第61話60.思慕 4

 初秋の荒野を馬で駆けることは、レーニエにとって心楽しむ日課なのだが、この日の彼女は生真面目な顔をして前方を見据え、リアム号を急がせていた。

 後ろから二騎の護衛の兵士がついてくる。森の端の道は美しく、愛馬リアムは機嫌よく砦までの半時あまりの道を一気に駆け抜けた。

 大きな城門では、顔見知りの門衛が微笑みかけながら迎えてくれ、砦内部に一歩足を踏み入れると、若い兵士たちが憧れと尊敬の眼差しで敬礼し、優雅な足取りで進む彼女を眼で追う。

 案内係の兵士に突然の来訪の要件を伝えると、すぐに指揮官専用の執務室に続く来客用の部屋に通してもらえた。

 程なくオーフェンガルドが現れる。

「これはご領主様、よくお越しくださいました。ご連絡をいただければこちらから伺いましたものを」

 彼はファイザルと同年代の青年で、落ち着いた温厚な人柄で硬そうな薄色の髪と誠実そうな瞳を持っている。

「あ、そうか」

 いつものように、にこやかにオーフェンガルドが挨拶をするのに応じてレーニエも立ち上がりながら自分の迂闊さに気がついた。

「なにか?」

「いや……つい自分の事ばかり考えていたので、自分からこちらへ出向いてしまったが、オーフェンガルド殿に館へ来てもらった方がよかったのかな? 奥方にも会えるのだし……まったく私は気が利かないな」

 整った眉を下げてしゅんとする領主を、オーフェンガルドは理由は分からないながらも好もしそうに眺めた。

 目の前の若い貴族が見かけどおりの儚げな娘ではない事は、ファイザルが残した申し送りや、村人たちの話からオーフェンガルドも知っている。領主のくせに直接税を取らず、子ども達の面倒を見たり、貧しいこの地に新たな産業を興そうと色々試みているという事も。

 彼の前任者であるファイザルが戦地への出立直前に起きた身代わり人質事件は、何回報告書を読み返しても、信じられぬ程の無茶苦茶な行動力だった。

 しかし、ファイザルが何度も危惧し、くれぐれも配慮してやってくれと申し置いた通り、自分を悪く言う傾向だけはあまり治っていないようだった。

「いえ、いいのですよ。休暇でもないのに、この場を離れることは自分に戒めております。もちろん使命を帯びて、村やお屋敷に出向くこともありますが。」

「そうか。ヨ……ファイザル指揮官殿もよく同じような事を申されていたな。一度ほどけた緊張の糸はなかなか戻らぬとか、そのような事を……」

「ええ、その通りです。して、本日の御用向きは?」

「あ、ああ。お忙しいのに時間を取ってもらって済まないが、ハルベリイと言う人物について教えてほしいのだ」

「ハルベリイ……ハルベリイ少将ですか?」

 意外な事を聞いたようにオーフェンガルドは灰色の目を見張った。

「そう……ご存じか?」

「はい。直接会ったことはありませんが、噂は耳にします。軍の特殊部隊を統率されておられる方ですね」

「ああ、そうらしい。いったいどういう人物なのか?」

「噂ではかなりの切れ者だと言う事です。まぁ、特殊部隊等と言うものは、凡庸な人間ではやってられないところだと思いますが」

「人柄などは?」

「人柄ですか? あ~、そっちはあまり存じ上げませんねぇ、私はお会いしたことがないのですよ。申し訳ありません。ですが、何故急に、ハルベリイ少将の事をお聞きに? 伺ってもよければ、ですが」

「うん。実はフェルディナンドが……あ、この者は私の従者で、サリアの弟なのだ。そして私の家族と言ってもいいくらい近しい存在なのだが今、都の士官学校の予科で学んでいる」

「サリアさんの弟御ですか。そう言えば伺った記憶があります」

 オーフェンガルドも館で、サリアとは何度も言葉を交わしているし、優しいしっかりした娘だと思っていた。オリイからもセバストからも息子が今、都で学んでいると聞いている。レーニエが言うのはその事だろう。

「うん。それで、フェルディナンド、フェルはなかなか優秀なのだが、どういう経緯からか、ハルベリイ少将殿の目にとまり、自分の部隊の作戦行動に参加させたいと言ってきたのだ」

