第42話 プラシーボ効果
「お前、変な商品をママンたちに売りつけたな」
俺は眉をひそめながら、現れたそいつ、ルーサーを睨んだ。
奴は前髪をいじりながら、フフーンって感じで笑う。
「売りつけたとはご挨拶だね。私は彼らが望んでいる商品を提供し、その素晴らしさを伝えてあげただけなんだ。アビスの人々は素朴でいいね。私の言葉に耳を傾けてくれる。新大陸の腐った連中とは大違いさ」
つまり、洗脳しやすいということだろうか?
「まあ、どうしたのオドマ。ルーサーさんは素晴らしい品物をくださったのよ。私たちの食料と引き換えでこんなに素敵な品物をくださるなんて。さあオドマ、このお水を飲むといいわ」
ママン、目つきが怪しいぞ!?
明らかに正気ではない。
見回すと、集落の連中もまともな目をしていない。
というのは、アビス人はよそ者に対して敏感なのだ。例え数日間滞在していたからと言って、肌の色が違うルーサーが、ここまで早く人々に受け入れられるはずがない。
なのに、メクと集落の連中は、ルーサーをまるで信頼すべき唯一の友、とでも言うような目で捉えているのだ。
ジブリールにこいつの能力を聞かなかったら、やばいところだった。
俺も基本的には、お人好しでお花畑の日本人なところが残っているのだ。
「ママン、それは後でね。僕はルーサーさんと話があるから」
「残念だが、私の方はまだ仕事があってね。無論、最終的な目的は君だよオドマくん。だが、今はまだその時ではない」
「あ、こら待て!」
ルーサーの野郎、俺に背を向けると、脱兎のごとく走りだした。
野郎、逃げるつもりか!?
本気で逃げ出す相手なんて初めてだ。潔すぎて、一瞬反応が遅れたぞ!
「イェグディエルは石橋を叩いて渡るタイプだって聞いてるわ。きっとオドマの周りにたくさん罠を張り巡らして、キミを倒すつもりよ」
「とんでもないなあいつ!」
「ねえオドマー」
「うわー、ママン離してー!?」
ママンに捕まってしまった!
ぐずぐずしすぎていたらしい。
そうしたら、ジブリールがちょっと考えこんで、首を傾げて、腕組みをしてさらに首をぐりぐり曲げて考えて、ハッとした。
「えっ、嘘でしょ!? その人キミのママなの!? 若すぎるでしょ!? 何、天使なの!? 上位天使だから老化停止してるの!?」
「んー!? 今何か重要な事を言った気がするけど……確かに僕のママンだよ」
……ということで。
すっかりルーサーを見失ってしまった俺は、ひとまず状況を聞くべく懐かしき我が家へやってきた。
「うへえ、ルーサー・ベインと言えば新大陸から来たベイングループの御曹司だろ? 何でそんな奴がここにいるんだよ。というか一人で来たのかよ?」
知っておるのかボブ。
「うむ。新大陸ってのが、天使どもがメインで住んでる世界だそうでな。そこで生産したものを南アビスに運んでくるんだよ。で、そいつを輸送する船を持っているのがベイングループだ。だからでかい権力を持っているんだよな」
「へえー、オカネモチというやつなの?」
「そうそう。マンサちゃんはまだその辺ピンと来ない?」
お、ボブがでれっとした。
こいつはジブリールよりもマンサが好きなんだろうな。まあジブリールとか見た目お子様だしな。
「んっ、なんだかキミ、心のなかで私をディスった?」
「心が読めるの!?」
素直な反応を返してしまった俺に、家の外に駆け出したジブリールが助走をつけてのビッグブーツ。
俺は彼女のフロントハイキックを食らってゴロゴロ転がって壁に激突した。
「まあ、オドマったらマンサちゃん以外に仲の良い女の子ができたのね……。どうしましょう」
ママンはおっとりとした雰囲気のまま。
恐らく、洗脳のようなものはかかっているのだろうが、どちらかというとルーサーの商品を良いものだと思い込み、買ってしまう方向に洗脳がかかっている気がする。
どうなんだ、これは。
「ルーサーさんが来たのは、オドマたちが帰ってくるよりも七日くらい前でね」
正確には、ママンは昼と夜を片手の指の数よりも多いだけ繰り返す……的な表現をしたんだが、ここはわかりやすく翻訳させてもらおう。集落には一週間、一ヶ月なんていう単位はないからな。
「はじめは私たちも疑っていたんだけど、ルーサーさんがしてくれる力強い品物の説明を聞くうちに、コレは本当にいいものなのね、と思い始めてきて……。ルーサーさんは素敵な方よ。集落に必要ね」
「あれ、アジョアさん、その指にはめてるのは?」
マンサが気づいたようで、俺も目を丸くする。
小指に指輪がはまっているのだ。指輪を飾る石が少々ちゃちい。
「これ? これはルーサーさんがくれたのよ。私のことを美しい、だなんて言って、私を娶りたがっているみたい。もう、こんな大きな子供がいるおばさんなのにね」
うふふ、と笑う。
ふむ。
ルーサーか。
ころそう。
「あれっ、オドマ、なんか目が据わってるよ!?」
「うわっ、オドマ属性漏れてる!」
「お、落ち着けオドマ!」
三方からなだめられた。
うむ……うむ。俺も一瞬正気を失っていたよ。なんだろう、この全身に漲った怒気は。俺の中にこれほど激しい感情があったのか……。
さては、俺はマザコンではあるまいか。
「でもね、結局私は女である前にオドマの母親だから、だめですって断ったのよ。だけど気持ちだけ受け取って欲しいっていうから、こうして小指にね」
まあ、もらったものを拒む習慣は集落にはないからな。
だが、ルーサーの能力が洗脳なら、いつかママンも落とされてしまうかもしれない。
それだけは避けたいところではあるが。
家の中を見回す。
とりあえず、あのいかがわしいペットボトルばかりが何本か並んでいる。
それ以外の不思議なグッズは無いらしい。
ママンにかけられた洗脳は薄かったのか? ルーサーは、ママン自体が目的で、彼女に何かを買わせる気持ちは薄かったのかもしれないな。
「よし、集落をパトロールしよう!」
俺は決断し、立ち上がった。
「あら、ゆっくりしていけばいいのに。でも夕食には帰ってらっしゃいね」
「いや、今回はママンも行くんだよ」
俺はママンの手を取った。
家に放っておいてルーサーに洗脳でもされたら目も当てられないではないか!
「やーねー。オドマってマザコン?」
ジブリール、うるさいぞ。
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