第6話 5.北方辺境の新領主 5

二騎は比較的民家の多い地域に差しかかっていた。一応領主館のある村ということで、この地方の中では比較的大きな集落らしい。

 たまにではあるが、通りや家々の庭に人々の姿が見えるようになった。しかし、大きな軍馬が見えると、慌ただしく会釈をしてすぐに人々は姿を隠してしまう。

 それはもしかしたら、自分がいるからかもしれないとレーニエは思った。

「あれがこの地区の村長の家です。昨夜、私が少し話をしてあるのですが、やはりすぐにお会いになりますか?」

 似たような家が多い中で比較的大きな一軒の家を指差し、ファイザルは尋ねた。

 その家は村の中心部に近いところにあり、低い石垣で囲まれ、斜面の勾配のきつい大きな屋根には草が生えていた。かなり広い前庭があり、そこにも淡紅の花が咲き乱れている。

「……」

「普通ならば、勿論向こうからお屋敷に挨拶にまかり越すのが筋ですがね。どうされます」

「……会おう。そのつもりで来たのだ」

 新しい領主は小さく、だが、しっかりと頷いた。

僭越せんえつですが、マントと外套だけでなく、帽子も取った方がいいですよ」

 村長むらおさの家の前に馬をとめ、ファイザルはレーニエを助け下した。やはりほとんど重さを感じさせない頼りない軽さを確認する。すぐにフェルディナンドが主に駆け寄った。

「お疲れでは?」

「大丈夫だよ」

 レーニエは初めて馬に乗った主を心配している、少年に笑いかける。その様子を見てファイザルはまた少し微笑んだ。

「昨夜話してあると言っても実際には驚くと思うので、先に私が行って話をしてきます。しばらくこちらでお待ちください」

 そう言って彼は家の中に入っていった。

 ふとレーニエは視線を感じて振り向くと、従卒のジャヌーと目が合った。しかし、彼は急いで明後日の方向に顔を傾げた。

 私がみすぼらしいものだから見ていたのだろう……

 知らない人間と顔を合わせ、目を逸らされる事には慣れている。今更気に病むことでもあるまい、とレーニエは心の中で自嘲する。

 レーニエといくらも年が変わらないように見えるジャヌーは雄渾ゆうこんな体格の青年で、縦はかなわないが、幅はファイザルややをしのいでいる。

 きっちりと襟の詰まった軍服を着こなし、軍用マントの片側を肩にかけた立ち姿は大変立派に見えた。

 まぁ、もともとが違うのだから、仕方がないのかもしれないけれど

 彼もやはり明るい青い目をしていて、正直そうな引きしまった顔つきをしている。

 レーニエはジャヌーが目を逸らしているのを幸い、羨ましい思いで見つめていた。そんな二人の様子を面白くなさそうに見比べているのはフェルディナンドである。そこへファイザルと、彼の後ろから少々取り乱した様子の、村長と思われる六十がらみの男がやって来た。その後ろにはやはり戸惑っているらしい、彼の家族が大勢不安そうにこちらを見つめていた。

「ここここれは、ご領主様! わざわざこんなところにお出ましいただきまして……午後にでも私の方からご挨拶にと……昨日はとんでもないことを村の者が……申し、申し訳……」

「ああ、いいから、まずはご領主に中に入っていただこう。ここは寒い」

 何から言っていいのか分からない村長を促して、ファイザルはレーニエを家の中に入れ、指示された部屋に通した。言われたとおり帽子とマントをファイザルに渡し、黒絹の仮面で顔を隠したレーニエの姿に村長は息をのむ。長い銀の髪、緋色の瞳の若者。

 こんな人物が自分たちの領主になるのだ。

 しかし何も言うこともできず、深礼をしようとしたところをレーニエに手で制された。

「突然まかりこして相すまぬ。また、事情があって、このような無礼な姿のままで痛み入る」

 村長は何を言われたのか理解できないように、人のよさそうな顔を硬直させたまま、口をパクパクさせていたが、見かねたファイザルが助け船を出した。

「キダム殿。少し落ち着かれたらよろしかろう。俺が言うのも僭越ながら、新しいご領主様は慈悲深いお人柄とお見受け致した。皆も腰を下ろして恐れずにお話しするがいい」

「は? ははぁ……」

 ファイザルの言葉に一同は、質素だが堅固に作られた椅子に各々腰を落ち着けた。

「村長殿。私は、この度ソリル二世陛下のお許しを頂き、縁あってこの地にまかり越したレーニエ・アミ・ドゥー・ワルシュタールと申す。都を出たのは初めてなので、私はこの地の事を何も知らぬ。この土地についてはあなたからもいろいろとご教授いただきたい」

