第一幕三章 少年から留学へ

第15話 少年期の始まり

 多分、俺は十歳くらいになった。

 多分と言うのは、この世界には暦の概念が薄いからだ。

 全く無いというわけではない。

 西暦何年……などという数え方をしないだけだ。

 いついつの印象的な時から、乾季と雨季が何回巡った……なんて数え方をするのだ。

 つまり、時間の経過はかなり主観的であり、客観的に今が何年である、なんて数え方はしない。


 ところで、人間、時間経過というのは自分がすごしてきた人生の長さと対比して感じるものらしい。

 つまり、十年生きた人間の一年よりも、四十年生きた人間の一年の方が体感としては短く感じるのだとか。

 俺にとって、この五年くらいは割りとあっという間だった。

 現実なら、俺はもう四十過ぎになっている頃と思う。

 だが、この世界での肉体年齢はまだ十歳くらいだ。

 ただまあ、どうも元の世界にいた頃の記憶が、徐々に薄れてきているような気がする。

 こっちで生まれてからの記憶が、前世の記憶的なものを侵食しているような。

 そんな訳で、俺の精神年齢は五歳の頃とあまり変わっていなかった。

 老成するわけでもなく、青臭いところを残したままで俺の肉体だけが成長する。


「お帰り! 今回の狩りはどうだったの?」


 すらりと背が伸びて、大人びてきたマンサが駆け寄ってくる。

 首飾りの下の胸はまだ小さいままだが、あの、ファミリオンに驚いてちびっていた頃の幼女がすっかり少女になっている。

 手足が長くて顔が小さいのは、メクト部族の特徴かもしれない。

 年頃になった女性は、パイナップルヘアから細かく編みこんだ髪型に変わる。

 細いたくさんの三つ編みがあるような感じで、そこにめいめい飾り付けをしてお洒落を楽しむ。

 雨季が明けた季節には、女たちは髪にそれぞれ花を飾り、集落も甘い香りに包まれるようになるのだ。


「うーん、それなりかな。やっぱり狩場が遠いから、持って帰れるくらいしか獲れないしさ」


「俺、俺! 俺は大活躍したんだぜ!」


 マンサにアピールするのは、体が随分でかくなったバーコだ。

 多分十一歳くらいだが、小柄な大人ほどの体格がある。俺もそれなりに背丈は伸びたのだが、こいつにはかなわんなあ。

 ちなみにバーコの言葉に嘘偽りはなく、こいつはヌーを狩る時になかなか活躍した。

 弓がへたくそなので、投げ槍を次々ヌーに放って転ばせたのだ。

 そこにみんなで駆け寄って止めを刺す。


「うん、そうだなー。バーコは槍が上手くなった」


「オドマは弓だもんな。あんなめんどくせえ道具、よく使えるぜ」


「へえ、二人とも頑張ったんだね? でも、何よりも無事で帰ってきてくれて嬉しいな」


 マンサの微笑みに、バーコが顔を赤くする。

 おっ、少年、この子に惚れとるな?

 青春だなあ。


 メクトの狩猟は集落から遠く離れた狩場まで向かうことになる。

 そのため、一週間がかりで狩りを行うなんてのはざらだ。

 俺たちくらいの年齢になると、大体一人前とみなされて狩りに行く事が可能になる。

 それでも、獲物に近づいて槍を振るう事は許されない。

 あと二、三年くらいしたら良くなるかね。

 娘たちも、もう少ししたら結婚するような年齢になる。

 マンサなんかはかなり綺麗になっていて、集落の独身男性や少年たちが、彼女を虎視眈々と狙っている。

 二、三年後は血を見るようなマンサ争奪戦が行われるかもしれんな。


「ね、オドマ?」


「あ、ん、うん?」


「んもう……なんで聞いてないの!」


 おっ、なんかマンサがむくれた。


「しょうがねえって。オドマはいつも難しい事を考えてるからな。でもよ、なんで狩りの時はあの巨人を呼び出さないんだ? あれがあったらすぐに獲物なんてたくさん取れるのに」


