第64話63.戦場 3

「いよう、少将閣下」

 陽気な声と共に、男でも見蕩れるようなの美丈夫がのそりと天幕に入ってくる。

 隅に控えていたジャヌーは見慣れぬその姿に、はっと身を|強張(こわば)らせた。

「ああ貴様か」

 ヨシュア・セス・ファイザル少将は、天幕の奥に置かれた机の上に広げていた地図から顔を上げた。不機嫌そうな顔は、ここ暫くジャヌーの見慣れたものになっている。

 最前線の野営地。

 砂に含まれる鉄分のお蔭で赤い自由国境と言われるウルフェイン平原は、一年で一番乾燥する季節。夜だと言うのに空気は埃っぽさに満ちていた。

「相変わらずブアイソな男だ。もう少し言葉を消費しろよ。久しぶり……3年振り? に会った戦友に対する態度か、それが。熱い抱擁をしろとは言わんが、せめて貴公と呼べ、貴公と」

 男は呆れるジャヌーに気がつかないように、馴れ馴れしく彼の上官に話しかけ続ける。

「春先とはいえ、まだまだ夜は冷えるんだぞ。そんな中を至急と呼びだされて馬をすっ飛ばしてきたのに。俺は寒がりなんだぞ。見ろ、指がカチカチだ。触るか?」

 男はその言葉よりはよほど機嫌がよいようだった。

「まっぴらだ」

 ファイザルはさも嫌そうに整った鼻梁にしわを寄せた。当然だろう、相手は自分同様、大柄で、しかもかなり派手な外見なりをしている。そんな男と手と手を取り合って喜ぶ趣味は彼には無い。

 確かに目立つ風貌の男だった。

 軍規を華麗に無視した燃えるように赤い長髪は、まるで獅子のたてがみのようにふさふさと波打ち、金色の瞳は鋭く切れあがっている。肌は美しい褐色で、明らかに南の国の血が入っていることを示していた。

 エキゾチックな風采を禁欲的な軍服にくるんでいる様子も、ある意味色気を助長させている。

 ファイザルと並んで立つと体格が似ているだけに、外見の差が対極的である。

 片や、鉄色の髪に深青の瞳の無口な男。表情は静かで、動きに無駄がない。片や原色を散りばめ、饒舌じょうぜつで、己の動きを常に他者に見せつけるかのように振る舞う男。

 これは、自分の審美眼に自信のないジャヌーのような青年が見ても、なかなか見蕩れる光景だった。

 それにしても凄い髪だな。

 ジャヌーは密かに感嘆した。

 軍隊では殆どの者が短髪にしているが、それは規則と言うだけではなく、戦場では毎日風呂に入れる恵まれた環境はまずあり得ない。少しでも清潔でいる為に必然的にそうなったと言った方が相応しかったからだ。

 しかし、この大男はそんな事に構いない様子で長い前髪をかき上げた。豊かな頭髪を押さえる為か、額に皮の紐を巻いている。ジャヌーは男の髪を美しいと思ったのは初めてだった。