 いつもの押さえた声音で、よどみなく紡ぎだされる言葉が古びた客間に流れた。その気になればずいぶん流暢に話ができるのだな、とファイザルが感心する。

「こ、これは、もったいなきお言葉。……申し遅れました。わたくしはノヴァゼムーリャの領主村、村長をあい務めますキダムと申します。領主村と申しましても、この地にご領主さまがいらしたのは、かれこれもう、四十年も前のことになりますが……」

 レーニエは神妙に耳を傾けている。その時、キダムの女房と思われる初老の女性が、湯気の立った茶器と、菓子を入れた籠を手に、おずおずと入ってきた。

 話しているうちに次第に落ち着きを取り戻した村長キダムは、割合と要領よく自分と、この村のことをレーニエに伝え始めた。

「前の領主……確かゴドフリ―殿と申されたか……」

 出された茶をとりあえず受取って、レーニエは興味深げに尋ねる。

「ご存じで在られましたか……左様でございます。この地に起きた最後の大きな戦で戦死なされました。御立派な方で、王家の血をひく方と伺っておりましたが、詳しくは伝わっておりませぬ。以来、この地は天領となり、軍を別にすれば、直接の統治者はおられなかったのです」

「……」

「村長殿、昨日の事をご説明申し上げるように」

 黙り込んでしまったレーニエを見て、ファイザルが促した。

「は……はい。昨日の一件はまことに監督不行き届きで、身内の恥をさらすようなものなのです。村の者たちが私に無断でご領主さまに詰め寄った由、まことに申し訳ありませぬ。私も若い者たちのすることをまったく知らされておらずに、昨夜ファイザル様がご訪問下され、話を伺った時には飛び上りました。若い者のご無礼に驚きたまげ、夜分を憚らず領主館に出向こうとしたところを……」

「私が止めたのです。昨夜のレーニエ様のご様子を拝見して……しばらく成行きにまかせるようにと、出過ぎた事なれど、そう進言いたしました」

 ファイザルがレーニエの様子を伺いながら言った。

「そうか……」

「しかし、まさかご領主さまの方からお越しくださるとは……あの者たち十人にはとりあえず、自宅から出るなと厳しく指示を出しておりますが……処分はどのように? 聞くところによりますと、一番若いナヴァルがあろうことか、短剣を投げたと聞き及んでおりまする。彼は現在、アダンの家で謹慎しているはずです。厳しい沙汰が下りても文句は言えますまいが……」

「……処分はない」

「え?」

「驚いたことは驚いたが、私も連れも無事だった。彼らの言い分も聞いた。皆の禁足を解いてやってほしい」

「……これは……」

「言っただろう、キダム殿。ご領主様には大変に寛大であられる」

「そう言えば、昨日アダンも同じようなことを……」

「そうだ」ファイザルも頷く。

 村長は改めて窓を背に座っている、若い不思議な人物を見つめた。

 仮面の奥の瞳は今は陰っていて、表情を読むのはいつにもまして難しいとファイザルは思う。

「ありがたき幸せに存じます。早速使いをやることにいたしましょう。アダンなどは、私に責が行くよりはと、逸る若者たちを抑えるため、自分が罪を被るために、自ら出向いたのだと思います。彼は農夫たちのまとめ役で、この村にはなくてはならない人物なのです。そして決して皆も、ならず者ではないのでございます。ただただ貧しいだけで……」

「……」

「しかし、けじめと言うものがあります。二両日ほどは、ファイザル様と、私の名の元にて謹慎を申しつけたいと思います」

 村長は、ここはきっぱりと結論付けた。

「……よかろう。あまり厳格にならないようなら」

 レーニエは尋ねるようにファイザルを見たが、彼がただレーニエを見つめているだけなので思い切って自分で判断を下した。村長は深々と頭を下げる。

 この件はこれでけりがついたことになった形だ。皆しばらく黙って茶を飲んだ。

「あの……先ほどご領主様は、この地のことを詳しくお知りになりたいということをおっしゃっていたようでしたが……お話いたしましょうか?」

 しばらくしてキダムが切り出す。

「……」

 前髪が少し下がった。頷いたらしい。話せという事と理解したキダムは、ゆっくりと話し出した。

「お話しすることは構わないのですが、それはややもすると、都から来られた方にとっては、王室や院への不満に当たると思われても仕方のないようなこともございます。いえ、何もこの地の住人が……その……お上に不平不満を募らせているという事ではなく……話の成り行きによってはということで……」

