第5話 4.北方辺境の新領主 4

 明くる朝

 外は相変わらずの冷え込みだったが、空気はよく乾燥し、空は高く晴れ渡っていた。荒野は霜で一面キラキラと光っている。この分では初雪が降るのもそう遠くはないだろう。


 ファイザルは軍人らしく、約束の時間きっかりに館を訪問した。

 侍女のサリアに昨日通された部屋に案内される。許しを得ているようで、領主の書斎に通されると、レーニエは既に朝食を食べ終え、お茶を飲んでいる最中だった。仮面は既につけられていたが、銀の髪はさらりと下ろされており、窓から入る朝の陽をやわらかく受ける様は、昨夜のランプの灯の元とはまた別の印象を与え、美しいことこの上ない。

 昨日と同じ少年が給仕をしている。昨夜はあまり注意を払わなかったが、黒髪を後ろで束ねた整った顔立ちの、利発そうな少年だった。

「おはようございます。ご領主様」

「レーニエでよい」

「では失礼してレーニエ様、お迎えにあがりました」

「指揮官殿は朝食は?」

「済ませました」

「では、飲み物を。フェル」

「はい」

 フェルディナンドは無表情で新しいカップに湯を注いで温めてから、新しい葉でファイザルのために茶を淹れてくれた。

「これは……痛み入ります。頂きましょう」

 茶は上質のもので、熱くて香りがいい。軍人の常で朝が早く、砦から馬で飛ばしてきたファイザルの冷えた体にはありがたかった。

「実は昨日、言い忘れたことがあったのだが……」

 大きな喉仏が液体を嚥下するのを珍しそうに眺めながら、領主は言いにくそうに切り出す。

「なんでしょうか?」

「実を言うと……そのぅ私は馬に乗れない。その内、稽古を始められたらとは思っているのだが、今日のところは……すまない」

 いささかバツが悪そうに領主は謝った。顔を隠してはいても、その様子はとても素直であどけない。

 昨夜から思っていたことだったが、この若い貴族は、その近づきがたい雰囲気とは別に、人を惹きつけてやまないところがある。本人の自覚があるとは思えないが。ファイザルは秘かに笑いをかみ殺した。

「ははぁ。では、馬車で参られますか? 昨日のお馬車がまだ残っているでしょう? それとも、私が馬でお連れいたしましょうか。相乗りがおいやでなければですが」

 レーニエはしばらく考え込んでいるようだったが、ほどなく心が決まったようで、顎が上がる。赤い瞳が彼を捉えた。

「馬車は飽きた。できるなら馬に乗ってみたい」

「ではそのように」


 ファイザルが玄関ホールでしばらく待っていると、昨日と同じように、鍔広の帽子とマントに覆われた黒衣の姿が現れた。昨日見たきれいな侍女が主人の服装を念入りにチェックしている。目立つ髪はやはり帽子で隠されていた。

 領主の長いマントの下は、黒い上着にぴったりとした下衣と膝までの長靴ちょうか

で、一応馬に乗ることを意識したらしい。後ろから相変わらず黒髪の少年が付いてくる。あらかじめ言われているのか、他の使用人は送りに来なかった。

「レーニエ様、これを」

 そう言って少年は黒皮の手袋を差し出した。

「ああ……ありがとう。ではサリア、行ってくる」

「いってらっしゃいまし。お気を付けて」

 昨夜見た通りの青白い華奢な手にぴったりとはまるそれを身に着け、レーニエは先に立ってホールを出た。

 表に出るとファイザルの従卒が、大きな軍馬を引いて待っていた。彼は金髪の大柄な青年で、誠実そうな顔に、軍人に似つかわしくない柔和な笑顔を浮かべている。彼の馬も、門の脇の馬止めに繋いであった。

「おはようございます、ご領主さま。私は指揮官閣下の従卒で、ジャヌーと申します」

「レーニエでいい」

 礼儀正しく挨拶するのに、こちらも判で押したように言い返しながら、レーニエは大きな黒い軍馬を見上げた。

「……ずいぶん大きいな」

「軍馬ですから。怖いですか? やっぱり馬車で……」

「名は?」

 ファイザルが言いかけるのを遮ぎってレーニエは馬の名を尋ねた。

「こいつですか? ハーレイ号と呼んでいますが」

「ハーレイか……」

「ジャヌー、俺はレーニエ様と同乗する。お前はこの少年を乗せるように」

「は」

「……先にお乗りになりますか?」

 ファイザルが微妙な距離をとりつつ、珍しそうに馬を見上げる領主に声をかけると、つば広の帽子の下で表情の|窺(うかが)い知れない黒衣が振り返り、もじもじと|俯(うつむ)いた。怖いのだろう。それを大変心配そうに小姓が見上げている。その様子が微笑ましく。ファイザルは笑いをかみ殺してわざと陽気に声をかけた。

