第2話

◆ ◆ ◆


「せっかくだから、に入ろうか」


 と言い出したのは俺の方だ。


 俺はいま、梯子はしごの君と共に、本の中にいる。


 そして、焦がしキャラメルのような甘い香りの中を歩いているところだ。

 梯子の君は、何かの模様になっているらしい色とりどりの石畳の上を、その模様をなぞるように歩いている。恐らく、赤茶色のみを選んでいるのだろう。図書館ウチの梯子と同じ色だから。


 やって来たのは【オリヴィエ旅行記】第3章に載っている『タラージウニ・マルシェ』である。どのページに行こうかとぱらぱらめくっていたところ、俺と梯子の君がほぼ同時に「ここ!」と指を差したのが、この『タラージウニ・マルシェ』だったのだ。


「梯子の君は何が食べたい?」


 そう急に尋ねたのがまずかったのか、梯子の君は「ふぁあ」などと奇妙な声を上げてバランスを崩し、くすんだ緑色の部分を踏んだ。それを見て、ちょっと残念そうにすると共に、何かに気付いて「あぁ」と頬を赤らめた。たぶん、普通に歩いても良いのだということにいま気付いたのだ。


「私は……そうですねぇ。『ハナペチョ焼き』が大いに気になるところです」

「ふむ。成る程。当てて見せようか」

「え?」

「梯子の君が気になっているハナペチョ焼きさ。『ギラキンマダイのハナペチョ焼き』、だろう?」

「……うっ。そうです」


 たぶん、ムルニエバターとソイソイソースという部分に背中を押されたのだろう。だって梯子の君はバターの香りが大好きだから。


「じゃ、じゃあ、夜を焦がれる人は、何にします?」

「そうだなぁ」

「待ってください。私も当てます」

「当たるかなぁ」

「任せてください」


 

 ◇ ◇ ◇


 夜ご飯を食べに私達がやって来たのは、今朝見つけたばかりの新刊【オリヴィエ旅行記】の第3章である。


 夜を焦がれる人は、その名の通り、夜が大好きだから、夕食、もしくは夜食の中から探そう、と私は密かに思っていた。口に出せばきっと彼は気を遣ってしまうから。


 けれど、そんな密かな決意なんてあっという間に忘れてしまうのは、この物語の主人公である魔女のオリヴィエが訪れるところの料理がどれもこれも美味しそうだったからである。これはぜひとも全ページ読破したいところ。


 ぱらぱらとめくりながら、ああでもないこうでもないと話していた時、ほぼ同じタイミングで私達はそのおしゃべりをぴたりと止めた。そしてそのページを指差し、ほぼ同じタイミングで言ったのだ。「ここ!」と。


 そうしてやって来たのは、第3章。南の大国ドドコンガトンガのどこかにあるらしい『タラージウニ・マルシェ』なる市場である。


 焦がしたキャラメルのような香りに誘惑されながら石畳の上を歩いていると、夜を焦がれる人に話しかけられた。「梯子の君は何が食べたい?」と。

 それがあまりに突然で――彼の方ではそうでもなかったかもしれないけど――

私はバランスを崩してよろけた。そして、足元を見て気が付いたのだ。どうやらついつい図書館ウチの梯子と同じ色の石畳だけを選んで歩いていたらしい、ということに。癖とは恐ろしい。あーもー恥ずかしいったら。


 照れ隠しに『ハナペチョ焼き』が気になると答えると、彼は笑って、私が気になっていたハナペチョ焼きを見事当ててみせた。顔に出ていたかしら。ううう、ちょっと悔しい。

 

 でも、私だって、彼が食べたいもの、わかりますから。当てられますから。

 

「……『ゴランゴランウータンの肩肉ミンチ入りハナペチョ焼き』。いかがですか?」


 すると、やはり彼は金縁眼鏡の奥の瞳を真ん丸に見開いて言うのだ。


「驚いた……。よくわかったね」と。


 わかりますとも。

 だってあなたはリンゴが大好きだから。『すりおろしカラッポリンゴソース』、これにやられたはずです。そうでしょう?


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