 これに匹敵する美しい髪の持ち主はただ一人。

 ジャヌーの瞳の奥に柔らかな銀色が映る。

 しかし、この男はどこかで見たような……。

 一度見たら忘れられない風貌である。だから絶対にあったことはない。だが、どうしてか知っているような気がしてならない。ジャヌーは首をひねった。

「司令官殿。お茶でもお持ちいたしましょうか?」

 ジャヌーはこの派手な男がファイザルの嘗ての戦友と見て、躊躇ためらいながら申し出た。言外に自分は遠慮した方がいいのかを尋ねている。

「いらな……」

「おお! お茶!」

 男の金色の目が初めてジャヌーを捕えた。

「お茶いる!」

 馬を飛ばしてきて冷え切ったのであろう男は、顔を輝かせている。

「熱いの頼むわ。熱いの。酒ならもっといい。ないの? 酒」

「無用だ。欲しけりゃ茶ぐらい自分で入れるんだな」

 まずます面白くなさそうにファイザルは文句を言った。

「あ~あ、酷いわ、こりゃ。最悪のご機嫌だな。お前」

「俺は忙しいんだ。必要な事だけすぐ話せ」

 木で鼻をくくったような無愛想きわまる応対にも、美丈夫は全く怯んだ様子もなく、広い天幕の中をゆったりと見渡している。ジャヌーと目が合うと、彼は不敵に唇を上げた。

 慌ててジャヌーは視線を逸らせたが、ついこっそりと見つめてしまう。態度こそ傍若無人だが、人を惹き付ける何かが男の全身から発散されているようだった。

「ちぇっ、まぁいい。うん、あっちはすっかり片付いた。片付けたのは俺だよ。もう心配ないだろ。大概の指揮官は俺が鬼籍に入れてやったしな。他は寄せ集めの有象無象だ。傭兵が多かったし。で、後始末はドルリーの爺さんに任せてきた」

 あっちと言うのはファイザルが守るウルフェイン平原より東の戦線のことだ。

 ウルフェイン平原は、エルファラン国の南からザカリエ国の北にかけて広がる広大な平原で、その地域一体に良質の鉄鉱石を豊かに産出する鉱脈がある。エルファラン国は古くから良質の鉄鉱石の産地で、早くからその資源を利用し、国力を伸ばしてきたのだ。

 その鉱脈の一部がどうやらザカリエ国にも伸びている様子で、この長い戦争のもともとの原因はその鉄鉱脈の所有権争いであった。

 この地域は広範囲にわたって鉄の他にも宝石などの希少な鉱物、そして金鉱まであるという事が最近の王立科学院の調査の結果分かってきている。

 初めに開発に着手したのは文明の進んだエルファランの方だったが、新興国ザカリエも次第に力を増し、それらの鉱脈の領有権争いで、このあたりの自由国境地帯は幾度かの休戦期間を挟んで、この二十年近く両国の争いの舞台になってきたのだった。

「そうか」

 やっと視線を上げてファイザルは嘗ての戦友を見た。

「お前もっとありがたがれよ。俺はすっかり軍から手を引いて、ローデアの片田舎で葡萄酒片手に引っ込んでいたんだぜ? そろそろモテ男の看板を下ろして嫁でも貰おうかいなんて考えていたところへ、一年前、突然一通の書面で呼び出されたと思ったら、おさらばしたはずの戦場にいきなり送り込まれてさ、大佐にしてやるから師団を率いて戦えとか言われるし」

 ローデアと言うのはエルファラン国の東の地、酒の産地として有名なところだ。肥沃な大地は沢山の農産物を育み、エルファラン国有数の穀倉地帯でもある。

「嫁だと?」

 心底嫌そうにファイザルは眉をあげた。

「あ、それは言葉のアヤ。でもそっから俺ぁ、半年以上地獄のあり様だったぜ。ザカリエ軍も以前に比べて強くなった。こっちの損害もかなり甚大だ。まぁ勝ったからいいようなものの、苦労はした。俺だって昔のように、あんまり我儘勝手もできないくらい大きな部隊を任されたし。そんで、聞きゃお前も同じように召喚されて隣の戦場にいるって言うじゃないか。考えりゃあたりまえだが」

「そうだな」

 何でもないことのようにファイザルは応え地図を脇に寄せる。

「ふん、そうかい。しかしまぁ、なんだ。異様な出世ぶりだな。平民上がりの軍人が准将を経てついに少将殿か。まぁ異様と言えば、この半年余りのお前さんの挙げた戦功の方が異様か。大熊を瀬戸際まで追いつめた先月の大戦では、さすがに門閥もんばつ主義カチコチの都のお偉方も、お前の力を認めざるを得ないと言う訳だ」

