二幕一章 洗脳天使とか物理天使とか

第41話 奴の名はイェグディエル(呼びづらい)

 南アビスは、俺が住んでいた地域に比べると温帯気候に近い。

 まあ乾燥帯なんだが、それでも乾季と雨季の二つだけということはなく、四季に近い緩やかな環境変化があるような気がする。

 地元で言えば乾季真っ只中の暑い盛り、学院では生徒たちに夏休みを出す。

 俺たちバスタードクラスもまた、夏休みであった。

 ふと思い至り、実家に顔を店に行く事にした。

 クロノスが掴まらないので、自前のファミリオンで帰郷することにする。

 マンサを助手席に乗せ、どういうわけだかボブとジブリールがついてきた。


「なんでジブリールがいるのよう」


 マンサが頬を膨らませる。

 最近徐々に女性らしい外見になってきて、お子ちゃまを脱しつつある幼馴染だ。

 それがこういう昔ながらの幼い仕草をすると、ギャップ萌えするな。


「いいじゃない? 私だってオドマの故郷を見てみたいわ。それに言ったでしょ? 七大天使の座を争奪するイベントが始まったの。いついかなる時に、候補者が襲ってくるか分からないじゃない。ちなみにこれは、規定の勝利回数に達すると決勝リーグに進めるのよ」


「なんともスポーツのような」


 俺は呆れた。

 で、そんな俺たちをよそにはしゃいでいるのが、一番図体がでかいボブである。


「うおぉー!! オドマの分体かよ! やべー! 俺車ってほとんど乗ったことないんだよな! うわすげえ、揺れねえ!! 速い!! 景色が流れていく!!」


 窓にへばりついて、もう大人と大差ないくらいのこいつがキャッキャはしゃいでいるのは……うむ、まあ可愛いもんだな。

 そんな事を考える俺もまた、テンションが上がっている。

 なぜなら、こうして本格的にファミリオンを運転するのが実に十三年ぶりくらいだからだ。

 俺は常に安全運転を心がけて来ていた。

 というのも、日々日付が変わるまで働き続ける生活の中、下手に速度を出して事故でも起こしては、仕事に関わるからだ。俺一人が抜けただけでも、同僚たちの負担は大きく増す事だろう。

 戦友である彼らが家に帰れなくなってしまう。

 今考えればオーバーワークだし、それが当然と思っていた俺は社畜だったのだなあ、としみじみ思える。

 まあ、あれは一種の会社による洗脳だった。

 洗脳はよろしくない。


 ファミリオンはもりもりと未舗装のサバンナチックな大地を疾走する。

 乾いた土煙を巻き上げ、陽光にギラギラ照らされながらも、元気に大地を駆け抜けていく。

 南アビスと、メクト集落の距離はおおよそ歩きで一ヶ月ほどかかる距離らしい。

 というのも、日差しが強くて昼間歩く事がきついので、朝や夕方、水のある場所を渡りながら歩いていく形になり、遠回りになるルートしか開発されていないのだ。

 故に、南アビスを走る自動車の存在は画期的だった。

 あれのお陰で、本来であれば人間が踏破出来ない土地を進む事ができるようになった。

 無論、道なんかガッタガタなので一往復もするとオーバーホールが必要になるくらい、車もボロボロになる。ならないのはアバターの自動車くらいだ。

 ……ありゃ? するとクロノスのタイタン号はアバターだったのか?