「ええっ!? 予科で学ぶ少年をですか? お幾つなのです?」

「十四……いや、もう十五になったか」

「それはお若い」

 オーフェンガルドが絶句した。

「私はその方面に詳しくないが、特殊部隊というのは、いうなれば、戦や敵の様々な情報を集めるところなのだろう?」

「ええ、まぁそうです。それだけじゃありませんが」

「と言うと?」

「後方支援として、集めた情報を解析して各部隊に流したりもしますが、それだけでなく、敵地に潜入して工作活動をしたりもします」

「……工作活動……やはり」

 レーニエの瞳が曇る。

「はい。間違った情報を流して紛争の火種をまいたり、逆にもみ消したり」

「それは―――そうか。でも、そんなことを私に言っていいのか?」

「ええ大丈夫です。このくらいは軍の関係者なら誰でも知っていますので。勿論もっと細部の諜報活動になると、おそらく同じ部隊内でも、それに従事している者以外には知らされないそうですが」

「……」

「しかし、そんな部隊にサリアさんの弟殿が?」

「手紙にはそう書いてあった。ここから先は、絶対に漏らしてはならないことだとハルベリイ少将は言っている。だから、あなたに伺いに来た」

「なんですって? それは、それなら……レーニエ様、申し訳ありませんが、しばらくそのままお待ちください」

 オーフェンガルドは急に立ち上がり、控室に向かった。扉を開けるとそこに詰めている兵士に向かって命じる。

「よいか、私が許可するまで何人たりともここを通すな」

「はっ!」

 オーフェンガルドはそう言うと扉に内側から鍵をかけた。

「ここでもまだ伺えません。レーニエ様、すみませんが奥の執務室においで下さい」

「……わかった」

 オーフェンガルドに促され、レーニエは席を立った。以前にも入ったことのある、ファイザルが使っていた執務室の扉をオーフェンガルドが明けて待っている。レーニエは黙って従った。

 正面に大きな執務机、積み上げられた書類、ペンにインク壺。あの向こうの扉の奥は私室になっていて、以前城壁の高さを実感して気分が悪くなった時、自分が横たえられた寝台があって―――。


『あなたには出来ると思います』

 優しく頼もしい声が自分を勇気づけてくれた。

 しかし今、懐かしいあの姿はなく―――。

 レーニエの視線がゆらゆらと狭い空間を彷徨さまよう。

「どうぞ、こちらへ」

 オーフェンガルドの言葉にレーニエは、はっとなった。

「あ……ああ」

「レーニエ様、最初に申し上げておきます。機密事項だと言われたのなら、詳細は私にも絶対に漏らしてはいけません」

 執務室の脇に置かれた応接用の椅子を進め、レーニエを落ち着かせるとオーフェンガルドはおもむろに言った。

「しかし……だけどあなたは、軍関係者だろう?」

「いいえ、レーニエ様。機密事項とはそうしたものです。この件を御存じなのは? ご領主様だけですか?」

「セバストがいる。フェルの父親の」

「そうですか。なら、それ以上は誰にも漏らしてはなりませぬ」

「セバストもそう言っていた。母親であるオリイにも言ってはならないと。オリイも知りたがるようなことはないだろうとも」

「結構です。それでフェルディナンド殿は、ハルベリイ少将の部隊に配属され、特殊な任務を帯びたと言う事ですね?」

「まだだ。とりあえず、私の許しをう形になっている」

「お年は十五との事でしたな」

 いくら訓練で優秀な成績を上げたとしても、そんな少年に出来ることは限られている。というよりも少年でなければ果たせないような役割なのだろう、だとすればその理由は?