「あー、それはね。たくさん獲物を取ったら、未来にそいつらが産むかも知れない子供ができないじゃん? 取り尽せば一時的に集落は豊かになるけど、将来その獲物が取れなくなったら、困った事になるだろ。俺たちの生身で取れるくらいがちょうどいいんだよ」


「はえー、そんなこと考えてたのか。俺はもう、取れるだけ取ればいいやなんて考えてたわ」


 女たちが待ち受ける広場に、狩りから帰った一行が到着する。

 獲物を地面に下ろすと、彼女たちがわっと群がった。

 これから、集落総出で獲物を解体したり、加工したりするのだ。

 大部分の肉は干したりして日持ちがするようにする。

 一部は、今夜の部族あげてのお祭りのメインディッシュとなる。


 さて、ここで登場する肉焼き器。

 石造りの窯の内側に、鏡のように磨かれた石をはめ込んだものだ。

 この石が熱を反射するので、普通に焼くよりも短い時間で肉が焼きあがる。

 ファミリオンのヘッドライトから考案した、俺の発明である。

 恥ずかしくもオドマの窯なんて名前がつけられている。

 原理は簡単だし、再現だって難しくない。

 なので、これに関しては周囲の部族に技術移転を行ってある。

 この辺りの部族は、みんなこの肉焼き器を使っていることだろう。


「無事で帰ってこれたのね。私、いつもオドマが出かけていくたびに心配よ。本当に無事でよかった」


 おっ、自分のところの肉を確保したママンである。

 ママンは俺以外に子供もいないし、今は二人きりで住んでいる。

 そんなわけで確保する食料は少しでいい。

 基本、集落で加工した食料は管理するが、それぞれ家族の数に合わせて、個人用に持ち帰ってもいいことになっている。

 俺たちに許される量は両手のひらに収まるくらい。

 本来なら、神の子と呼ばれる俺はもっとたくさん持っていけるのだが、ここは謙虚さを見せておくものだ。俺は大人だからな。

 ところでうちのママン。

 なんか……俺がオギャアだったころから外見があまり変わってない気がするんだ。

 もう、年齢的にはアラサーといわれる年齢に近づいているはずだ。

 だが、年を取った気配がないし、ほうれい線なんか全く無くて、肌は張りが合ってつやつや。

 俺と並ぶと、姉弟みたいに見える。

 族長もその辺りは気にしているようで、俺との共通見解は、俺と言う特殊な子供を産んだせいで、老化速度なんかが人と変わってきているのではないかという事でまとまっている。

 大変若くて美人なので、嫁に欲しいと言う男性はそれこそあまたいるのだが、この俺の母親なのでおいそれと手出しできないでいる。

 ママンとしても、もしかして俺の父親たる羽のある人に操を立ててるのかもしれないな。

 そういう価値観って、アビスではあまり一般的ではないみたいなのだが。


 さて、そんな訳で五年ほどを平穏に過ごしていた俺。

 あと二年くらいもすれば、俺は南アビスの町に留学することになる。

 この集落ともしばらくはお別れだろう。

 それまではのんびり暮らすか……なんて思っていたらだ。


「た、大変だーっ!!」


 集落に駆け込んでくる奴がいた。

 入り口で見張りをやってるおっさんは、彼を通したらしい。

 ということは、よほどのことだ。

 そいつは別の部族の人間だ。

 泥だらけで疲労困憊ひろうこんぱい。だが、何かを伝えなければという気持ちは強く、目をギラギラと輝かせている。

 ちょうど近くにいたのが、俺とママンである。


「まあ、どうしたの?」


「どうしたどうした」


 ママンが持っていた果実を男に手渡すと、彼は猛烈な勢いで果実に齧り付いた。

 やや硬い果皮を食い破り、あふれ出てくる酸っぱい果汁をごくごくと飲み干す。

 そして一息ついたのか、さっきよりは落ち着いた口調で言った。


「大変だ。北の狩り場に、ゴモラーがやって来たんだ……!」


 それが、俺の平穏が終わりを告げた瞬間だった。

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