第7話 6.北方辺境の新領主 6

 村長の家を出た時にはすでに昼近くになっていた。太陽は中天に昇っていたが、相変わらず村の中は人通りが少なく、寒々しい。

 ついさっき、玄関ホールでレーニエの肩にマントを掛けてやったとき、ファイザルはわざとマントを髪の上に着せかけなかった。だから髪はその背に流れている。レーニエは気がついたようだが、口を開きかけたフェルディナンドを押し止め、何も言わずに馬に乗った。

「無礼を働いた者たちに構いなしとの仰せ、改めましてありがたく賜りましてございます。」

「その内にもっと教えてもらいたいことが出来るやもしれぬ。よろしく頼みたい」

 見送りに出た村長とその家族が深々と頭を下げるのに、馬上から頷いてレーニエは村を後にした。

「館にお戻りになられますか?」

 来た時と同じように自分の前にレーニエを座らせ、手綱を打たせてファイザルが尋ねた。領主は先ほどより少し体の力が抜けたのか、安心して馬の動きに身を任せている。

 ジャヌーは少し後ろからついてくるが、その眼はやはり物珍しそうにレーニエに注がれていた。その前の少年の目は忌々しそうにファイザルに注がれている。

「そうしよう……あなたもお忙しいのだろう」

「俺……私は構いませんが」

「そうか、なら、来たのと違う道を通って戻ってもらえるか?」

「かしこまりました」

 荒野と隣り合わせの村は、静まり返っている。

「いつもこんなに人がいないのか?」

「いえいつもはこれ程は……おそらく昨日の件を反映しているのだと思います。明日には元通りに人々が行きかうかと」

「そうか……よかった……私のせいで皆迷惑をしているのだな」

「……」

 一体この領主は何者だろうと、ファイザルは再び考え込んだ。そう言えば、昨夜からずっとこの人物のことを考えている事に気づく。

「……私もあなた様に言うべきことが……」

 ややあって、ファイザルは切り出した。

「……?」

「実は私は存じておりました。昨日、彼らが武器を持ってあなたのもとに赴くことを」

「そうか」

「お察しであられましたか?」

「かもしれぬとは思っていた。あなたは有能な方だから」

「私には優れた情報網があって、この地のことならほとんど知らないことはありません。しかし、私はあえて止めなかった」

「……」

「理由を聞かれないのですか?」

「おそらく、彼らと同じ理由からだろう? あわよくば私がしっぽを巻いて都に帰ればいいと思っていた?」

「まさか、そこまでは。ですが、あなたの出方を見ようとは思っていました。勿論アダンがあなたに危害を加えたりせず、皆を自重させることはわかっていましたが。私もすぐに出られるところで待機し、適当なところで止めに入ろうと言う思惑でした。あの若いナヴァルは予想外に勇み足でしたが。怖い思いをさせて申し訳もございません」

「もうよい」

「私の任にはご領主さまの警護も含みます。私にも存分なご処分を」

「よいと言っている。皆が思うとおり、私はやっかい者の、零落れいらくした貴族だ。この地で静かにひっそりと暮らす。それだけだ」

「ならば、何故私を顧問になどとおっしゃいます?」

「それは……」

 レーニエは振り返って大きな軍人を見上げた。思いもかけず至近距離で目が合う。

 鉄色の髪、聡明そうな額。湖のような色の瞳は、いささかも揺るがぬようにレーニエを見つめていた。

「知りたかったからだ……いろいろなことを」

「知りたい?」

「私は今まで何も知らなさ過ぎた。こんな自分でも、やっと都を離れてここまで来れた。だから……」

「はい」

「ファイザル指揮官。これからも、私にいろいろなことを教えてくれないか。あなたの仕事場も見たい。軍についても知りたい。この村のことも」

「……」

「迷惑ならば引き受けずとも構わぬが」

 ファイザルの沈黙を否定と受け止めたか、レーニエは小さな声で付け加えた。

 不思議な人だ。俺の胸までもないような子供のくせに、わざわざそうしているような、重々しい芝居がかったような振る舞い。

 元老院議長のように勿体ぶった話し方をするかと思うと、自分の事になると、途端に引っ込み思案になる。仮面の下は知らないが、これほど美しい外見を持ちながら、自分を醜いと思い込み、もじもじしている。

 なのに、無礼を働いた村人への処分は無しと即決。いったい、どんな身分でどういう育ち方をしてきたんだか……。ファイザルはすっかり分からなくなった。

「すまない。忘れてくれ」

 領主は弱く呟く。つば広の帽子が可哀そうなほど俯いてしまった。

「ふふ……そうですか。では、まずは馬の乗り方ですね」

 まるで年の離れた弟にするように、片腕で細い体を柔らかく抱いてファイザルは囁いた。

「……え?」

「教えてほしいとおっしゃいましたが、俺は厳しいですよ。それでも構わなければ」

「ファイザル指揮官、本当に?」

 初めて声を上げて領主は尋ねた。

「ヨシュアとお呼びください。俺の名です」

「でも……」

 照れたように領主は口籠っている。仮面に隠されていない部分の頬が少し染まるのが見て取れた。ファイザルの心に暖かいものが込み上げてくる。それはこの領主を見たときから感じ続けていたものだ。

「さぁ、お呼びください」

「ヨ……ヨシュア……?」

「はい結構です。それでは明日早速あなたに合う大きさの馬を持ってこさせましょう。まずは乗り方。そしてギャロップです。大丈夫ですか?」

「ああ……ありがとう! ファ……ヨシュア」

 喜びのためだろうか、声は高く鈴の音のように澄んで冬空に響いた。




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