13:悪戯

 リノからのLINEだ。


『獲物がかかりました。暇だったら来てね』


 メッセージにはGoogleマップのURLが添付されており、開くと地図上にピンが刺さっていた。

 町外れの廃工場だ。行ったことはないけど大体の場所なら分かる。僕はスマホをポケットに入れて学校を出た。


 三十分ほど歩くと廃工場が見えてきた。

 リノはそこで待っていた。

 錆びたフェンスに寄りかかり、足先で小石をいじりながら退屈そうにしている。僕がやってきたのに気づくと、うれしそうに手を振った。



 ✳︎ ✳︎ ✳︎



 リノは僕の恋人だ。まだ中学生なのに、自分に彼女がいるというのが未だに信じられない。

 ちなみに告白は僕の方からだった。夕暮れが射し込む放課後の教室で「好きだから付き合ってほしい」と言ってみた。僕はそういうベタなシチュエーションが好きだった。


「犬飼くんは、わたしのどこが好きなの?」


 告白されたリノは顔を真っ赤にしてうつむいていた。


「顔が可愛くて、明るくて、優しくて、あと、良い匂いがするところだ」と僕は言った。


 僕の言葉にリノはさっと表情をなくし、しばし口を閉ざした。しまった、正直に言い過ぎただろうか?

 だけど、リノの返答は少し意外なものだった。


「それは、本当のわたしじゃないよ」


 そう言うと彼女は学生鞄を肩にかけ、「ついてきて」と踵を返した。訳が分からないながらも、僕は慌てて彼女の背中を追った。


 十分ほどかけて到着したのは近所のそこそこ広い公園だった。

 リノは鞄を開いて探る。中から出てきたのは、一巻きの銀色の糸だった。


「それは何?」

「ピアノ線だよ」


 次に彼女は両手に軍手を着け、辺りをきょろきょろと見回す。やがてある場所に目をつけた。巨大なキリンの滑り台に隠れ、二本の太い木が生えている。あそこがいい、と呟くとリノは一直線にそこへ向かった。

 二本の木にピアノ線を結んでいく。線は地面と平行になり、高さは大体リノの腰のあたりだろうか。

 僕たちは遠くのベンチから、そのピアノ線を張った箇所を眺めていた。夕方でも子連れの主婦が多い。主婦たちが井戸端会議をする横で、子供たちが元気そうに走り回っている。


「あれを見て」


 リノが指差す方を見ると、キリンの滑り台の下で追いかけっこをする子供が二人いた。幼稚園でいえば年長くらいの男の子と女の子だ。鬼ごっこだろうか。二人っきりでやって楽しいのかな?

 男の子が滑り台を滑ってやってくる。それを見て女の子はきゃはきゃはと笑い、滑り台をぐるっと走って回る。やがて滑り台を離れ、後ろの木の方へと駆けていった。

 僕はハラハラしながらそれを見守っていた。女の子の足は明らかに、ピアノ線の方へと向かっている。線の高さはちょうど女の子の首もとにあった。


 悲鳴じみた泣き声が公園中に響いた。


 女の子が木の根本に足をかけ、転んでしまったようだった。腕を擦りむいたらしくて、うつ伏せの状態でぎゃんぎゃん泣いている。それはピアノ線のすぐ手前だった。

 異変に気づいた主婦たちが駆け寄っていく。


「危なかったねえ」

 リノはどこか残念そうに言った。

「リノは、こういう悪戯が好きなの?」

 僕は胸を撫でおろしながら尋ねた。

「そうだよ。ああいう悪質なやつが好きなの。どう? わたしのこと、嫌いになった?」

 僕はあごに手をあてて考えた。

「嫌いには、なってないと思う。君と一緒にいるとやっぱり胸がどきどきする。今のは、違う意味でどきどきしたけど」

「それは、わたしの趣味を認めてくれたってことでいいの?」

 僕はさらに考えた。

「あまりよくないことだと思うよ。でもやっぱり付き合いたいかな。可愛いし、良い匂いもするし」

「匂い、推し過ぎじゃない?」

 リノは自分の二の腕を嗅いで、よく分かんない、と首をかしげた。

「わかった。じゃあ付き合おっか」

「ありがとう。よろしく」

「よろしくね」

 リノが、ベンチに置いた僕の手に自分の手を重ねてきた。良い雰囲気になってるっぽかった。チューできるかな?