 あいつ、俺と同じにおいがするな。

 とまあ、そういうことで、ファミリオンはこの距離を一日で駆け抜けた。

 思わず飛ばしてしまった。

 やはり若いと無茶をしてしまうな。

 俺の安全運転の精神も、若さと勢いには勝てないということか。

 フッ、認めたくないものだな、若さゆえの


「ねえねえオドマ! 見えてきたよ!」


「うわーっ! マンサ、運転中に揺さぶるのはやめなさい!」


 ゆっさゆっさ揺さぶられて、俺の思考が途切れた。

 なるほど、確かに遠く、地平線の彼方にぼんやりと、うちの集落っぽいものが見えている。


「え、ほんとか? 全然見えねえ」


「そうよね、見えないわ……」


 ボブとジブリール、目を細めているが見えないようだ。

 うむ。常に地平線が見渡せるような世界で育った、我々野生児を舐めてはいけないぞ。

 おそらく俺たちの視力はデフォルトで6.0とか8.0とかある。

 それゆえに、遠く離れた狩りの獲物なんかを探し出す能力が高いのだ。


 十五分ばかり走ると、ようやくジブリールたちにも見えるようになったようだ。

 ファミリオンには当然ながら時計が搭載されているので、だいたい何時間走ったかが分かる。

 これはこの世界では結構画期的なことなのだ。

 なにせ時計と言えば、手巻き式か魔術で起動するものしかない。

 時間合わせは他人の時計を見て合わせるのだ。

 昔は標準時間を指し示す魔術が存在したらしいが、今では失われてしまっているとか。


「見えてきたわ! へえ、これがアビス人の集落なのね! 空の上から見下ろしたことしかないから、同じ目線で見ると新鮮だわ」


「俺は初めてだなー! おー! なんつうかすげえな! キャンプで使うテントを粗末にしたみたいな! ワイルドだなあ」


「ボブは失敬ね!」


 マンサがぷんすか怒っている。

 うむ、実に遠慮の無い正直な意見である。

 かくして、俺たちはメクト集落へと帰還!

 見張りのおじさんは目を丸くしていたが、すぐに俺だと分かったらしい。

 満面の笑顔になった。


「おおーい! 英雄のお帰りだぞー!!」


 集落に向かって大声でメガホンを使って叫んだ。


 ……ん?

 メガホン?

 確かにそれは、メガホンだった。筒状になっていて、声を遠くまで届ける効果があるものだ。

 だが、それを紐で通して首から提げ、何よりもそのメガホン、プラスチックみたいな質感じゃないか?


「あの、おじさん、それ……」


「おお、これか! これはな、最近やって来た羽ありの奴が俺たちに売ってくれたんだ。一日分の肉と同じ価値があるそうだぞ。えーてるとか言う奴で、体に力を漲らせてくれるそうだ! 確かにいつもより声が響く感じがするよな」


 ほ……ほうほう。


 腑に落ちないものを感じつつ、ファミリオンを集落の中へと乗り入れさせる。

 車から降りた俺たちを、集落のみんなが囲んで大歓迎である。


「白くて小さい羽ありだ!」


「子どもだ!!」


「失敬ね!? 私これでももう十四歳になったのよ!?」


 あっ、ジブリールが切れた。

 ボブはと言うと、服装こそ南アビスの進歩的な現代服だが、中身はまあアビス人とそう変わらない。


「ん? お前どこの集落の奴だ?」


 とか言われて、


「いや、俺は南アビスから来たんだけど」


「何! 南アビスにもアビス人がいるのか!!」


 なんて驚かれていた。

 まあ、人種もほとんど一緒だし、親しみ易かろう。

 垢抜けた雰囲気の彼は、集落の娘たちから熱視線を投げかけられて、悪い気はしなさそうである。

 ……で、気になるのは。


「まあまあ、オドマ! しばらく見ない間に、随分立派になって……! 長旅で疲れたでしょう? ほら、このお水を飲んで。えーてるっていうものが注入されてて、体にいいんですって」


「ママン、そ、そのペットボトルに入った水は……!?」


「最近集落にやって来た、ルーサーさんからもらったのよ。特別なお水なんですって」


 相変わらずママンは若くてきれいだったが、今はとにかく、この世界に不釣合いなミネラルウォーター的ペットボトルに目が行く。

 怪しい。明らかに怪しいぞこれは。

 まるで、効果の怪しい健康食品やらインチキ商品のような……。


「オドマ、あなたのお姉さん? 彼女が持ってる商品、なんだか私は見覚えがあるんだけど……」


 ジブリールが見覚えがあるということは大変悪い予感がする。

 俺の予感を裏付けるように、そいつはやってきた。

 フワサァッと髪を掻き上げつつ、黒髪のそいつは姿を現す。

 なんというか、前髪を伸ばしたビジュアル形っぽい男だ。


「やあ、待っていたよオドマくん。私の名はルーサー。君に用があり、先にこの集落に入らせてもらっていたところだ」


「うわあ」


 ジブリールの頬がひきつった。


「おや、ジブリールくんも一緒か。これは好都合だ。私の有能さを示す機会が、一度に二回も与えられたのだからね」


「そ、それはどーも」


 俺は返す言葉も見つからない。

 で、俺の袖をジブリールがクイクイと引く。


「ねえ、オドマ。あいつ、あいつよ。候補者の一人。概念を武器とする天使で、分体の名前は……イェグディエル。武器は、洗脳よ」


 洗脳だって!?

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