「かしこまりました。……ではここに左足を掛けて……右足で地面を蹴って、そうれ!」

 ファイザルは、馬が大きすぎ、あぶみが高すぎて、やや無理な体勢になったレーニエの腰を支えて馬にまたがらせ、すぐに自分も馬上の人となった。

「気をつけて……馬の腹を蹴らないようにしてください。足に力を入れないように」

 荷物を外した鞍はどうにか二人で跨れるが、鐙は勿論一つしかない。どのみちレーニエの身長では鐙に足はとどかないから、姿勢としてはかなり不安定になる。

「……む」

 かなり緊張しているのか、体が硬くなっていて支えがないと転げ落ちてしまいそうだった。

「大丈夫ですか? 慣れないと居心地が悪いでしょう。私に背中をあずけていらっしゃい」

「……ずいぶん高いものだな」

 息を弾ませ、レーニエが小さく感想を漏らしたが、体はファイザルにあずけようとはぜず、まだしゃちこばっている。そして、その後ろでファイザルもかなり驚いていた。

 持ち上げた時に触れた腰があまりに細く、又、拍子抜けするほど軽かったからだ。

「レーニエ様にはお幾つになられました?」

「十八」

「左様でございますか」

 十八の少年にしてはあまりに貧弱な体格だ。彼の部隊の中にもそれくらいの年の兵士はいるが、いくら小柄なものでも、この領主よりはるかに存在感のある体つきをしている。

 都の大貴族の子弟などは皆こんなものなのだろうか?

「……私は事情があって、あまり発育が良くないのだ」

 ファイザルの心中を見透かしたように、レーニエは小さく呟いた。己の小ささを恥じているようだった。その弱々しげな様子を彼はじっと観察する。

 昨夜のアダンの話では十人の武装した男たちに囲まれても、たいしておびえる風もなく、召使い達を庇ったという。その同じ少年が、自分の外見をこれだけ気にしているのが少しおかしかった。帽子と、マントと仮面で身をよろって。

「確かに少し細くはありますが、お若いのですからまだまだ成長されますよ」

 見てくれを気にする年齢なのかもしれないが、この隠しようは少しやりすぎのような気がする。しかし、ファイザルはそのことについては何も言わなかった。

「そうかな?」

「ええ、たくさん食べて、屋外で運動をすれば。背はすらりとしておられますし」

 と言っても、彼の知る十八歳の少年の中では小さい方だったが。頭が小さいので実際より余ほど背が高く見えるのだ。

「さぁ参りましょうか。ジャヌー、先導を」

「はっ!」

「レーニエ様、本当に……」

「大丈夫だよ」

 ジャヌーの鞍の前に納まっているフェルディナンド振り返り、レーニエは頷いた。   

 二騎はよく晴れた冬の荒野へと進んでいった。

「あの少年はずいぶんあなたに忠実なようですね」

「フェルのことか?」

「フェルというのですか」

「フェルディナンド」

「成程。どこの馬の骨とも知れない私が、あなたを連れ出すのが気に食わなかったのでしょう。馬上から怖い顔で睨まれましたよ」

「あの子はサリアの弟で、小さい頃から私に仕えてくれている。それにあなたは馬の骨ではあるまい。北方国境警備隊の立派な指揮官殿だ」

「もとは平民ですが」

「……」

 レーニエはずっと前を見ている。

「お寒くはありませんか?」

「大丈夫だ」

 そうはいってもレーニエは背を強張らせている。しかし、それは寒いからというよりも緊張のせいであるようだった。

 高い石塀を抜けると、目の前には耕地が広がる。麦畑だが、無論今は枯れた雑草が風に吹かれているだけで、村の外に広がる荒野とそう大差ない。

 背後には黒く見える針葉樹の大森林、そして更に険しく続くセヴェレ山脈。殆ど色みのない世界は、いっそ清々しくさえ見えた。

 色があるとすれば、そこここに茂っている灌木の淡い紅色をした花だけ。この木だけは冬の空気の中で、誇らしげに沢山の花をつけている。

 時折風に混じってほのかな香りが漂ってきていた。昨夜は気がつかなかったから、朝にしか開かない花なのかもしれない。

「ほら……村が見えてまいりました」

 ファイザルの言うとおり、昨日宵闇の中で通った村を、今度は朝日の射す中を通り抜ける。家々は静かに佇み、平和で美しく、そしてやはり白っぽく寂しい風景だった。もう日も高いのに人影は見えない。

「皆は何処で何をしている?」

「はい、冬の仕事と言えば、麦わらで縄や帽子を作ったり、獣脂でロウソクを作ったりですね。あとは農機具の手入れや家畜の世話。冬の終わりに仔を産むことが多いので……男の多い家では町に出稼ぎに出る者もいます。」

「やはり、豊かではないのか……」

「豊かではありません。収穫のほとんどは、やせた土地に適したゴート麦。高級品種ではなく高くは売れません。後は豆、芋類」

「林業は?」

 ノヴァゼムーリャは荒地とやせた耕地、そして国境地帯の広大な森でできている。その森を抜けると山地。この山と森が自然の要塞となって国の北方を守っているのだった。

「土地の者は勝手に木を切ってはいけないことになってます。林業は国の事業で、軍隊、つまり私たちが管理をしています。」

「管理を」

「はい。むやみに伐採してしまっては森はいたみ、国境の意味をなしませんので慎重に」

「国境はあなた方が守っているのではないのか?」

「高々千人の警備隊だけで、広大なノヴァゼムーリャの北の国境すべてを?」

 別に馬鹿にした様子もなく、淡々とファイザルは応じた。

「それは無理です。我々はせいぜい、セヴェレ峠周辺を守っているのに過ぎません」

「……」

 レーニエは黙りこんだ。後ろのジャヌーは、フェルディナンドを乗せて付き従っている。

 二騎は風と共に黙々と荒野を進んだ。





 

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