「言ってろ」

「なぁお前、一体なにがあった?」

 美丈夫の金色の目が鋭くファイザルを捉えた。

「……なにも」

 ファイザルは、瞳をきらりと光らせて男に視線を走らせた。そして座れと言うように傍の椅子を指し示す。男はだまってどっかりと椅子に腰を掛け、長い脚を組んだ。汚れた長靴ちょうかに泥がこびりついている。

 どうやら馬を飛ばしてきたというのは偽りではなさそうだった。

 ジャヌーも好奇心を抑えきれずに、彼の上官にタメ口をきく男を観察している。階級章は大佐。しかし、この男の異国風な風貌はいかにも正規の軍人らしくない。

 そこまで考えてジャヌーはある男の名に思い当った。ファイザルからは何も聞かされてはいなかった。しかし、もしかして……? ジャヌーの体に緊張が走る。

「相変わらずのだんまりか。だが隠しても分かる。お前随分変わったな」

「そうか?」

 美丈夫の戯言ざれごとには取り合わない風で、ファイザルは顔も上げない。

「確かに昔から戦争にゃ凄まじく強かったがな。案外冷めてて、勝ち戦ならあそこまで容赦ない追撃はしなかったろ? 部下を大事にする余りというか」

「……」

「それがどうだ。大熊殿の首を掻かんばかりの猛追ぶりだってな。たった百人で」

 彼はなかなかの情報通のようだった。確かに先月は敗走する敵軍を、完膚かんぷ無きまでに掃討し、文字通りファイザルは血濡れの二つ名に相応しい働きをしたのだった。その上、彼直属の精鋭達の追撃は逃げ惑う平の兵士を乗り越え、敵の将、バルリングの黒熊、ドーミエに迫る勢いだったという。敵軍の戦意は著しく低下したと報告があった。

「百四十五人だ。最初は二百人だった。突然の雨にやられなければ、熊を討てたはずだった。奴め、豪雨に紛れてまんまと」

 男の言葉に苦々しいものがこみ上げたのか、ファイザルは珍しく忌々しそうに唸った。

「凄まじいな。この俺でさえ、お前の敵にはなりたくないと痛切に思うわ―――で、何のためだ? 出世など眼中にないはずだろ」

「この戦争を終わらせる」

 低くファイザルは言った。

「そらそうだ。皆そう思ってる。だがな、そう言ってもこの十何年、誰もやり遂げたものはいなかったんだぜ。規模を拡大したり縮小したりしながら、戦争はここいらの日常だった」

「だから、そろそろ終わってもいい頃合いだ。国境は動かない。国内の鉱山は我が国のものだ。自由国境に広がる鉱脈の領有権に関しては政治の仕事だろう。先ず徹底的にザカリエ軍を叩く。そしたらお偉方も動くさ」

「オヤ」

 ファイザルの口から政治と言う言葉を聞くのは初めてかもしれないと男は思った。

「二ヵ月のうちに決着をつける」

 その声も表情も静かなままだ。

「二ヵ月。つまり春までにってことか。本気か?」

 男は大げさに驚いてみせた。

「無論」

「大佐昇進の知らせが届いた時は驚いたが、ここにもう一度俺を呼び寄せたのは、案外お前じゃないのか? ヨシュア?」

「さぁな」

 ファイザルはすげなくやり過ごして、再び地図に目を落とした。

「司令官殿、こちらは?」

 それまで目一杯好奇心を膨らませつつも黙って二人のやり取りを聞いていたジャヌーが、やっと話かけるきっかけを掴んだと見えておずおずと背後から尋ねた。

「ああ、こいつは俺の昔馴染みで、見ての通りふざけた男だ。ただ、戦と女にはめっぽう強い。名をジャックジーン・セルバローと言う」

「女は余計だぞ―――まぁ、来るものは拒まんが」

「ええっ! それではこの方がその名も高い『雷神』のセルバロー少佐ですか!? あ、失礼しました。今は大佐におなりでございました。御高名はかねがね! お噂のとおりの見事なご風貌で」