 まず警戒されない、と言う事か。そして少年がうろついていても不自然に見えず、情報を集められるような環境で。そんな場所と言えば……。

「……もしかして」

 オーフェンガルドが黙り込んだ。ある程度は彼にも想像がつく。これはかなり高度の機密に触れてしまったような気がした。

「それで、レーニエ様にはいかがされるおつもりで?」

「私はすっかり憤って猛反対したのだが、セバストはフェルの気持ちが大切だと言う。それで説得されて私も最後には……折れた」

「左様でございましたか」

「だから、あなたの意見を聞こうと思ったのだ。ハルベリイ少将については何も知らないので。私の家族を預けてもよい人物かどうか」

「成程。しかし、申し上げた通り……私は彼をよくは知りません」

「ああ、わかった。済まない。ご無理申し上げた。お時間を取らせて申し訳ない」

 レーニエは諦めたようにやや項垂れた。

「ああ、でもしかし……」

「え?」

「私は会ったことがありませんが、奴は会ったはずです」

「奴?」

「ファイザルのことです」

「……」

 そう言えば、ドルトンがそんことを書面にしたためていたようだとレーニエは思い出した。

「一度だけ、奴の口からハルベリイ少将の話を聞いたことがあります」

「ファイザル殿から……?」

 領主の顔がはっと上がる。

「ええ、ファイザルは俺に言いました。情報とは重要なものだとね。数年前の戦いで奴が作戦を立てる際、ハルベリイ少将のもたらしてくれたある情報が大いに役に立ったとか。戦場の、しかも最前線の彼のもとへ危険を冒して、一番信頼している部下をよこしてくれたことに奴は大層感謝していました。それで勝利を得たファイザルは、後に都に戻ってからわざわざ少将に会いに行ったんですよ」

「そう……そうか。そんな事が……それでファイザル殿はなんと?」

「ハルベリイ少将の事を部下の信頼も厚い、非常に優れた軍人だと」

「ファイザル殿がそんなことを……」

「私はファイザルの人を見る目を非常に信頼します。彼の言葉もね」

「……うん」

 レーニエは唇が震えないようにと固く引き結んだ。

「だからきっとハルベリイ少将は、あなたの大切な家族を頼むに足る人物だと思います」

「……」

 ヨシュアはハルベリイ少将を信頼していた。

 では、もう私が反対する理由は何も無くなったという訳か……フェルを危険に晒したくないと言う、私の個人的な思いの他には……。

 ヨシュア……ヨシュアもフェルを行かせるべきだと言うだろうか? あの人ならば……そうだ。

 レーニエはずっと気になっていたことを聞くのは今だと思った。

「もう一つ聞きたいことがあるのだが」

「はい。なんなりと」

「ファイザル殿はご無事だろうか?」

 大きな瞳がオーフェンガルドをじっと見据え、躊躇いがちな唇から小さな問いが発せられる。彼女の心の内が透けて見えるようで彼は胸を打たれた。

「勿論ですとも! 奴はすごぶる元気です」

 その言葉に息を詰めていたであろう、細い肩の力がほっと抜けた。

「そ……うか……で、あの方は何処の戦場におられるのか、あなたはご存じなのか?」

「はい」

「もし、機密ならば、答える義務はないが」

「いいえ、そのようなことは。寧ろレーニエ様が、今までその事を私に尋ねられなかった事の方が不思議でございました」

「それは……その私などが聞いてもいいのか分からなかったのと……それ以上に恐ろしかったものだから……」

 ファイザルに絶対に尋ねるなと言われているので、オーフェンガルドはレーニエの出自を知らない。しかし、彼なりに想像がつくことはある。彼等は身分の差を越えて恋をしているのだ。それも熱烈に。

「奴は今、南の国境の向こう側にいます。ウルフェイン平原と言われるところです。ご存じですか?」

「ああ。我が国の資源の一大産出地で……この戦争のそもそもの発端となった場所と聞いている」

「良くご存じで。ファイザルは先ず、八か月かかって敵の西方大隊を撃破し、国境の西に広がろうとする戦線を見事にくい止めてました。現在その地帯は既に非戦闘地域になっているはずです。そしてすぐさま奴は、今度は南の国境の町、ウルフィオーレの南に取って返し、平原の最前線に派遣されました。現在はその地で、先年取り返したばかりの鉄鉱山を守るために戦っているはずです。もともとこの戦はレーニエ様がおっしゃる通り、自由国境のエルファラン国境寄りに産する資源を目当てに、新興国ザカリエが二十年ほど前に侵攻したことで始まったものなのです」

「ウルフィオーレ? そこは確か……」

「はい。奴の故郷です。この十何年、休戦や停戦をを挟みながらも、ずっと戦場になっているところです」

「最前線か……さぞや激戦地なのだろうな」

「左様で」

 戦場がどういうところなのか、レーニエの想像力ではうまく情景を描けない。たしか、南の地方は鉄をはじめ、たくさんの豊かな鉱脈があり、鉄鉱石などは露天掘りで産出できる。その様子を描いた本は見たことがあった。

