第9話 アビスよ、これが滑車だ1

 俺は何かしら閃いたのだが、この場にいるみんな、大変反応が鈍い。

 マンサやバーコはお子様だからいいとして、バニおじさんまで俺の閃きへのリアクションが薄いのだ。

 これには理由がある。

 俺がいた日本で言う、スローライフの世界。

 それがこのアビスなのだ。

 食物や衣類、住まいも燃料も身の安全も自給自足という世界。

 こうして集団で暮らすことで安全を確保し、役割分担して狩猟と採集を行う事で食物を確保。草木から取れる繊維で服のようなものを作ってもいる。

 まあ、服なんて言ってもこれはあれだ。

 腰みのだ。

 腰みのと木製の飾り。強い日差しを避けるために、服っぽい葉っぱを繊維で繋ぎとめたようなものを羽織る。

 文明圏から来た俺が思っているよりずっと、この世界は未開である。


 正直、そんな俺からすると、井戸がこの世界にある事自体が驚きだ。

 聞いてみると、最初は湧き水が噴き出す穴だったらしい。

 そこを掘って広げたら井戸になったとか。

 周りから土砂が落ちないように、石と煉瓦を積んで守り、上に丸太でつっかえ棒を作っている。そこに蔓草を寄り合わせて太くしたロープを結び付けて、その先に粗末な桶を繋いでいる。

 桶は木の切り株を、容器になるようくり抜いたものだ。

 何から何まで粗末なお手製なのだが、この世界に住む人々はこれで不便を感じていない。

 というか、これ以上の生活を知らないので、先祖代々受け継いだこのやり方でずっと暮らしているそうなのだ。


「とりあえずさ、もっと楽に桶を汲み上げられればいいんだよ」


 俺が言うと、おじさんは難しい顔をした。


「そりゃあそうだ。でもそのためには、力持ちの男をここにいさせないといけないだろう? だけどそんな力持ちは、狩りに行ってもらったほうがメクトのためになる」


「違う違う。あのさ、女の人とか、僕みたいな子供でも簡単に桶を汲み上げられるようにすればいいんだよ」


「なんだって」


「私が水くみできるようになるの!」


 おじさんは驚き、マンサは目を丸くする。

 幼女は俺の横までてててっと駆けて来て、俺のまだぷにぷにした二の腕を掴んで飛び跳ねる。


「すごいすごい! そんなことできるの!? やってやって! オドマやってー!」


「いや、でもそんなこと……ああ、だがそういや、お前は神の子オドマだったな」


 ちょっといぶかしそうにしていたおじさん、俺が名づけの時にやらかした騒動を思い出したらしい。あの後、大人たちの一部は俺を「神の子オドマ」なんて呼んでるらしい。なんて恥ずかしい呼び名だ。


「かみのこ?」


「かみってあれか! オニャンコポン様か!!」


 バーコはその年でオニャンコポンの伝説をちゃんと知っているらしい。

 だがその名を口にするな。俺の心がざわざわする。


「ま、まあ僕はオニャンコポンじゃなくて、調和の神オドマンコマの名前をもらってるからさ」


 そんな事を言いって平静を装いつつ、俺は空に向かって手を掲げた。

 さて、五年ぶりにファミリオンを呼び出すとしよう。

 正直、この五年間色々幼児ライフが刺激的過ぎて、ファミリオンを呼び出すところまで余裕が無かったのだ。


「イグニッション!」


 俺が叫ぶと、このぷにっとした手のひらに懐かしい感触が宿った。

 プラパーツで覆われた、イグニッションキーの頭である。

 俺はこいつを握り締めると、鍵穴をイメージして空間に差込み、エンジンを起動させる。

 集落中に響き渡る、ファミリオンのエンジン音。

 いや、所詮軽自動車だから、そこまでうるさくはないんだけど。

 この牧歌的世界に自動車なんてものはないのだ。

 ってことで、空間をバリバリと稲光を発して裂きながら、愛車ファミリオンが疾走してくる。


「ひょえーっ」


 おじさんが腰を抜かした。


「きゃあー」


「ひいー」


 マンサとバーコがへたり込んで漏らした。


「ムキャー」


 おっ、猿! お前は冷静だな。

 おじさんはしばらく腰を抜かしたまま口をパクパクさせていたけれど、ファミリオンが停車した後、ずっと大人しいので勇気を振り絞ったらしい。

 這いずるように近づいてきて、


「こ、これが噂の青い神かあ……。なんだ、獣とも、鳥とも違う……」


「おじさん、びっくりするのは分かるけど、大事なのはそこじゃないよ」


 俺はおじさんを伴ってファミリオンの後ろ……リアまで回った。

 バックドアを開けようと思ったのだ。

 だが、そこで気づく。

 五歳児にはこれは大きすぎる。

 なんとかおじさんに説明して開けてもらうか、と思ったらだ。


「ひいっ」


 おじさんが悲鳴をあげた。

 バックドアが勝手にウイーンと開いたのだ。

 おかしい。なかなか年季が入った我が愛車ファミリオンにそんな機能はないぞ。というか、そもそも車は人の形に変形しない。

 これはサンダルフォンと接触した時に得た何らかのサムシングなんだろうか。


「ま、いいや。ほら、おじさんこれを見て。よっ……こらしょ!」


 俺は背部に収納していた予備タイヤを起こした。

 おじさんに受け取ってもらう。


「おお、なんだ、これ。この感触は……ゴムみたいだな。だけど、なんだこの形は。すごく丸い、丸いぞ……!? こんなに丸いものがあるのか……!」


「こんな感じの丸い板を作って欲しいんだ。そこにロープを巻きつけて、ぐるぐる回して桶を汲む装置を作る」


「な、な、なんだってーっ! ちょっと想像ができないんだが、オドマが言うなら間違いないんだろう。よし、やってみるか」


 そういうことになった。

 ちなみに乾季である今現在は、汁物を放置しておくとすぐにカラカラになってしまう季節。

 お漏らししたマンサとバーコの腰みのはすぐに乾いたようである。

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