 すっかり驚いてジャヌーは顔を輝かせた。

「お? 嬉しいねぇ、昔の俺のあだ名を知ってんの?」

「勿論であります! かつて司令官殿とたった二人で、敵が築いた砦に潜入し、内側からかんぬきを開かせたのは今でも語り継がれている有名な話で」

 やや興奮気味に若いジャヌーは語った。セルバローはその見かけ通り、型破りな戦士で、特命を受けての単独行動が得意だ。地獄のような最前線から場末の娼館まで、神出鬼没なその性癖とエキゾチックな風貌から『雷神』のあだ名がついた。軍では二つ名がつくのは勲章のようなものだった。

「あ~あ、そんな事もあったかな? 若かったよなぁ。あんときゃ俺達もさ、セス」

 セルバローはファイザルを名で呼んだ。しかし、彼の態度は変わらない。

「爺むさい思い出話に俺を巻き込むな」

「爺む……おい、酷くはないか?」

「俺の興味は次の戦略のことだけだ」

 確かにファイザルもセルバローも、爺むささとは無縁の精悍な男たちであった。ジャヌーは言葉もなく高名な二人の戦士を見つめている。

「ふん。じゃあ聞いてやろうじゃないか。どうやって熊を狩る?」

「徹底的に正攻法。まだ敵は立ち直っていない。そこを叩く。奴らに策をろうする時間を与えない」

「ほぅ、真向勝負ってか? だが、『熊』は勇猛果敢と言う評判のわりに、意外とセコい男だって話だぜ。今頃は尻尾を巻いて王都に戻っているかもしれん」

「それはない」

「なぜ分かる?」

「情報を得た」

 ファイザルの言葉は相変わらず相手の気をくじくように短い。戦場に戻ってきて一年、ずっとこうだった。

 これがあの遥かなノヴァの地で、赤い瞳の娘を甘やかしていたのと同じ男だと言う事が、未だにジャヌーには信じられない。

 かの地を去って以来、ジャヌーは常に傍でファイザルが戦士として、いかに有能で、そして恐ろしい男であるかをの当たりにしてきた。


 司令官としての彼をノヴァゼムーリャ・セヴェレ砦でいつもその仕事ぶりを見てきたから、ジャヌーは彼の事を部下の信頼厚い優れた指揮官であると知っていたが、戦士としての彼を見るのはこの戦争が初めてである。

 それは時に隣で戦っているジャヌーでさえも、時に戦慄させるほどの凄まじい戦いぶりだった。

 彼は事前にあらゆる情報を集めた。敵の指揮官達の性格、それまでの戦闘経験、作戦の傾向、戦場の地形、天候等。それらを徹底的に検証し、できうる限り有利な条件の元、綿密な戦略を練る。兵士を出来るだけ死なせずに済むように。

 しかし、満を持して戦いに臨みながら、彼自身はいつも常に先頭を走る精鋭部隊のただ中にいた。

 戦はその最中に生き物のようにその形を変えてゆく。彼は目の前の敵軍の弱い部分を瞬時に見抜き、優秀な遊撃部隊を率いて次々に突破していった。

 巧みな馬術でもって敵中に突っ込むと、怯んだ敵の顔面、それも喉を確実に狙って剣をぐ。

 次々に喉を切り裂かれて仰け反り、凄まじい血飛沫を上げて地に斃れる同胞を前に、多くの雑兵は戦意を喪失して浮足立った。

 後は鍛え上げられた後続の部隊が、怒涛のようになだれ込み、乱れかかった戦列を更に切り崩す。

 戦闘が終わったあとの彼の全身は、かえり血の付いてない部分を探す方が難しかった。

 二千リベル《二キロ》も戦線を前に押し進めた大勝利の後、自らの戦場を振り返るファイザルの眼は、ジャヌーでさえ正視できないほど壮絶な色を帯びていた。

 正に、血濡れの戦士「掃討のセス」。

 同じ眼が穏やかな微笑を含んで、あの方を見守っていたはずなのに。

 この一年余り、彼の口から白銀の髪を持つ美しい人の名を聞いたことがなかった。




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