「そうか……構わぬ」

「ありがとうございます」

 村長はほっとしたように肩を落とした。

「何からお話いたしましょうかな……ああ、えーと……昔からこの地は北碧海の島々より、猛々しい海洋民族の侵略を受けました。お話した通り最後の侵攻は四十年前で……ご存じかどうかは存じませんが、冬の間は山脈の向こう、最北端にある湾は凍結いたしますので、春の訪れを待って侵攻は開始されたのです。」

「海洋……海の民だな」

「左様でございます。彼等は険しいセヴェレの山々を抜け、峠を超えて攻めてきました。私はその折には十代の若造でしたが、それはそれは恐ろしい光景で……毒々しい化粧を施した彼らの雄たけびや、角の生えた兜、奇妙に曲がりくねった不思議な槍などは、今でもよく覚えています。」

「彼らが攻め上がってくるまで、誰も気がつかなかったのか?」

「その頃にも、見張りを担う北の砦はあったのです。しかし、船団が上陸する数日前に、兵たちは皆殺しにされていたと記録には」

「北の砦……」

「そのころの国境警備の軍――北軍も、今のように精鋭ではありましたが、いかんせん数が少なかった。この国の人口が少なかったのですから当然ですが。彼らの侵攻を知ったのは、すでに先頭の部隊が峠を越えてからでした。おそらく直ぐに反撃の態勢は取ったのだと思われますが、戦禍は兵士のみならず、住人にも及びました。男という男は武器を取って戦い、数多くの犠牲がでました。

 私の父親も兄も命を失い、三つ上の従兄は今でも足を引きずって歩いています。領主のゴドフリー様は、跳ね橋を上げた館に女子供をかくまい、自らも自分の私兵を率いて最前線で戦い、討ち死にされたと。この先のアルエの町の南に偶然国軍が居合わせなかったら、村と北軍は全滅していたに違いありません。

 彼らが略奪を求めてあちこちの村に分散したのを幸い、国軍は一つ一つの村を取り囲んで攻撃を仕掛けました。侵略者には戦略はありませんでしたが、一人一人はそりゃあ大きく、気性も荒くて苦戦したようです。激戦がノヴァのあちこちで繰り広げられ、侵入者たちの大群はほぼ壊滅状態になり、残った者もほとんど殺されました。そりゃあ恐ろしい光景でした。

 村を流れているリーム川は真っ赤に染まって……。以来、北からの侵略はありません。軍の規模も拡大されました。しかし、村の受けた傷は今でも癒えたとは言えません。この村に初老以上の男が少ないのは戦いで戦死したためです」

 キダムの語る話は初めて聞くもので、レーニエは身動きもせず、かつての戦の生々しい話に聞き入っていた。

「このようなことを申し上げるのも……その……恥の上塗りですが、ご領主様がお聞きになったとおり、昨日無礼を働いた、村人の懸念と恐れも無理からぬことでした。四十年前の戦の前も後も、この地は貧しく、王室に直接収める税……と申しますか、天領故の苦しみがございまして……」

 言いにくそうに口をつぐんだ村長に、レーニエは問うような視線をファイザルに流した。

「年に二度程、森林の伐採に多くの人手が駆り出されるのです」

 即座に明晰な答えが返る。

「森林は軍が管理しているのではなかったか?」

「軍は管理するだけです。我々には国境警備の任があり、実際の重労働は都からくる伐採の専門家の指示を受けた村人が行うのです」

「……」

「その通りでございます。夏は比較的若い木を。そして冬の終わりには、ふた抱え以上の大木を切り倒すのでございます。つらい労働です。この村だけでなく、この地の民は昔からこのようにして、都で使われる材木を供給してきました」

 キダムは淡々と話し続ける。

「ですが、まぁ……軍の指揮官が、こちらのファイザル指揮官様になってからはずいぶんと楽になりました」

「……?」

 再びファイザルに視線が向けられたが、答えたのはキダム村長だった。

「一番危険な伐採の作業に軍隊を貸してくださるからですよ。昔はひと冬に三人も死人が出たこともあります。ありがたいことです」

「訓練の一環で行っているだけです」

「……」

「そう言う訳で我々は貧しく、疲弊しています。しかし、南の地で行われているように、戦に駆り出されるよりかはいいかもしれませんが……それで、改めまして……」

 村長は姿勢を正した。

「昨夜ファイザル様から伺った話では……ご領主さまは……これ以上の租税をなさらないとか。それは……?」

 語尾を曖昧にした村長にレーニエは頷いて見せる。

「そうだ。私のことは領主というより、たまたまこの地に|隠棲(いんせい)することになった貧乏貴族と思ってもらってよい。そなたたちに干渉はせぬ。皆にもそう伝えてほしい」




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