理が決められる。そして、おそらく半年以内には正式に平和条約締結の運びになると思う」
自身も侯爵であり、元老院議員の政治家でもあるフローレスが応えた。
「お前の身の振り方もわし等がきちんと考える。何と言ってもこの勝利の最大の功労者なのだから。しかし」
「はい」
「――お前自身はどうしたいのだ? ヨシュア・セス」
フローレスがファイザルを注視した。ドルリーも興味深げに答えを待っている。
「お前は今まで、命令されたことを忠実に実行してきた。期待をはるかに超える成果をあげてな。だが、お前からは昇進や地位の無心を聞いたことがない。
お前が願いを口にしたのはただ一度……三年前、戦場からしばらく離して欲しいと言ってきた事。それだけだ」
「……」
「あの時も激しい戦いの後だった。かろうじて勝つには勝ったが、敵味方とも犠牲者は夥しく、お前も戦友や部下を幾人もなくして疲れきっていた。我々は長く尽くしてくれたお前の希望を叶えてやりたいとその願いを聞き届けた」
フローレスは冷めかけた茶を啜りながら振り返った。
「……そうでした」
「そして再び要請に応じ、お前は戦場に戻ってきてくれた。以前にも増して強くなって……。そして、以前のように我々に戦の最高責任を預けようとはせず、全て自分で引き受けるという―――変わったな」
フローレスの言葉を聞いて、セルバローは金色の瞳をニヤリと眇めた。自分と同意見だったからだ。
「聞こう。そなた何か望みがあるのではないか?」
フローレスは促す。
ファイザルは腕組みをした片手を自分の顎に当てた。彼の考える時の癖であった。爪で唇を
「はい。では……申し上げます。私の働きに対する評価は、閣下方、及び元老院の判断に従いましょう。もしも昇進の誉れを頂けるなら万謝を持ってお受けいたします……しかし、それとは別に、願いの儀が一つございます」
「言うがよい」
ドルリーが頷く。
「和平の使者が到着し仮りの休戦協定が結ばれ、戦場における後始末が一旦終わったら、おそらく我が軍は順次一旦ファラミアに帰還することでありましょう」
「うむ。それはそうだ。おそらく一月と掛からないだろう。戦で疲れたお前の軍と入れ替わりに、代わりの師団がやってくるはずだ」
「はい。で、私がファラミアに戻ったら……まことに恐れ多いのですが陛下に――女王陛下に、内密にお目通りできる機会を設けて頂きたいと思うのです」
「!」
「なに!?」
ファイザルの要望は予想の範囲を超えていたので、その場にいた三人がそろって目を見張った。
「陛下に?」
「はい」
「な……内密でか?」
「左様でございます」
「お前、何を言い出すかと思ったら……
「一体どんな……お前は陛下の前で一体何をするというのだ。公式の場では言えないという事か」
ドルリーが焦った様子で身を乗り出す。おそらくファラミアに凱旋したら式典などで君主から言葉を賜ることは可能だろうが、ファイザルの言うのはそういう事ではないのである。
「はい。私事で陛下にお話があるのです」
ファイザルは平然と思いもよらぬことを言ってのけた。いくら大きな手柄を立てたとはいえとはいえ、平民出身の一介の将校が一体どのような私事を、国王に対して持ち出そうというのであろうか。
最初の驚きが覚めると、今度は一同揃ってむき出しの好奇心で耳をそばだてた。
「その私事とやらを聞いてもよいか」
「言えませぬ」
「願いの儀か?」
「言えませぬ。陛下に御目もじ叶いましたら直接伝えたく」
「……で、あろうな」
「申し訳ありませぬ」
「まさかとは思うが、陛下に仇なすようなことではないな」
「まさか。こう申しては不敬ながら、陛下ご自身のお身には興味がありませぬ。しかし、陛下にしかお話できないある事情がございます。おそらくお目通りの後はご勘気に触れ、罰を受けるやもしれませぬ。不遜な物言いだという事はわかっておりますが、今はこのような言い方しかできなのです。申し訳ございませぬ」
ファイザルは静かに語り終えると口をつぐんだ。
「なんとまぁ」
あからさまに驚きの表情でドルリー将軍が額の汗を拭った。
「まぁよいわ。中身の非常に気になるところではあるが……おいフローレス、お前は侯爵だから伝手が多いな。どうだ? 何とかできそうか」
「……やってみよう」
「ありがたき幸せに存じます」
ファイザルは恭しく頭を下げた。
「しかし、お前も変わったな」
一刻の後――
あれから戦後処理について大まかな打ち合わせを行った後、彼等は従者も交えて遅い昼食を摂った。天幕の入口の布は開け放たれ、先ほどよりよほど明るく開放的な雰囲気に満ちている。
「あれはもう十何年前になるか、連隊に新たに入った手に負えない暴れん坊をなんとかしてくれと部下に泣きつかれて、様子を見に云ったのがお前に会ったそもそもの最初だったな」
「閣下……その話は」
閉口したようにファイザルが眉を顰める。彼は将軍達の気遣いで、椅子にはかけず、綿を詰めた布をあてがった長椅子に横になりながら食事をとっている。流石に怪我のせいで微熱があるらしく、食欲がなさそうであった。
「お前は、七、八人もの年上で屈強な兵士をコテンパンにのしたところでなぁ。目の周りに青タンをつくって唇を腫らしながらもワシを睨みつけおったわ。ああ、懐かしい、懐かしすぎるわ」
大きくパンをちぎりながらドルリーが遠慮のない声で笑った。セルバローはにやにやしながら黙って聞いている。茶々を入れないのは珍しい。
「昔の話です」
相変わらずファイザルは思い出話には余り興味がなさそうな口ぶりだった。
「生意気で、無鉄砲で剣術も体術も我流この上なかったが、めっぽう強かった。試しに任務を与えたら、これが大抵の事はこともなげにやり遂げよる。これは使えそうだと思ったのが始まりだった」
「はぁ」
「あの時反発するお前を、無理やり士官学校へ放り込んだわし等は先見の明があったとは思わないか? ラルフ」
ラルフと言うのはフローレス将軍の名前らしい。フローレス将軍は黙って頷いた。
「……恐れ入ります」
苦笑を洩らしてファイザルは大人しく答えた。
「そうでもしなければこの向う見ずな男は、今頃はとっくの昔にどこかの戦場で骨になってしまっていただろうよ。最も士官学校でも大人しくしていなかったようだったが」
「だが、成績は優秀だった」
フローレスが言った。
「俺はどぉなんすか? 俺もこいつと一緒に無理やり士官学校へ押しこまれたんですけど。中途入学だったから、門閥主義の貴族のお坊っちゃんたちに随分苛められましたよ」
その時のことを思い出したのか、しかめ面をしながらセルバローは杯をあおる。
「嘘も大概にしろ。お前を苛められる程、骨のある貴族の子弟等どこにもおらぬわっ」
「うへ」
「お前を評価できるのは我々のような凡人じゃあないだろうよ、雷神」
「はあ? どういうこってす?」
「お前を評価できるのはお前自身と……そうだな、お前に相対した敵だろうよ」
大真面目にフローレスはのたまった。
ファイザルは開け放たれた天幕の外を見ている。
北の空を―――。
あの方をこのまま埋もれさせてはいけないのだ。
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