 それは大きな穴が大地に幾つも穿うがたれた奇妙な風景だった。そんな場所が戦場になっていて、ファイザルはそこで司令官として指揮をとっているというのか。

「……それで戦況は?」

「ファイザルが行くまでは捗々はかばかしくなかったようですが、何しろ奴は有名ですからね。奴が二年の時を経て、再び南の戦線に投入されたと聞いて、敵はかなりその作戦を変えたようです。知名度だけで奴は脅威になってますよ。彼は名うての戦上手ですから。まったく凄い奴です」

 そのせいでヨシュアはずっと苦しんでいたと言うのに……。

 レーニエはため息をついた。

「東の戦線は別の師団の将軍達がどうにか死守に成功しているようです。そうして東西の憂いを晴らしたファイザルは、いよいよ最大の戦場に乗り出したのです。彼は昔馴染みのある男を東部戦線から呼び寄せました。その男は『雷神』の二つ名を持つファイザルの相棒で、少々変わってはいますが、凄腕の武人です。おそらく他にも、考えられる様々な戦略を立てて今度の戦に臨んでいることでしょう。彼の今回の戦に決着をつけようとする熱意は半端じゃありません。戦況はきっと大きく変わりますよ」

「……」

「ただ、自国の事情で、一旦中央の戦線からザカリエの首都ザールに戻っていた例の『バルリングの黒熊』ドーミエ将軍が、相次ぐ負け戦についに業を煮やし、近々大隊を率いて戻ってくるという報告を受けています」

「その名はよく聞いている。その名も高い猛将だとか」

「その通りです。数年前、長らく下火状態だった戦に再び油を注いだのは奴なのです。ただ、不思議な事に今までファイザルとは直接対峙したことがなかったのです。しかし、今回ばかりは両雄が激突するのは避けられないと、我々軍人の専らの噂です。おそらく最大の激戦になるでしょう」

 些か頬を紅潮させてオーフェンガルドは熱心に語った。武人たる所以ゆえんであろう。レーニエは複雑な思いでその言を聞く。彼女は立ち上がり、窓辺に歩み寄った。

「大丈夫です。奴を信じてやってください。私に言えることがあれば、包み隠さずレーニエ様にご報告いたしますので」

 レーニエを励まそうとしてか、オーフェンガルドは後ろ姿に向かって熱心に言った。

「そうしていただけると嬉しい」

 窓外に視線を巡らせながらレーニエは呟いた。相変わらずの凛々しい男装だが、銀髪を流して俯く様は恋しい男の安否を憂う少女のそれで、オーフェンガルドは心が痛んだ。

「あいつはその……ずいぶんレーニエ様を大切に思っているようでした」

「……あの人があなたにそんな事を?」

 その言葉にレーニエははっと振り返る。紅玉の瞳が揺れた。

「いいえ。ですが、私にはわかりました。かつての彼は奴は、守るべきものを持たない……と言うより、持とうとしない男でした。まるでそうすることを怖がっているみたいにね」

「……」

「ですが、私がこちらに着任し、彼が去るまで過ごしたわずかな間、あなたのことを語る彼はとても嬉しそうで。闘将と呼ばれたあいつのそんな様子をそれまで見たことがなかったものですから、私は大変驚いたのです」

「……本当? 私のことをあの人が話していた?」

「ええ。普段素直なのに時には非常に頑固になるとか、好奇心旺盛でなんでも確かめたがるとか」

「……もう」

「ふふ……ようやく笑ってくださいましたね」

 思わず苦笑をもらしたレーニエに、オーフェンガルドもほっとした。

「あの人はこの戦争が終わったら帰ってくる……帰って来てくれるのだろうか?」

「さぁ……それは私には。ですが、あいつはレーニエ様のご安寧を一番に思っているますよ」

「……」

「どうかあいつを信じてやってください。俺が言うのもなんですが、あいつは信頼に値する男です」

「それはよく―――よく知っている」

 レーニエの瞳はオーフェンガルドの肩越しに、遠い南の空を見つめていた。



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