第8話 塩が出てくる井戸だって?

 俺、マンサ、バーコ、そして小猿の組み合わせがバニおじさんの家にやってきたのは翌日のことだ。

 ここは集落のはじっこだが、一応は集落を包む囲いの中側。

 子供たちが移動を許される世界の果てと言う事ができよう。

 柵の外側に一歩出れば、命の保証が無い世界だ。

 まあ、柵の中にいても肉食性の大きな鳥やら、病原菌を媒介する蚊やらが出てくるので安全とは言えないんだが。


 乾季である今はいいが、雨季になると蚊が出てくる。

 その季節、井戸に頼らなくても水が確保できるのはいいが、土の中や木々の枝に付着して休眠状態だった、蚊の卵がいっせいにかえる。

 こいつがほんの一日ちょっとで蚊になり、病原菌を運んでくるわけだ。

 俺は大人の知識として、そいつがマラリアだってことは知ってる。

 部族の連中も病名に関する知識は無くても、恐ろしい熱病だとは知っているわけで、対抗策が存在する。

 そいつは、蚊が嫌う臭いを発する木の汁を身にまとうのだ。

 もう、こいつが鼻が曲がるほど臭い。

 だがこいつをつけないと、雨季を無事に乗り切ることはできないのだ。


 話が戻ると、俺たちはしょっぱくなったというバニおじさんの井戸に向かっている。

 ここいらは、隣り合うンマドの部族もやってくる地域で、お互いに狩りの獲物を交換したり、お祭りのじきには花嫁と花婿を交換したりする。

 比較的友好的にすごしていると言えるが、ひとたび干ばつなどが起これば、食べ物を巡って争う程度の関係だ。

 まあ、なんていうかこの世界の人間は温度差がすごいな。

 で、バニおじさんはンマドと交流を持っている、メクト集落の交渉役って訳だ。


「こんにちはー!」


 バーコが元気な声をあげた。

 すると、家の中からバニおじさんが出てくる。

 腹は出ているが、なかなかガチムチの黒い肌のおっさんだ。

 彼はしかめっ面をしていたが、俺たちを見ると急に相好を崩した。


「おお、なんだなんだ、可愛らしいお客さんたちじゃないか」


「バニおじさんが困ってるって聞いてやってきたよ」


 俺とマンサが五歳で、バーコが六歳。そして年齢不詳の小猿。

 傍目には可愛らしい一行だろう。

 俺たちを代表してか、マンサがそう宣言した。


「おうおう、助けに来てくれたのかい。気持ちだけでも嬉しいよ」


 おじさんは俺たちの頭を順番になでると、小猿のところで停止した。


「……なんか随分禍々しい猿だなあ」


「ムキャホー」


 撫でるのはやめたらしい。

 そうしたほうがいい。引っ掛かれたらどんな病気になるとも分からんしな。

 だがこの紫猿、かなり頭がいいらしくて俺とジェスチャーで意思疎通ができる。

 夜になるとどこかに行っちまうんだが、今朝方、俺を迎えにマンサとバーコが来ると、こいつもどこからかやってきた。


「じゃあ井戸をみせてください。しょっぱくなったんですか?」


「そうなんだよ」


 おじさんに案内され、俺たちは現場へ急行した。

 と言ってもおじさんが歩く速度が俺たちの小走りくらいだってだけなんだが。


「今、族長にも相談しているんだ。これじゃあ飲み水に困っちまうよ」


 俺たち子供にまで弱音を吐くとは、結構参ってるなおじさん。


「ひとくちください」


 俺がお願いすると、彼は井戸水を汲み上げて一杯くれた。

 ちなみにこの井戸がまた蚊の発生を……以下略。

 だがまあ、飲む分には問題ない。生まれてこの方、この世界で生きてきたおかげで免疫力だけはやたら高くなった自信があるぞ。

 俺はぐいっとやった。


「うわーっ、ぺっぺっ」


 確かにこいつはしょっぱい。

 なんていうか、海の水みたいだ。

 これじゃ、飲むだけ喉が渇いてしまうし、塩分の摂りすぎで高血圧だな。

 ちなみに塩は、集落の外の山で取れる。

 岩塩が出る場所があり、各部族がその山を共有しているわけだ。

 だが、この井戸水……岩塩よりも、雑味のない塩味をしている気がする。


「しょっぱい!」


「わあ、こいつはひでえ」


「ウキャー」


 マンサもバーコも猿も、この水は使い物にならんと判断した。

 だが、俺は思う。


「おじさん、この水、乾かしたら塩が取れないかな」


「塩が? まあ、それは俺も考えたんだけどな。いちいち井戸水を汲んで、乾くまで待って塩を取るなんて、手間がかかりすぎだろう。山で塩を掘ってきたほうがたくさん取れるぞ」


「あ、そうか。設備とかないもんな」


「せつび?」


 耳慣れない言葉に、おじさんが首をかしげた。

 どういうわけか、おじさんの井戸は、塩分をたくさん含んだ地層と接触したらしい。

 流れる地下水が地層を削り取ったのかもしれないし、何かが地下であったのかもしれない。

 ともかく、そのせいで井戸は飲めたもんじゃないしょっぱさになってしまった。

 だが、これは俺が思うにチャンスではないのか。


「じゃあ、掘り返して水を取れるようにして、塩田を作ればいいんだよ」


「えん、でん? そりゃなんだ?」


 この部族にとって、塩というのは山から取れるものだ。

 遥かに離れた場所には、たくさんの水を望む南アビスがある。つまり、たくさんの水ってのは海だ。

 だが、部族の誰もそこまで行ったことは無い。

 言い伝えでは、たくさんの水がしょっぱいらしいという話を知ってはいるだろうが、体験していないのだから現実味がないのだろう。

 だから、その言い伝えとこのしょっぱい井戸水が結びつかない。


「たくさんの水があるところだと、水がしょっぱいんだよ。その水を引いてきて、浅く掘ったところで一気に乾かすんだ」


「ほうほう、乾かしてどうするんだ」


「乾かすと塩になるんだよ。たくさん水を引けばそれだけいっぺんにたくさんの水が取れるよ」


「なんと! ……だけど、井戸は地下だぞ。水を引くって言っても、少しずつ汲み上げるしかないだろう」


「それはそうだけど」


 うーむ、確かにちょっとずつ汲み上げるんじゃ面倒だよな。

 どうにか、楽な方法で一度にたくさん汲み上げられないもんか。ポンプとか。


「なんかオドマが難しい話してる」


 マンサがつまらなそうにしている。


「ねえオドマー。そろそろ何かして遊ぼうよー。私つまんないよー」


「ムキー」


 マンサが猿を後ろから抱っこして、腕を掴んでばんざいさせたりしている。

 あの猿、人間ができてるな。全く怒らない。


「ちょっと待ってて。今考えてるところだから」


「えー、つまんなーい! つまんないつまんなーい!」


 マンサがすねてむくれた。

 まだまだ五歳児である。


「オドマ、プロレスやろうぜ! 俺、お前の技をついにマスターしたぜ! 回転揺り椅子固めローリングクレイドルだったよな!」


「えっ、バーコお前あれをついに!? やるなあ……。 ……待てよ。回転、回転、回転……!?」


 俺の脳内をなんかピシャーンッと雷が駆け巡った。

 ひらめいたぞ。

 一気に井戸水を汲み上げる方法があった!

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