 また悲鳴が聞こえた。

 せっかく良い雰囲気だったのに。やれやれ、と一応悲鳴のあがった方を見る。


 男の子が首から血を吹き出して倒れていた。



 ✳︎ ✳︎ ✳︎



 リノに連れられ、廃工場の中に入る。中は朽ちたクジラのお腹の中みたいで、空気はひどく重苦しかった。


「実は、この中で落とし穴を掘ってたんだ。半年くらいかけて」


 工場のコンクリートはひび割れており、所々が剥がれ柔らかそうな地面が見えていた。この工場は地盤の問題で別の場所へ移されたのだ、とリノは話す。廃墟になってからというもの、不景気な田舎だからなのか、取り壊しの予定は今のところないのだという。


 工場の一角には確かに落とし穴があった。

 直径は三メートルほど。深さはどれくらいあるんだろうと覗いてみようとしたら、穴の底からごそごそと物音がした。

 僕は振り返ってリノを見る。

 彼女は後ろ手に両手を組み、にこにこしていた。あごをくいっと動かし、中を見て、という仕草をする。

 生唾を呑み、穴を覗く。


 穴の深さは五、六メートルはあるだろうか。穴の壁はほぼ直角に切り立っている。重機もないのにどうやって掘ったんだろう。

 穴の底では、若い男が横になって眠っていた。金髪で、痩せてはいるがいかつい顔立ちをしている。上下は白いジャージで金色のラインが入っている。控えめにいって、ヤンキー、という出で立ちだった。

 穴の底はゴミや煙草の吸い殻などで散らかっている。

 その上で彼は、寝心地が悪そうに寝返りを打っている。さっきの物音の正体はこれだったようだ。


「また、すごい落とし穴を掘ったね」

「半年かけたからね」

「この人は?」

「さあ、誰なんだろうね。いつものように穴を掘りに来たらこの子が居て、目が合った瞬間追いかけてきたから、この穴に誘導して落としてやったの。最初は恐かったけど、ずっと眺めてると、わりとかわいいところもあるんだよ。ちなみにこの子、煙草が好きなんだ」


 そう言ってリノは制服のポケットからマルボロを取りだし、穴へと放った。

 煙草の箱は壁に二回くらい当たりながら落下していき、ヤンキーの頭に落ちた。

 ヤンキーが起き出す。頭を掻きながらあくびをして、それから穴の上を見上げた。


「てめえ、クソガキ」


 ヤンキーはその場であぐらをかくと、箱を開封し、マルボロをくわえて火をつけた。その動きはどこか慣れた風である。心なしか疲れた表情をしていた。


「ここから出たら、ぜってえ犯してやる」


 リノはくすくすと笑って僕を見た。

「この子、だいたい同じことしか言わないんだ。動物みたいでかわいいでしょ」

「かわいいかな?」

「しつけも簡単なんだよ」


 リノは鞄を漁る。彼女の学生鞄には常に色んな道具が入っている。彼女が取り出したのは、手持ちのロケット花火だった。ライターを手に、火を点けようとしている。

 ヤンキーも見慣れたものだったのか、ロケット花火を見た途端、頭を抱えてその場でうずくまった。

 花火に火が灯る。

 リノは楽しそうにそれを穴の方へと向けた。


 パァン、と暗い廃工場が一瞬光に包まれる。

 ロケット花火はすごい威力だった。市販のものだとは思えないほどで、彼女の手から放たれた火花に、僕はドラクエの『メラ』を連想した。たぶん火薬の量をいじっているのだろう。

 落とし穴の底で光弾が飛び交う。穴底を何度も花火が行き来していく様が、こう言っちゃなんだけど、綺麗だった。ヤンキーは頭を抱えながら「ヒイッ」と喚いている。その様子を見てリノはけらけらと笑っていた。


