第34話33.領主の恋 9

 

 ファイザルが出立してから一週間が経った。

 レーニエは心の底におりのように溜まった憂いを感じながらも、とりあえずゆったりした日々を過ごしている。

 気持ちがふさぐのを隠すことには慣れていた。フェルもサリアも、主の心の内に気が付いているのかいないのか、何も言わない。彼等はひたすらレーニエが、この間に少しでも体力を回復できるように気を配っていた。

 幸い、山城の最下層にある岩屋の温泉はことの他、彼女の気に入り、朝夕一日に二度は入っている。湯温はあまり熱くはなく、飲み物を傍に置きながら、一人でゆっくり入るのが常であった。

 今日もレーニエは白い体を夕陽に晒しながら、湯に浸っていた。滋養のある食事を規則正しく摂っているせいか、病を得て細いばかりだった体にようやく丸みが戻ったようだった。山に向かって大きくくり抜かれた窓からは湯殿に風が涼やかに流れ込んでいた。

 体が熱くなりすぎ、サリアの用意してくれた香草の冷茶で少し喉をうるおして、レーニエは自然の岩を利用して作られた浴槽を出た。湯殿を出るとすぐにサリアが、浴衣を着せかけてくるだろう。

 その前にレーニエは扉に近い床に敷かれた敷物の上に立ち、傍の大きな姿見に自分の裸身を映して見た。髪に巻かれた布を取る。先ほどサリアが念入りに洗ってくれた髪がするすると背中に滑り下りる。薄暗い湯殿の鏡に白い肢体が浮き上がった。

 さすがの白磁の肌も湯で暖まったおかげでほんのりと染まっている。以前はひどく浮き上がって見えた肋骨は、今はそれほど目立たないような気がする。

 手足はすんなりと伸びているが、これはまだ細すぎて見るからに頼りない。

 もっと運動して筋肉をつけた方がいいのかな。明日から少し山歩きをしてみようか。

 都の貴婦人が聞いたら、眉をひそめるようなことをレーニエは大真面目に考えた。更に自分の体を厳しく検分する。

 尻は丸みが増し、そのせいで腰にくびれができたような気がする。それが良いことか悪いことか彼女にはよく分からない。年頃の貴婦人達は|補正具(コルセット)と言うものを身に着け、胴の細さを競うそうだ。

 レーニエは補正具などつけたことがないし、自分の腰のことなど今まであまり考えたことがなかったが、女性たちは競って腰を締めた服を着るので、腰が細いことはいいことなのかもしれないと思った。

 腹は滑らかで、まつわりつく長い髪はその下、太ももを覆うくらいにまで伸びていた。

 家の習わしとはいえ、少しうっとおしいかも。半分くらいに切ってみようか……サリアに言ったら切ってくれるかしら? フェルが怒りそうだけども。

 レーニエは視線を上にあげた。

 胸は?

 う~ん、もっと大きい方がいいんだろうか?

 女である証が始まって数か月がたつ。以前に比べるとその部分は豊かになって、サリアは素肌にシャツを着るのはもうやめた方がいいと言う。

 だが、レーニエは補正具もそうだが、身を拘束する窮屈な衣服は大変苦手だったのだ。これもおそらく閉じ込められた幼少期の記憶がたたっているのだろうと思う。

 以前、春の市の夜の会合で、衆人の前に婦人用の着物で出た時も窮屈で、肩身が狭く、後から熱が出たのはその事も原因の一つではないか、等と彼女は勝手に考えていた。

「ですが、暑い時はシャツだけになることもあるでしょう? そこまでお胸が育ってきたなら、それはまずうございますわ。補正具をお付けにならないのなら、木綿のシュミーズをお召しください」

 サリアは遠慮なく言う。

 育って来たのかな? よくわからない

 ふんわりと盛り上がったそれは、サリアやオリイに比べるとまだ小さいような気がする。

 これからどんどん大きくなると言うが、細い自分の身体で胸だけ大きくなってもなぁ……等と、他愛のないことを真剣にレーニエは考えていた。

 両腕で自分を抱きしめてみる。ぎゅっと寄せられた胸はなんだか恰好よく見えた。

 ヨシュアはどうなのだろう。大きな胸がいいのかしら? そもそもどんな風なご婦人がお好みなのだろう? 私なんかでは相手にもならないのだろうか? いつも優しくしてくれるけれど、それは私が一応領主で立場と言うものがあるからなのかもしれない。

 もっときれいになれば、私自身を見てくださるかしら?

 私を見て。

 私を知って。

 私に――触れて。

 そこまで考えて、レーニエは湯に浸かっていた時よりも頬が赤くなるのを感じた。

 いったい何という事を自分は……。

「失礼いたします。レーニエ様、もうお上がりになっ……あら?」

 扉が少し開かれ、浴衣を持ったサリアが顔を出した。

「きゃっ! サリア! 今! 今、出るから!」

 すっかり娘らしい思考に囚われていたご領主様は大変狼狽し、その場にしゃがみこんでしまった。




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