第65話64.戦場 4
「情報だって? どんな?」
強い興味を持ったセルバローが勢い込む。ジャヌーはもの思いから我に返った。
「ドーミエ将軍は東西の戦線を失ったことと、先日の負け戦で、王都での信頼をほぼ失っている。今まで随分横暴の限りを尽くしていたことも災いして、次に負けたら王宮に彼の居場所はなくなる。彼が失脚させた宰相、オシム・ヴァン・ジキスムント卿を再び担ぎだそうという動きもある」
「ほお、それは確かな情報なのか? ドーミエの奴がもしかして失脚?」
「確かでなければ情報とは言えない。ハルベリ殿の仕事に間違いはない」
「ああ、あの隠密部隊のおっさんか。また動き出したんだな。とすれば、ザカリエ王宮内にまで間諜が入り込んでいるんだ」
「そうらしいな。おかげで彼の国の王宮では、すっかり戦争に対する関心がなくなりつつある事もわかった。文官達の中にはどのように我が国に譲歩してもらって休戦協定を結ぶか、考え出す者も出始めているという」
ひゅう、とセルバローは唇を鳴らした。
「凄いな、そんなことまで調べているのか。いったいどんな手をつかって」
「さぁな。戦略に直接関係することではないから、軍の施設内に潜入しているわけではなさそうだが、この他にもいろいろ面白い内部事情を聞きこんでいるらしい。俺も全部は知らない」
「優秀だな。どんな奴だ?」
「知らんな。そちらは俺の手の者じゃない」
「ふむ」
「俺に分かるのは、ドーミエには後がない。だから次の戦が奴にとって文字通り、背水の陣―――つまり決戦だ」
ファイザルは何の
「ふむ。この間の戦いで、敵はかなりの兵力と馬を失ったそうだから、確かに間は置かない方がいいな。態勢の立て直せない内に討たんと」
「わかっている。兵はともかく馬はすぐには補充がきかないからな。叩くなら今を置いて他は無い。降伏するならともかく、歯向かうと言うなら容赦はしない」
ファイザルが唇の端を上げた。それは彼の敵にとって、不吉極まりな微笑みだった。
「
上空で風がどぅんと鳴った。天幕の分厚い布がバタバタと騒ぐ。蝋燭の炎が心もとなく揺れ、男たちを照らしていた。
「ふぅん。で、さっきの話なんだがな」
セルバローは金色の目を考え深げに陰らせて、古くからの戦友を見つめた。
「……」
「何がお前をこうまで駆り立てるんだ? 出世、金……違うな? 昔からそんなものに興味ないもんな」
「確かに興味はないな」
「なら、何故?」
「いろいろ聞くな。相変わらずうるさい男だ」
蠅でも追っ払うように、ファイザルは指をひらひらさせる。
「だって、気になるじゃないか」
「言ったろ? 戦争を終わらせるんだ」
「あくまでシラをきるか。ふん、そうか。わかった」
ニヤリと口を歪めてセルバローは笑った。すこぶる美男だが、笑うと案外愛嬌のある顔立ちになる。
「なんだ?」
「コレだろ?」
ぴっと立つ小指。ジャヌーは目を丸くした。
「貴様、いい加減にしろよ」
ファイザルの声が一段と低くなった。
「オヤ? どうやら当たりを引いたらしいな? そうだ、お前!」
赤い頭がぐり、と回り、金色の目がジャヌーに向けられる。
「は?」
鋭い視線に急に射すくめられて、ジャヌーはしゃちこばった。
「お前、こいつの従卒なんだろ? お前なら知ってるよな? なんでこの男が急に戦勝に熱心になったかをさ」
「それはその……司令官殿はいつでも職務に忠実ですから。
ジャヌーの額から汗が流れた。
ファイザルから放たれる余計な事を言うなよ視線に当てられるのと、セルバローの是非とも聞きたい視線の板挟みになっては身の置き所がない。
「いんや、違うね。明らかに今までとは。そういえば、お前たちはここに戻ってくるまで、なんだかとんでもない辺境にいたって聞いたな。えーと、ノル……ノバ……」
「ノヴァゼムーリャ。和が国の最北の辺境ですが、とても平和で美しいところです。住まう人々も穏やかで……」
話題が変わりそうな気配にほっとしてジャヌーは熱心に答えた。
「ふぅん。最北の地ねぇ。やたら寒そうだな。俺は寒いのは苦手だよ」
「ええ、今頃はきっと真っ白な雪に覆われています。池には氷が張って子ども達が氷滑りを……」
ジャヌーはいつか見た風景を思い出していた。
「氷滑り! おお寒! 俺は寒がりだから絶対に住めないな。そんなところには」
「そりゃ、結構」
ファイザルが重々しく同意する。ジャヌーはこっそりおかしくなった。
あの白い北の地に、こんな色の濃い男が行ったらさぞかし目立つだろう。そして、あの方はきっと面白がられるだろう。大人しそうに見えて好奇心の強いお方だから。
そう言えば、あの方も、この人と対極にあるような風貌だ。並んで立ったらさぞや見ものだろうな。
ジャヌーは遥かな地で暮らす
あの方はお元気にされているだろうか……お風邪など召されてはいないだろうか。
あの方とそれに連なる人たちは……。
「お前の主力部隊は今、どこにいる」
ジャヌーの秘かな感慨をよそに、ファイザル達は実務的な話に戻っている。
「明日の朝にはこっちに着く。言ったろ? 俺は早くお前に会いたくて単騎馬を飛ばして来たんだからな。ははは」
お気楽そうにセルバローは受け合った。
指揮官たるもの、普通ならばそうそう単独行動をとらない。しかし、ファイザルは慣れているのか、呆れているのかそのことについては何も言及しなかった。
「数は?」
「二千。俺の鍛え上げた精鋭ばかりだ。使える」
「上等だ」
「やっと褒めたな。この仏頂面め!」
今のは褒めたのか?
この二人のやり取りにはとてもついていけない。ジャヌーはこの先、どのようにこの二人の間に入ればいいんだろう、と思案にくれた。
「まぁ、ご苦労だった、と言ってやろう、ジャックジーン。そう言えばメシがまだだろう。用意させる。ジャヌー!」
「はいっ、直ぐにお持ちいたします!」
いそいそとジャヌーが出て行く。セルバローはその背を見送り「なかなか気の利く、よさそうな奴だな。お前の従卒にしちゃ上出来だ」と感想を漏らした。
「そうだな。だがもう従卒じゃない。右腕だ」
ファイザルはにやりと口角を上げた。
天幕の外では、その夜も冬の風が不吉な叫びをあげていた。
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