「もう犯すって言わない?」

 花火が鎮火すると、彼女は笑い涙をこすりながら言う。


「言わねえ。だからもう、それやめてくれっ」


 その情けない返答に、リノはまた吹き出す。「あー楽しかった」と言って、その場をあとにしていく。

「じゃあ犬飼くん、また明日学校でね」

 僕は小さく頷き、彼女が去っていくのを見届けた。


 ヤンキーがすすり泣いている。ぐう、と穴の中で面白い音が反響した。ヤンキーのお腹の音だった。

 僕は穴から離れ、工場を出た。

 近くのコンビニに行き、コッペパンとペットボトルの水を購入し、工場の方へ戻る。

 穴を覗くと、ヤンキーはまた横になっていびきをかいていた。よっぽどやることがないんだろう。可哀想だな、と僕は思った。


「お兄さん」

 声をかけると、ヤンキーは飛び起きた。さっきの花火が効いたのか、びくびくした様子である。

 コッペパンと水を穴に落とすと、彼はまた頭を抱え怯えた。

 落ちてきたものが何なのかを悟るとヤンキーはそれに飛びつく。「ありがてえ、ありがてえ」と必死でコッペパンにかぶりつき、美味しそうに水を飲んだ。


「おまえ、あのクソアマの彼氏か?」

 食事を済ますと、彼は煙草を吸いながら言った。


「クソアマじゃないけど、そうだよ」


 ヤンキーはにっこり笑った。

「おまえは、いいやつだな。おれ、ここに落とされてから何も食ってなかったんだ」

「いつ、ここに落ちたの?」

「おととい、だな」

「それから何も食べてなかったの?」


 ぼくはびっくりした。

 ヤンキーは頷いて、煙草の火を消してうなだれた。やっぱり可哀想な子だな、と僕は思う。

「つらかったね、お兄さん」

 ポケットにキャラメルがあったので、それも穴に放ってやる。


「おまえ、ほんとうにいいやつだな」

 ヤンキーは泣きながらキャラメルをしゃぶった。 




 それからというもの、僕は放課後になると廃工場に通った。近くのコンビニでパンと水を買い、毎日のようにそれを穴へと放った。

 リノはあれから一切廃工場に訪れない。きっとヤンキーで遊ぶのに飽きてしまったのだろう。

 それからも彼女とはデートをしたり、一緒に色んな悪質な悪戯を行っていたのだが、僕はこのヤンキーに食料と水を与える習慣だけは続けていた。


 ヤンキーはすっかり気を許してくれたようで、色んなことを僕に話してくれた。


 子供の頃父親に虐待されていたこと。やり過ぎたいじめがバレて高校を中退したこと。暴走族に入ったが空気が読めずボコボコにされた挙げ句追い出されたこと。いじめられっ子に復讐されてバットで頭を殴られ生死の境をさ迷ったこと。母親が亡くなったこと。バイト先の友人に騙され連帯保証人になり多額の借金を背負わされたこと。今は、借金取りの来ない遠いこの田舎の地でひっそりと暮らしていること。


「おれは、あのバットで殴られたときに、そのまま死んじまえばよかったんだ……」


 僕は、ヤンキーの話を聞いているうちに、彼の境遇に同情してしまうようになった。彼の人生はグズグズの最悪のズタボロの生ゴミだった。その証拠みたいに彼の居る落とし穴は、彼の糞尿によりひどい臭いがした。

 そんな最低な人生を歩んだ彼は今、この悪戯好きの少女が趣味で掘った穴に落とされ、非常に不自由な生活を強いられている。こんな惨めなことってあるだろうか?

 僕の目からは、自然と涙が溢れていた。


「リノに話して、お兄さんを穴から解放してもらうよう言ってみるよ」


 ヤンキーは「ほんとうか!」と目を輝かせた。


「もうあいつには、襲いかからねえ。おれはおまえと話をしてみて、心を入れかえた。これからはちゃんと仕事をして、借金を返して、良い女と出会って幸せな家庭を築く。約束するから、頼む。そうあのクソアマに伝えてくれ」


 僕は強く頷き、穴から離れた。

 家に帰るとさっそくリノに電話をかけ、ヤンキーを解放する旨を伝えた。彼が反省しているということも、彼が心を入れ換えようとしていることも、詳細に伝えた。


 リノの反応は、あまり芳しくなかった。

「反省してほしいだなんて、わたし思ってないんだけどなぁ。あの子がかわいいから、ただ飼っていただけなのに」


「でも彼、ああ見えて結構いいやつなんだよ。ちゃんと人として、世に送り出してやろうよ」


 リノはしばらく黙って、こう続けた。

「ねえ犬飼くん。わたしたち、やっぱり合わないかもね。もう別れましょう」


「え?」


 電話を切られた。




 翌日、リノは学校を休んだ。

 放課後になって廃工場に行くと、そこにリノが居た。

 彼女は学校のジャージ姿で、スコップで一心不乱に落とし穴を埋めていた。

「やあ」

 声をかけると、リノは笑顔で振り返った。

「やっぱり、あの子を解放してあげたよ」

「本当?」

 それを聞いて僕はうれしくなった。彼のこれからの人生を考えると、純粋に微笑ましいと思った。

 穴はもう九割方埋まっている。僕も埋める作業を手伝った。


「わたし、やっぱり犬飼くんが好き」

「ありがとう。僕もリノが好きだよ」

「わたしたち、やり直しましょう」

「いいよ」僕は笑って言った。


 穴が埋まる。二人で足踏みしながら土を固めていく。

「アイスでも食べに行こう」リノはそう言ってスコップをその辺に放った。「また新しい悪戯を考えなくちゃ」


 僕は笑顔で頷いた。ふと、足元の埋まりきった落とし穴に目を落とす。

「どうしたの?」

 リノが首を傾げる。

 僕は固めた土の感触を、靴底越しに感じ取る。

「お兄さんのこと、解放してあげたんだよね」

「だから、そう言ったじゃん」

「お兄さん、幸せになるといいね」

 そんな何気ない言葉に、リノは優しく微笑みかける。

「どっちでもいいでしょ」


 僕はその場で屈み、足もとの土を見つめる。

「幸せになってね、お兄さん」

 そう声をかけて、少しだけ涙ぐんでしまった。

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